DMAT(ディーマット) | 防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

防浪堤は壊れても ~たろうの海から~

「防浪提に抱かれて磯の香りも生き生きと」
田老一小校歌の歌い出しです
津波が来ても二重の防浪提が守ってくれると思っていました
津波はその防浪提までも破壊して、ふるさとを壊滅さた
それでも、やっぱり海は麗しいし、川は清い

 災害が起きたときにすぐに駆けつけて医療を行う

 災害派遣医療チーム

 Disaster edical ssistance Team

 略してDMAT(ディーマット)

 医師、看護師、業務調整員(医師・看護師以外の医療職及び事務職員)で構成され、大規模災害や多傷病者が発生した事故などの現場に、急性期(おおむね48時間以内)から活動できる機動性を持った、専門的な訓練を受けた医療チームだそうです

 

 私はそういう組織があることは全く知りませんでしたが

 

 東京生まれの甥っ子が大学生の時に東日本大震災が発生しまして

 

 甥っ子は被災地の復興に協力したいと言って

 夏休み、冬休みに宮古に来てずっとボランテイア活動をしてました

 

 周りの学生が遊んでいるせっかくの休みに安全な東京からわざわざ被災地に来て、ずっと泥まみれでボランテイアしなくてもいいのにって思ってたんですが

 

 彼はそこで何かを感じたらしく

 「オレ、DMATになる」

 って言い出しまして

 「なんだ、そりゃ?」

 「災害が起きたときに被災地に駆けつけて医療をするチームだよ」

 「それって優秀な人がなるんじゃねえの?」

 

 高校生の時は野球ばっかりやってて学校の成績も良くなくて、いつもからかってたんですがね

 何を思ったか、それから突然猛勉強を初めて、看護師になり、訓練を受けてDMATになりました

 人ってやればできるんだ・・・

 

 今は結婚して子供もいるんですが

 奥さんもまたDMATだそうで

 「災害が起きて二人とも被災地に行ったら子供どうすんのや?」

 って心配になりました

 

 おまけに、更に上の資格を取るとか言い出して、今は勤めていた病院を退職して大学院に通っているので、DMATとして石川県に派遣されることはないと思いますが

 おそらく甥っ子の影響だと思うんですけど

 看護学部に通っている私の息子も将来はDMATになるとか言ってるので

 「東日本大震災を経験してるから被災者の気持ちも解るだろう。石川県へ支援に行ってこい」

 って言いましたら

 「行くよ。けど、今は道路もメチャクチャだし、食料や水も十分じゃないみたいだから医療行為ができない人間が行ってもジャマになるだけだと思う。ある程度落ち着いた頃に行って高齢者の相談に乗るようにする」

 ですと

 

 

 支援に行った人も食べたり飲んだりするし、トイレも使うので、食料や水が十分じゃない時期に行ってもかえって迷惑をかけてしまうことにもなりかねません

 交通網が大変らしいので、車で行けば渋滞に拍車をかけてしまいますし

 今は食料や水を運ぶ車とか、安否確認に行く被災者の身内の方を優先すべきじゃないでしょうか

 

 思い出してみますと、被災直後はただ食料と水の確保に必死で、悩むことすらできない状況でした

 今の段階で必要なのは医療従事者とか重機のオペレータとか特殊技能を持った人たちじゃないでしょうか

 

 ある程度落ち着いて食料と水、寝る場所やお風呂を確保できると悩み始めるんですよね

 

 これからどうやって生活しよう、家をどうしようって、お金をどうしようって悩んだり(高齢者は借金が難しい)、避難所生活の疲れが出てくるので精神的なケアが必要になります

 その辺から普通の人による長い支援が必要になると思います

 

 震災直後には支援って盛り上がって、数カ月で忘れ去るのはマズイ

 

 また、仮設住宅ができると、それぞれブラーバシーを持った生活が出来るようになりますが

 それまでたくさんの人に囲まれて生活していたのが、孤独になる人がいる

 子供がいる家庭はいいですけど、高齢者はね孤独になりがち

 なので、そこで話し相手になってくれる人が必要だと思います

 

 最初はたくさんの方々から支援してもらえるんですけど

 徐々に減っていくんですよね

 あれ、世の中から忘れ去られちゃったのか?ってなる

 

 最初だけでなく

 世の中が忘れ始めた頃からも続ける支援が大事だと思います