DVDマガジン12/1 ② | sakaeの百恵さんブログ

sakaeの百恵さんブログ

32年ぶり復活 百恵さんの話がしたい!

 昨日に続きDVDマガジン12月1日号の内容紹介です。
 岩井志麻子さんの「赤の壺」は大映ドラマの無定形に驚くです。百恵さんのことはほとんど書いてないので軽くいきます。
  失敗作だなというきは毛頭ないが、ちょっと妙だなと思う「赤い絆」。百恵の養父母や義妹は途中からぱったりと登場しない。百恵も「私はずっと肉親の愛を知らず、一人で生きてきました」なんていう。
 百恵が薄情なわけじゃなく脚本通りに台詞をしゃべっているのだとしても、う~む。終盤になって出てきたじいちゃん。大映ドラマであるのは重々承知の上で、なお驚いてしまうばあちゃんとか。
 最初から物語ができあがっていたのではなく、ストーリーを付け足したり変更したり、影響を受けたとされる韓国ドラマも、視聴者の意見を取り入れ、話を変えたり死ぬはずの人気俳優を生かしておいたり。
 大映ドラマも韓国ドラマも、それでいいんだよ。できあがったものが完成作だ。実人生も変更は余儀なくされることばかりだし。と話しています。
 百恵が歌で演じた女たちは「一恵」です。一生に一度だけの出会いに女は誠意を尽くし向き合ってきた。彼女の真心は人を動かし、いまや舞台の中央でスポットライトを浴びる存在になっていた。その神々しさに人々は彼女を自らの「夢」と重ね熱狂した。
 「私は神でも、夢でもなくただの『女』だ」。彼女はそれを、一人の男との出逢いにより確信した。「百の恵」。その名の通り万人に愛されたが、男との愛が結実した時に女は夢から現へ。舞台を下り、地に足をつけて男との愛に一生を捧げることを。
 「恵」は「一」つでいい。「私は女」。夢まぼろしでなく「私は生ける女なのだ」。
 80年11月19日、二人は午後3時から霊南坂教会で挙式、7時から東京プリンスホテルで披露宴を行った。この日はまた、「百恵」と命名した母・正子の51回目の誕生日でもあった。嫁入りのその日に「一恵」というメッセージを刻んだのは、作詞家・横須賀恵。百恵自身である。
 歌の主人公は人々に「貴女は夢だ」と言われながらも、たった「ひとつの愛」を選ぶ女だ。タイトルと内容からしても、百恵が自らの心情を素直に語ったラストソングといっていい。
 「私は女」というフレーズは繰り返し好んだ言葉で「蒼い時」にも登場する。スターである前に「私は女」。楔(くさび)のようなこの言葉から想像するのは、7年余の間に出逢いが、仕事が、ファンが増えながらも、スターという夢幻の玉座に違和感を感じる自分と向き合い続けていたのだろうこと。「私」を失わなかった。
 そんな百恵だからこそ、芸能界という宇宙で唯一無二の魅力を放ったのだが、友和と出逢い、彼女が「我」を自覚するまでの孤独な道程は易しいものではなかったはずだ。
 「一恵」こそ人間・百恵の願い。罪深くなどない。と話しています。
 曲は80年11月「一恵」を80.9.22夜ヒット動画でどうぞ。
 
 ★一恵★


写真を1枚
この頃ですね。素敵な笑顔です!