以前から言っていた、『パンズラビリンス』を含めた3作品の評論ですが、、


最近新たな世界を覗いてしまったことで、

自分が相当やばい泥沼に足を踏み込んでしまったことに気がつきました。


それはキリスト教神学の世界です。

敢えて無視しようと思ってたのに。


『ミツバチのささやき』にもキリスト教的な世界は、ほんの少し垣間見えるのですが、


本当にやばいのは『パンズラビリンス』。


いややばい。


まじでやばい。


脱構築とか言って逃げてる場合じゃない。


とりあえず書ける物を書こうと思い始めてたのに、


キリスト教神学を無視しては何も語れない、というくらいに

『パンズラビリンス』にはその記号が溢れまくっていたんです。


ギレルモ・デル・トロ、恐るべし。。。


彼が本気で現代思想と神学を結びつけて思考し、

あの現代の寓話としての作品を練り上げていたとしたら、

ちょっと俺の中でゴダールに比肩できるすごさじゃないかと。


これはもっともっと本気で勉強しないと、

世界にはとてもじゃないけど追いつけないなあ・・・


参った。

頭爆発しそうです。

今までの自分の感想読んでみて、

やはりどうしても

構造主義的・記号論的&作家主義的な記述に終始しているな

と。


まあ、気楽な感想なので、

自分の書きやすいように書くとそうなっちゃうんです。


もう読んでて

「ほんま、くっそやな(自分が)」

と井筒監督ばりの悪態をつきたくなります。


というか自分が映画を語るとき、

常に心の中で

「ほんま、くっそやな(自分が)」

と思いながら喋ってます。


「映画は語られてこそ映画だ」

という考えもある一方で、

「映画を語りきれないやるせなさ」

も切ないほどに感じるわけです。





どういう文章が一般的な映画ファンにはふさわしいんでしょうか。


読者が映画にもっと参加する意識を持つようになってくれる文章であれば、

もう手段は選びません。

どんな手でも使う心構えでございます。


ご意見ご感想、お待ちしております。

今回で最後になります。

3回目の『ユージュアル・サスペクツ』解説&レビューです。





③「停滞」の映画



最後に、

この映画を特徴づける、ある「記号」の謎解きを通して、

この作品のレビューをまとめたいと思います。



その記号とは、

「停滞」

です。



それではまず、

この映画に散りばめられた、非常に多くの「停滞」の記号の連なりを

以下に見ていきましょう。




1、留置所で出会う5人が逮捕されるシーンにおいて、

なぜか誰もが逃げようとしない。

普通の映画なら、何とか逃げようと試みるシーンです。

(例外はヴァーバルとフェンスター。

フェンスターは後にソゼの命令に背き、

宿から逃げ出そうとしたところを殺されます。)



2、主人公ヴァーバル・キントは左半身不随。

歩くのも不自由な人間として登場します。



3、面通しで出会った5人で行った最初の犯行は、

移動中の車を4台の車で囲み停車させて襲う。



4、続いての犯行もまた駐車場で停車している車を襲う。



5、そして最後は停泊してる船を襲う。

船を爆破炎上させるシーンは、

最初の車での犯行での炎上シーンとダブることでしょう。



6、船室に居たアルトゥーロは自分の窮状を知りながら、全く動こうとしない。



7、ソゼに撃たれたキートンが「脚の感覚がないよ」という。



8、船上で油が燃え広がる際に、

線状となった炎が死体の脚を切るかのように進んでいく。



9、ヴァーバルが隠れていた(はずの)、ロープの山は船を停泊させるためのもの。



10、何よりも、この話を語るヴァーバル・キントは警察署の一室で語り続けていた。




おそらくまだまだあるんだろうと思いますが、

ひとまず思い当たった主要なシーンは挙げれたと思います。


「停滞」を何かの記号として利用しているのは明らかでしょう。




では、その記号たちは、私たちに何を伝えるためのものだったんでしょうか。





①と②のレビューで、

「この映画が(意外と?)映画に関して自己言及的だ」

ということが理解できてきたのではないかと思います。




この「停滞」の記号たちも、そんな「メタ映画」的言及なのです。




映画の重要な特徴の一つは、


「観客がその上映時間のあいだ座り続けながらも、

映像を通してあらゆる場所に移動することが出来る。」


というものです。




もうおわかりでしょう。




つまり登場人物たちは全て、

ソゼによって作られた「映画」を観る観客として用意させられていたのです。


強制的に観客席に座らされ、「映画」を観させられていた、

かわいそうな登場人物たち。


私たちの代わりに死んでくれた、彼らに感謝しないといけませんね。







さあ、

以上で①②③と、この作品の特徴に対する解説が揃いました。



どれもがこの作品の「メタ映画」的側面、「映画とは何か」を語ってくれるものです。



この映画を観た人、

このレビューを読んでくれた人が少しでも、

こういった映画の構造的な思考を通して、

映画の鑑賞に意識的に参加してくれるようになってくれると嬉しいですね。