フォトまた15枚くらいアップしました。


「こういうのが好きなんだー」って感じで

Sっぽく見てみてください。

感じます。



それにしてもやっぱりひどい歪みようですよね。

意外に広角レンズなんですよ。

何ミリか忘れましたが。

今日は2007年カンヌパルムドール受賞作品、

『4ヶ月、3週と2日』

を鑑賞しました。


ルーマニアの作品です。

クリスティアン・ムンジウという、

まあ無名の監督の受賞、ということになるんでしょうか。



それにしても
「ルーマニアのヌーヴェルヴァーグ」

なんて謳い文句はないよなあ、

と、観終わって独りごちちゃいましたよ。


そのセンスの無いコピーに、

借りるとき思わずためらってしまいましたから。


以下、完全にネタバレです。

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この作品、


「宙吊り、縦と横」


という言葉で表現しようかと思います。




この作品は


縦の糸に

・1987年、ルーマニア。

・中絶の禁止

という状況設定があり、


横の糸に

・サスペンス

・交換、転移

という語り口を持ってきています。



抗し難い環境の重力によって、社会に縛られる登場人物たち。(縦)


彼らの不安を表すように、カメラは冒頭から揺れ続けます。

suspended(宙吊り)な状況の分かりやすい表現です。


しかし主人公は自分の足で、

寮、ホテル、学校、彼氏の家、と次々に場所を移動していきます。(横)


そして、その水平方向の移動は、主人公だけじゃなく、

かつてヒッチコックが「マッガフィン」と呼んだ仕掛けが、

次々に交換、転移されていく様子にも当てはまります。


お金、ケントのタバコ、IDカード、医者のナイフ、胎児・・・


まさに記号の横滑りがどんどんと進行し、

そのせいで観客はますます宙吊りな状況に置かれ、


その仕掛けと登場人物の関係も、

まるでラカンのいう反復強迫そのままに転移していく。


この「宙吊り、縦と横」は脚本上の話ですが、

映像でもそれは被さってきます。



最初に画面に登場した赤い金魚は

水槽の中によるべなく漂い、


部屋に置いてある一輪の赤い花は、

重力によって微動だにせず、


主人公の乗る赤いラインの電車は、

なめらかに滑り出していく。



そして脚本では横の移動によって行われていた転移が、


映像においては、縦の運動によって、この作品の究極の転移が行われます。



この作品における、

唯一の縦の上下運動は、

クライマックスにやってきます。



子宮から落とされた、

堕胎した胎児の死体を預かった主人公は、

ホテルの長い階段を駆け下り、

夜の闇を、

方向も分からないほどに、

まるで宇宙を漂うように走り続け、

最後には郊外の寂れたビルの階段を一気に上り、

ダスターシュートに胎児を放り込む。

胎児が落下しながら壁に跳ね返る空虚な音だけが聞こえた後、

「ドン」

という肉の塊の着地した音がする。


果たして最後にダスターシュートに落ちて行ったのは、

本当に胎児だったのでしょうか。


それは主人公ではなかったか。

はたまたそれを目撃した自分ではなかったか。


クライマックスは終わります。



主人公の移動にずっと寄り添っていたはずのカメラですが、

上下の移動は、他のシーンには一切見当たりません。



最後にレストランで沈黙する主人公と友人の二人を、

窓の外から見ている私たちは、

「ああ、ファーストシーンの金魚とのオーヴァーラップだな」

と思った次の瞬間、

主人公の不意のカメラ目線によって、

その窓ガラス、

ブラウン管、

スクリーンの壁が突き崩されるのを感じ、

宙に放り出されて自分も水槽に浮かび始め、

そこに金魚と胎児と主人公と私たちとの境目は無く、

ただ浮かんでいるのです。



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と、いったところで、

私はこの作品を猛烈に批判したいと思います。



こんなわかりやすい批評をさせる仕掛けを作ったムンジウ監督。

こんなんで良ければ、まだまだいくらでも書きます。


あなたはこの胎児の命を、何だと思っているのか。


自分の頭の中だけで完結した作品と言っていい。


あなたが自分で経験した時代だからといって、

何を言っても許されるのか。


自分が素晴らしいと思ったアイディアの体現のためには、

こんなむごい物語を映像にして良いのか。


こんなに重いテーマを、

あなたのオモチャにしないで欲しい。



そして、何より罪なのは

これをパルムドールにしたカンヌの審査員達。


あなた方は、本当にこの作品に新しいものを感じたんですか。

今まで使い古された言葉だけで説明できてしまうこの作品に。


あなた方が賞をあげるのは、

あなた方のオナニーのための、AVなんですか。




まあ、でも確かに映像の点では素晴らしいところもあり、

夜歩き続けるシーンなんかは、

俺も撮りたいなと思ってるものに近いものがあったので、

その点では参考になりました。




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ほんま、くっそやな。


俺が。

昨日、筑波大の授業にもぐって、(がびーん)

『意志の勝利』の一部を鑑賞しました。


「情報戦略と政治」という授業で、

普通に先生の講義に興味があっただけなんですが、

たまたま授業内で上映された作品が『意志の勝利』で、

作品名を聞いたときには、

思わず「おぉ」と声をあげてしまいました。


言わずと知れたナチのプロパガンダ映画の大傑作です。

かのレニ・リーフェンシュタール監督。

『オリンピア』は一部観たことあったんですが、

こちらは全くの初見。

考えたら授業名にぴったりの作品ですね。


34年にニュルンベルクで行われた党大会のドキュメンタリー。

33年に全権委任法が承認されて、

それ以降政府の映画への介入が始まりますから、

もう絶頂期の映像です。


日本国内版のDVDやビデオでの流通は無いそうで、

授業で観たのも英語字幕版のVHSでした。


授業では詳細の説明は省かれていましたが、

SSとSAに向かってヒトラーが演説していたことから

wikiの解説と照らし合わせると、

おそらく「ルイトポルトアレーナ広場昼間集会」の部分でしょう。

作品のクライマックスみたいです。


16台もカメラを使ってたそうですよ。

いやー、当時も今もなかなかそんなに同時に使うことないですよね。

地味に手の込んだ移動撮影したりもしてます。


そしてそれを超贅沢にフィルム編集してるリーフェンシュタールは、

どんなに爽快な気持ちだったでしょうね。


すごいですよ、あの編集は。


そりゃあ国民も騙されます。

しょうがないです。


31年にグリフィスが最後の作品を作っていて、

編集の技術がこのように継承されたと考えると、

なんだか切なくなります。



ナチのプロパガンダに賭ける情熱は、

ハンパないです。



その末期には、

国威発揚のため、

かつての戦局での勝利の再現を収める映画製作のために、

ノルウェーの現地ロケで、戦争を全て再現しようとしたくらいです。


実際に破壊された街を再建して、

軍隊を集めてまた破壊する、っていう。


イギリスはその情報をすぐさま手に入れ、

もしその撮影が実現されるならば、

昔の敗北を取り返すために、

こちらも実際に軍隊を派遣する、

と、ラジオ放送を通じて伝えていたそうです。

まあ、それが本気かどうかは怪しいですが。


ということは、

映画のために本当に戦争が起きた可能性があったわけです。


(しかしながら、あまりの物資と人員の欠乏と、

兵士たちの意志の乖離のため協力も得られず、

実現はしませんでした。

その代わりベルリンの近くに街を作って破壊する映画を作りました。

その封切りは45年冬。。)



「政治の美学化」(ベンヤミン)なんて、

もう単純には出来そうにないですが、

それと切り離しても、

この問題は、形を変えて今も生き続けています。




「映像を作るために戦争をしているのではない。」

なんて、はっきり言えるのでしょうか。



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ちなみに、今回の授業、


「このナチに勝つにはスターリニズムじゃないと勝てないよね」


という話のようで、後半はマルクス主義の解説を始めていました。


そこで席を立ってしまったので、

その後どういう話が展開されたのかわかりません。


この授業の最終回にはもう一度行ってみたいな、と思うのでした。

どんな結論で締めるんでしょうね。