20冊目:ぎょらん | 【読書感想文Blog】ネタバレ注意⚠

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ぎょらん

町田そのこ

2024/06/14

 

 

 

★ひとことまとめ★

死者の最期の願いは…

 

 

 

 

 

↓以下ネタバレ含みます↓

作品読みたい方は見ないほうがいいかも

 

 

 

【Amazon内容紹介】 

後悔のない死はない。
だからこそ
あたたかな涙が止まらない。

本屋大賞受賞作家が贈る“一番泣ける”文庫最新作。
文庫書き下ろし「赤はこれからも」収録。

人が死ぬ際に残す珠「ぎょらん」。
それを嚙み潰せば、死者の最期の願いがわかるのだという。
地方都市の葬儀会社へ勤める元引きこもり青年・朱鷺は、ある理由から都市伝説 めいたこの珠の真相を調べ続けていた。
「ぎょらん」をきっかけに交わり始める様々な生。
死者への後悔を抱えた彼らに珠は何を告げるのか。
傷ついた魂の再生を圧倒的筆力で描く7編の連作集。

 

 

 

 

【感想】

だいぶ昔に図書館で予約して順番が回ってきました~!

 

人が死ぬときに遺す珠。通称”ぎょらん”

死者の口の中や、耳、手の中に入っていることがあるという…

その”ぎょらん”を口にすると死者の願い・想いを知ることができると噂されている。


 

親友を自殺で亡くした御船朱鷺。

親友が遺した”ぎょらん”を口にしたことで、朱鷺は自分を憎み罪悪感に苛まれ、長い間引きこもりとなってしまった。
しかし、母親が体調を崩したことをきっかけに朱鷺は引きこもり生活に終止符を打ち、地元の葬儀社・天幸社で働き始める。
天幸社で働くなかで、多くの人と関わり、”ぎょらん”についての情報を耳にする。
自分が長い間苦しめられた”ぎょらん”。

一方で、”ぎょらん”によって救われたものもいるという。


”ぎょらん”の正体は一体なんなのか。
母の命が尽きる前に、何としても”ぎょらん”の正体を突き止め、ずっと迷惑をかけてしまった母にきちんと説明がしたい。
朱鷺は”ぎょらん”の答えを見つけることができるのか―…



題材が題材なだけに、どのお話も必ず死が絡んでくるので、読んでいてかなりしんみりとして気持ちになりました泣くうさぎ
特に、保育園に通っていたお子さんを亡くした石井さんのお話は、今の自分に重ね合わせてしまってボロボロと涙しましたね…。

私の子が通っている園の保育士さんは、毎日一生懸命注意深く子どもの面倒を見てくれていて、そのおかげで自分も働くことができているのでとても感謝しています。

怪我くらいなら一瞬のことだから仕方ないよなとは思うのですが(実際昨日お友達に噛まれて腕に歯型と痣を作って帰ってきました驚き夫がお迎えに行ったのですが、先生は平謝りだったそうです。)、もしも自分の子が保育園で亡くなってしまったら…。

石井さんのように、自分も取り乱して先生たちを責めてしまうのかもしれないなあ…と思いました悲しい


不慮の事故だけれど、誰かを責められずにいられない気持ちはわかる。

その場に自分がいなかったからこそ尚更。
保育園での事故のニュースを目にするときも、いつも悲しい気持ちになります悲しい

自分がその場にいたら何とか出来ていたかもしれない。もう少し、こうしてくれていれば、ああしてくれていれば、うちの子は死ななかったかもしれないのに。

タラレバだけれど、そう思ってしまうんですよね。


人は誰しも産まれたからには絶対死ぬことが確定しているのはもちろんわかっていますが、その死が突然であるほど受け入れるのが難しいですよね。
長く病気を患っていて緩やかに死に近づいていて、本人も周りも少しずつお別れの準備や心の準備する時間がある場合と、急な事故で亡くなってしまった場合。
後者の場合、きっと同じ毎日が明日も来るだろうと本人も周りも思っていたはずなので、それが唐突に断絶されるので受け入れられるはずがないですよね赤ちゃん泣き


最後のお話、「赤はこれからも」はまさに姉との突然のお別れな上、コロナ禍真っ只中のため最期のお別れすらできず悔いる妹の気持ちが描かれています。


そうですよね…

コロナのせいで、亡くなった方と最期のお別れもできず、次会えたのは遺骨の状態って人も沢山いるんですもんね…。。

最期にひと目顔が見たい、手を握ったりして直接お別れが言いたい、という当たり前のことが出来なかった人たちがいるんですよね。

亡くなった方も、身内の誰にも看取ってもらえず一人でひっそりと旅立つしかなかったというのも寂しいです赤ちゃん泣き

当たり前のことが当たり前に出来なかったんだよなぁ、あの頃は…と、このお話を読んで改めて気付かされました。



身近な人の死について、それも今現在健康な人の死について日々考えるなんて不謹慎だと思われそうですが、自分はよく考えてしまいます。

というのも、自分も周りの人もいつ何が起こるかわからないし、いってらっしゃいと見送ったのが最期だったということも在りうると思うんですうさぎ

自分も周りの人も健康に生きていることが当たり前だと思わず、今日が最期だったとしても後悔のないように接しようと、毎日戒めのように思っています。


特に子供に対しては生まれてからずっと思っていますね~。
生まれたての赤ちゃんの頃から、朝起きたら死んじゃってたら…食べたごはんが寝てる間に詰まって窒息してたら…熱がこのまま下がらなかったら…保育園でなにかあったら…等々いつも思っています赤ちゃんぴえん
子どもだけじゃなく、(自分が)信号待ちの間に車が突っ込んできて死んだらどうしよう、もう二度と子どもに会えないかもしれない、さっきのバイバイが最期になるかもしれない、と考えたりもします。
自分でも不謹慎なんじゃないかと思うのですが、おかげで毎日悔いのないように過ごせてはいます汗うさぎ




死んでしまったら、誰に想いを伝えることもできないからなあ。死者の気持ちを知ることもできない。
こう思ってくれたらいいな、きっとこう思っているに違いない、そういう生者の想いが実体化したのが”ぎょらん”なんですね。
 "ぎょらん"、遺してもらいたいとは思わないけれど、子供には遺してあげたいなと思う昇天

かけがえのない存在だよーーー!!大好きだよーーー!!ということを伝えたいな〜。。