考えごとしたい旅 フィンランドとシナモンロール
益田ミリ
2024/01/30
★ひとことまとめ★
旅行中っていろんなこと考えるよね
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【Amazon内容紹介】
ベストセラー『美しいものを見に行くツアーひとり参加』の著者が綴る、
「食べて」「「歩いて」「考える」フィンランドひとり旅の記録。
温かいコーヒーとシナモンロールを頬張りながら、通りを歩く人々をぼんやりと眺める。
そして考える。時間とか、人生とか、自分について。
1章フィンランドの空の下で考えたこと 2章未来から今を懐かしむ 3章自分の直感を当てにして生きる
イラストと写真満載の心が自由になる旅エッセイ。
【感想】
また益田さんです
海外旅行なんてしばらく行けないけれど、旅行気分だけでも味わいたい
タイトルにあるシナモンロールって、スウェーデンが発祥なんですね。
IKEAにシナモンロールがあるのもそれでか〜
フィンランドはスウェーデンのお隣なのでシナモンロールも多いのかな〜
フィンランド、私が知ってる事前情報としては
・ムーミン
・サウナ
・マリメッコ
くらいでした
イッタラ、アラビアもフィンランドだったのか〜!
最近アラビアのこのお皿を手に入れました
以下メモです
・かわいい雑貨ももちろん欲しくて買うのだけれど、以前ほどではなくなった。今はむしろ、家にあるものを少しずつ手放し、すっきりしたいのである。(P37)
・買えても、買えないのがわびしかった。(P127)
→年齢によって旅の楽しみ方もおみやげも変わってきますよね。
学生の頃だったら、可愛い!買っちゃえ!でなんでも買っていたと思うけれど、この年齢になると「本当に使うか?」「家のテイストに合うか?」とか色々考えた結果買わない、ということが増えてきました
経済的に買えるようになっても、もう買えない(今の自分には合わないから…)。
本当にいつも思うけれど、もっと学生のうちに色んなところに行っておくべきだったなあ
・わたしを知る人間も必ず死ぬ。なにも残りはしない。
そう思っていた頃もあったけれど、今は、少し違う。出会った人たちの中にもわたしのかけらは残り、わずかでもこの世界に反応し続け、原型を留めずとも消えずに伝わっていく。
そんな風に感じる。わたし自身もそういうものだと思う。 読んだ本、観た映画、詩、 絵画、たくさんの会話。
ぼんやりと影響を受け、混ざり合い、わたしという人間になっている。 わたしは、わたしだけでは出来上がっていない。
かけらは、さらに砕かれ小さくなりつつ、しかし、 残りつづけるのではないか。(P51)
→祖父母が亡くなったときに同じようなことを思いました。
90年近く生きた人間がこの世から消える。その人が生きた証拠は、遺された人たちの記憶にしか残らない。さらにその人たちもいなくなったら、もう誰も覚えている人はいなくなる。
ですが最近、子供を産んで少し考えが変わりました。
たしかにあと数十年もすれば、自分や兄弟・従兄弟以外、祖父母を覚えている人はいなくなるのかもしれない。
けれど、遺伝子として受け継がれていく。
祖父母がいなければ、母も私も私の子供も産まれていなかった。
私や私の子供のなかにも、DNAの一部として祖父母は存在し続ける。
そういう意味で、自分たちの一部として残り続けていく。
益田さんが言っていることも確かになあと思います
同級生、かつて好きだった人、お気に入りの曲、お気に入りの映画、好きな小説。
そういったものの影響を少しずつ受けて、私が出来ている。
考え方も、今の生活もそう。
いろんな人、物のかけらで私は出来上がっている。
・教会の照明は、最初、夜空のたくさんの星に見えた。しかし、次第に「音符」のように感じられた。空間に漂う光の音符。そのせいでなにも聞こえないはずなのに、リズムを感じるのではないか。(P58)
→ミュールマキ教会きれいだなあ〜。
静寂の中、ぽつんと佇んで照明を眺めていたい。
(画像はこちらのブログからお借りしました。)
・「もう二度と来られないかもしれないし」
という思いに支配されるのはしょうがないことだとも思う。自分の人生が、どのあたりまできているのかはわからないのである。(P75)
→人生何が起こるかわからないですからね。
もう一度、は無いものと思ったほうがいい。
行きたい国もいついけなくなるかわからない。
国の治安が悪くなったり、戦争などで行けなくなる場合もある。
見ておきたいもの、行きたい場所は行けるうちに行ったほうがいいのだと、最近特に思います。
・旅に出ると、いつもより「死」を思う。
(中略)たとえば、私が長生きして、突然、死を迎えるのではなく、ゆっくりと死んでいくのならば、その時ベッドの上でこの旅の日を思い出すのだろうか。(中略)
わたしは、まだここにいるのに。元気でいるのに。なぜだろう、未来から、この今を懐かしんでいたのだった。(P132)
→私もよく未来から今を懐かしく思う癖があります。益田さんも同じように考えるんだなあとなんだか嬉しくなりました
子供の時から、いつか今を懐かしく思うんだろうな〜と考えることが多かったです。
学生時代彼氏とのデート中でも、「いつか今日を懐かしく思う日が来るんだろう」と思ったりしていました。
なんとなく、いつか思い出すときはこの彼とはもう一緒にはいないんだろうなあ、とも思ったり。
子育てしていると毎日思いますね。
いつか子供が大きくなったとき、今の日々…赤ちゃんだったころの日々を思い出すんだろうなぁと
よく、出生時の体重と同じお米とかぬいぐるみとかを結婚式で親に渡す、ってのを見たことがありますが、出産する前は全く感動しなかったんですよね。
けれど、今ならわかる…。
例えそれが何十年先に貰ったとしても、一瞬で産まれたあの日のわが子を思い出すと思うw
・人生には限りがある。別れる場所があれば別れる人もいる。(P152)
最近、もしかしたらこの人とは人生でもう二度と会わない・会えないのかも、と思うことが増えました。
SNSで友人や同級生をフォローをしていると、みんなのことがとても身近に感じるのですが、よくよく考えてみたら卒業以来会っていない人が多くて。
卒業以来ってことは、高校だったらもう15年以上会っていないことになります
身近に感じているけれど、現実ではもう二度と会わないのかもしれない。
大学の友人でも、Uターンで実家に戻ったり、結婚出産育児でなかなか容易には会えない人達がいます。
結婚式とかそういう機会がなければ、おそらくもう会えないのかもしれない。
二度と会えないのかも、と思うと、会えるうちに無理してでも会っておきたいと思ってしまいます
人生何があるかわからないし、いつ誰に何が起こってもおかしくない。
あの時会っておけばよかった、あれが最後になるなんて、と後悔する前に、行動したいなと思います
30代ももうそろそろ後半…。
人によっては健康に問題が出てきてもおかしくない年頃
行きたかった、やりたかった、会いたかった、そういうのをできるだけ減らしていきたいなと思います。
フィンランド、おそらく私は人生で行くことはないんだろうなと思います
北欧とかヨーロッパとか、憧れる気持ちはかなりある。
けれど、実際に行くかと考えると、無理かなと。いや、行こうと思えば行けないことはないんですが、多分行かない
東南アジアとかリゾート地に行きたい気持ちのほうが強いんですよねぇ。
最近、マリメッコに興味があって
エプロンとかカップとか可愛いなあ〜。。
けれど、カップって壊れない限り増える一方になってしまうので、家の収納を考えるとそんなに持てないし…
ほしいけれど、うーん、と思ってしまいます
買えるお金はあっても、買わなくなっちゃうんだよなあ
悲しみ。。