推し、燃ゆ
宇佐見 りん
2021/01/23
★ひとことまとめ★
推しがいる・いた人には共感ができるお話
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【Amazon内容紹介】
【第164回芥川賞受賞作】
逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。アイドル上野真幸を“解釈”することに心血を注ぐあかり。ある日突然、推しが炎上し――。デビュー作『かか』が第33回三島賞受賞。21歳、圧巻の第二作。
【感想】
今日もとっても寒いですね~。。雪の予報ですが、今のところは雨です
最近イチゴがたくさんスーパーにあるので、イチゴを買ってきてイチゴ飴を作ってます
お鍋でやると大惨事(鍋に固まったべっこう飴がべったりつくので洗うのが地獄)ですが、耐熱カップに砂糖大さじ2、水を小さじ1入れて混ぜずにレンジで2~3分温めると、楽に飴が作れました
温める時間はワット数にもよりますが、私の家のレンジは600Wで2分半くらいでした
水分をふき取ったフルーツを飴にくぐらせてから、クッキングシートの上で冷ますと、成功してたらカチカチの飴になります。失敗だと固めの水あめって感じです。(食べられなくはないです)
冷めるとコップについた飴もガッチガチに固まりますが、そこにお湯を注いでコーヒーを作ったり、紅茶を作ったり、ホットミルクを作ったりすれば、飴は溶けるので洗うのも簡単になります
さて、こちらの作品は第164回芥川賞受賞作ということで読んでみました
21歳での受賞は、綿矢りささん、金原ひとみさんに続く過去3番目の若さです
才能があふれていて羨ましい…
まず、芥川賞と直木賞についての確認ですが、
芥川賞は純文学の新人賞であり、「学問のための文章でなく美的形成に重点を置いた文学作品」という基準で選ばるため、話の筋の重要性・面白さよりも、いかに芸術的かというところに重きを置いている賞です。
直木賞は大衆文学の文学賞で、無名~中堅作家に与えられます。「娯楽性」「商業性」を重きを置いており、話の筋や、その面白さが評価されます。
芸術性に重きを置いているのが「純文学」であり芥川賞。それとは逆で話の面白さ・娯楽性に重きを置いているのが「大衆文学」であり、直木賞。
なので、私の純文学のイメージとしては、特にオチもなく、淡々と日常・ストーリーが進んでいく感じ。けれど、文中での比喩表現や心情表現、景観の表現などの言い回しは素晴らしく、言語表現するとこうなるのか~と感心します。
けれど、私はどうしてもオチを求めてしまったり、ストーリー性を求めてしまうので純文学は少し苦手です
あらすじですが、
小説のタイトル通り、推しが燃えてしまう(=炎上してしまう)話です。
女子高校生のあかりは、周りの人々が難なくこなせることもままならず、日々その皺寄せに苦しんでいた。
ある日あかりは子供の頃に見に行った舞台ピーターパンのDVDを何気なく再生した時、そこに映るピーターパン役の少年に目を奪われた。
調べてみると、すでに少年から青年になっていた彼は、アイドルグループ「まざま座」のメンバー「上野真幸」だということがわかり、その日からあかりは彼を”推し”始める。
”推し”に対するあかりのスタンスは、作品も人もまるごと解釈し続けることだった。
”推し”の見ている世界を見たかったあかりは、”推し”のインタビューやラジオなどをすべて文字に起こし、あかりなりの解釈を日々ブログに綴っていた。
あかりの生活の中で、推しを推すことは絶対であり、”背骨”であった。
あかりは他の余計なものをすべてそぎ落として”背骨”に集約する生活を送っていた。
そんなある日、あかりは”推し”がファンを殴ったらしい、という情報を目にする。詳細が何一つわかっていないにも関わらず、”推し”は一晩であっという間に炎上してしまった。
炎上したことなど気にせず推し続けるあかりだったが、あかりを取り巻く環境や、推しの環境は少しずつ変わっていく…。
この本を読んで真っ先に思い出したのが、学生時代ジャニーズの某メンバーを推していた、同じ塾の友人(同級生くらいの関係性でしたが)のことです。
ある日の塾の授業中、急にその子が取り乱し泣きだしてしまい早退して、翌日の学校も休んでいたと思います。
なぜそうなったかと言うと、授業中に”推し”が未成年飲酒をしたため芸能活動を停止するという会見orニュースを目にしたからでした。
あの時期あのグループ・メンバーは一番勢いがあったと記憶しているのですが、そんな中芸能活動停止になってしまったので、ファンは相当ショックを受けただろうなあと感じました。
私自身も学生時代今は解散してしまった”WaT”(ウエンツ瑛士and小池徹平)を推していました。
きっかけはデビュー握手会で、それまでは小池徹平のファンだったのですが、握手会で実際にウエンツ瑛士を見たときに肌の白さとハーフゆえの瞳の綺麗さにすっかり心奪われ、そこからは瑛ちゃん推しになりました。
私はあかりほど全力をかけて推していたわけではなく、買える範囲でCDを買い(初回限定版、通常版と何枚もあれば、すべて1枚ずつ買っていました)、行ける範囲でライブに行っていました。(遠征はしない)
WaTのサークルのようなものにも入っており、その当時は年齢も出身も違うサークルのメンバーたちとメールしたり、チャットしたり、カラオケに行ったり、ライブに行ったり…今思い返すと楽しかったですね
NHKホールのライブで最前列が当たったり、横浜のライブで瑛ちゃんの投げたタオルをキャッチしたり、色々楽しかった思い出があります
小池徹平もウエンツ瑛士も特にスキャンダルもなく、のほほんとファンを続けていましたが、大学に入り他にも色々なことに興味が出てきたことで、推しへの興味は自然とフェードアウトしていきました。
そうして私の”推し”活動は終わったのですが、炎上してもスキャンダルがあっても、なにがなんでも”推し”を推す、というファンはすごいなあと思います。
このお話の主人公あかりは、文中にも「ふたつほど診断名がついた」(P9)と出てくるように、病気を抱えています。みんなが普通にできることができないというところから、発達障害なのかな?。アスペルガー、学習障害など?
私の友人もそうでしたが、こういう症状があると学校生活はとても難しいですよね。掃除が苦手だったり、集団行動が苦手だったり…。
こだわりが強いという一面もあり、あかりにとってはそれが”推し”を”推す”ことなのかなと。
自分のことを理解してくれる人が周りにはいないあかりにとって、”推し”の存在を愛でることが幸せであり、傍から見てそれが見返りのない関係に見えたとしても、ただ”推し”を”推せる”だけで満足だった。
病について、友人、先生から理解されないのはまだしかたないかもしれないですが、家族からも理解されないというのは相当しんどいですよね。なぜできないの?なんで?と言われても、本人だってやろうとしてもできないわけですからね…。。。
純文学なので、すっきりとしたオチはありません。その後あかりは一人で生活をしていけたのかと心配になるような終わり方でした。
這いつくばって生きていこうという前向きな気持ちを感じられましたが、そうは言っても中卒で特に職歴もなく、いままで生活の基盤になっていた”推し”の存在もなくなったあかりが、他に熱中できるものを見つけられたのかな~と心配になってしまいました。
純文学が苦手な私でも、この作品はタイトルからしても今風でとても読みやすかったです。特に、いま”推し”がいる方、かつて”推し”を推していた経験のある方は共感できるのではないでしょうか