むらさきのスカートの女
今村夏子
2019/11/20
★ひとことまとめ★
解釈の仕方が分かれる作品です
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【Amazon内容紹介】
近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で働きだすように誘導し……。
【感想】
おすすめされていたけれど、なかなか読めずにいたこの作品
私のお客様で、読書がとても好きで趣味でご自身でも作家として作品を書かれている方がいるんですが、その方から「むらさきのスカートの女読みたいの?ならTRIPPER貸してあげる」とのことで貸していただきました
作品のあらすじは、
”わたし”の住む近所には「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。いつもむらさき色のスカートを穿いているためそう呼ばれている。
むらさきのスカートの女は近所ではちょっとした有名人であり、大人だけでなく子供にもその存在を知られており、子供たちの間ではむらさきのスカートの女に声をかけたり、肩にタッチするような遊びも流行っている。
”わたし”はむらさきのスカートの女が気になってしょうがなく、むらさきのスカートの女と友達になりたいと長いこと思い続けていた。
むらさきのスカートの女と友達になるため、むらさきのスカートの女の日常生活を調べ上げ、むらさきのスカートの女の行動パターンや生活リズムを把握する”わたし”。
むらさきのスカートの女が”わたし”と同じ職場で働くことになれば自然に友達になれるのではないかと考え、むらさきのスカートの女に”わたし”の職場の求人情報が目に入るように影で画策する。そんな日々が功を奏し、むらさきのスカートの女が”わたし”の職場の面接に合格し、ホテルの掃除スタッフとして働き始めることになる…。
読み終わったあとの率直な感想は、「どういうこと?」でした笑
いろいろ考察があって、本を貸してくださった方は「”わたし”=むらさきのスカートの女(or妄想)」というような解釈で、同じような解釈もネットにも書いてあって。
けれど、私はどうしても”わたし”(=黄色いカーディガンの女)とむらさきのスカート女がイコールだとは思えないのと、妄想でもないんじゃないかな~という印象を持ちました
でも、”わたし”があまりにもむらさきのスカートの女について詳しすぎて、これは自分のこと(二重人格?)なのか…?と思うほどなんですよねえ…。
ストーカーも真っ青のストーキングっぷり…。
はじめは”わたし”がむらさきのスカートの女?って思ったけれど、話が進んでいくうちに「権藤」っていう”わたし”の名字も出てくるし…。”わたし”とむらさきのスカートの女は別の人物っていうのがはっきりと書かれているけれど、にしては詳しすぎるんだよなあ…。
きっと、”わたし”の普段からの早退遅刻無断欠勤も、すべてむらさきのスカートの女をストーキングした際のものだろう…。。
そんでちゃっかりむらさきのスカートの女のせいにしてるけど、バザーに出したのは”わたし”だろうが…。
読んでいればわかるけれど、”わたし”はむらさきのスカートの女に注目しているけれど、”わたし”こそ結構やばい人だと思うんだよね…。
無銭飲食、物は盗む、器物損壊、無断欠勤、そんでストーキング…。職場でもみんなの話題に”わたし(権藤)”の名前は全然出てこないし、いても気づかれない存在…。
それに対して、むらさきのスカートの女は昔に比べてどんどん明るくなり血色も良くなっていき、職場にも馴染んでいく。
なんというか、”わたし”はむらさきのスカートの女と友達になりたいとは言っているけれど、そこにはどこか「自分より下の人間を助けてあげる、救済してあげる」みたいな、私がなんとかしてあげる、みたいな気持ちが透けて見えるような気がする
けれど、むらさきのスカートの女は”わたし”が考えているよりタフだったから、どんどん上のカースト(という言い方でいいのか?)にいっていってしまい、手助けができなくなっていく。
そんなときにチャンスとばかりにむらさきのスカートの女にトラブルが起きて、とうとう”わたし”にむらさきのスカートの女を助ける機会が訪れ、むらさきのスカートの女を助けることに成功する…。
”わたし”の当初の目標(友達になると言ってるけど、実際は彼女を助けてあげる、だと私は感じた)は達成できて、”わたし”はまた一人ぼっちに戻るけれど、”わたし”の本当の望みは、むらさきのスカートの女みたいに、周りに認知されたい、自分がここにいるということを知ってほしいってことなんじゃないのかな~って思いました
自分と同じような、ちょっとあぶれている人(むらさきのスカートの女)に自分を投影しているというか、私ならわかってあげられるというような気持ちで接して、相手を救っているようでいて実際は自分を救っているような…。
ラストの数行でどういうことだ…?ってなったけれど、これも結局は、自分がむらさきのスカートの女側=注目される側になれたということなんじゃないかなと…。
でも、ストーキング行為も職場でのあれこれもすべて”わたし”の妄想でした、って片付け方も強引だけどできなくはないし、実はむらさきのスカートの女=”わたし”でしたってのもラストの数行を読んだだけだと思えるかも知れないし、なんともどう解釈したら良いのかは難しいんだけれど、まあそれぞれでいいのかなと。
私はそこまで詳しく読み込んで矛盾を見つけたり、自分の解釈のための証拠を探したりもしないから、私はこう思いました~(ざっくり)って感じだけれど、もしかするともっとこれだ!っていう解釈があるのかもしれません…
作品の感想は、読みやすい。異常なほどのストーキング&執着ぶりなのに、なるほどなるほどとサクサク読み進めてしまう不思議さがある。
今村さんの別の作品も今読んでいるんですが、同じように淡々と進んでいく感じ。結構ぎょっとする内容、ショッキングな内容が書かれているはずなのに、良い意味で響いてこないというか…次へ次へ進んでいくテンポが良いというか。
この作品を読んで、この作品が芥川賞獲ってる!すごい!メッセージ性を感じる!感銘を受けた!、かと言われるとそうではないんだけれど、なんだか不思議な感じなの~。
読みやすいのでぜひ読んでみてください
作品とは関係ないのですが、TRIPPERに井上荒野さんのインタビューが掲載されていて、そちらを読んで初めて知ったのですが、井上荒野さんのお父様の不倫相手が、瀬戸内寂聴さんだったんですね。瀬戸内寂聴さんが不倫していたってことは知っていたし、井上荒野さんのお父様が作家さんなことも知っていたけれど、そのお二人が不倫していたとは知らなかった
そして、その不倫の話を元にして出来上がったのが「あちらにいる鬼」という作品だそうです。
井上さんのインタビューで書かれていたんですが、不倫に対して固定概念があるひとは拒絶反応しがちだけれど、100人いれば100通りの不倫があって、当事者でなければ、経験してみなければわからない気持ちもあるということ…。
私は割と不倫は拒絶反応で無理!!ってなりがちだけれど、もう少し理解できるようになれればいいかなと。(本の世界の話ね、現実世界では不倫はやっぱり断固反対)
井上さんの場合は物心つく前に父親が不倫していて、しかも割と家族公認みたいな形で不倫していて…、なんとも複雑だったろうな~と。
だからこそ、絶妙な恋愛小説、心情が書けるのかな~って思ったりしました~