わたしって共依存?
河野貴代美
2019/06/08
★ひとことまとめ★
依存することは悪いことではないことは伝わってきます。
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【内容紹介】
彼氏、女友達、母親、姉妹。いつも誰かがそばにいないとさびしい。週末の予定がうまらないと不安。これって「他人依存症なの?」
誰かから離れられない自分を「他人への依存症?」と不安に感じる人に、それは心の病ではなく、人はみんな人に依存しながら生きるもの、みんな心地よい関係を探している、とアドバイス。「ベティブルー」「誰も知らない」などの映画や、「対岸の彼女」(角田光代)「肩ごしの恋人」(唯川恵)などの小説の共依存関係を見ながら、「関わり恐怖」を解きほぐし、人と関係を持つ勇気と心地よさを力強くススメてくれる1冊。誰かに頼り頼られるってスバラシイ!
【感想】
なぜ急に共依存について読もうかと思ったかというと、恋愛コラムみたいなページを見ていたときに、伊藤明さんの「恋愛依存症: 苦しい恋から抜け出せない人たち」という本が紹介されていて、読んだんですね。そこで、共依存が紹介されていて。
以前の私の恋愛がまさに依存状態で、まわりにはずっと別れを薦められていても別れられなくて。ひどいこと言われても傷つけられても、わかってあげられるのは私だけだって思って耐えてた。という経緯が過去にあるため、読んでいてほぼ最初から最後まで私の胸に突き刺さる本だったんですね。超プライベートな話が盛りだくさんになっちゃうので感想としては書きませんが。
そこから、共依存について知りたいと思うようになって、この本を手に取りました。
結論から言うとこの本は最後まで読めませんでした。というか内容を飛ばし飛ばしで読んだので、全部きっちりと読めば感想が変わるかもしれませんが、6割くらい読んで感じた感想を…というかもう作者さんと私の考え方が違うから、書かれている内容にもすべて同意ができないから否定的な感想になってしまうのだけれど。
まずAmazonの内容紹介にあるような、「誰かに頼り頼られるってスバラシイ!」みたいな気持ちには絶対なりません。
この本は、
・あらためてこの共依存をめぐる状況を、わたしなりの視点で一度整理したほうがいいのではないか(P14)
とあるように、あくまでも作者さんの”視点”や”意見”が中心に書かれています。
解決策だとか、苦しみに寄り添う感じではない。もちろん、「わかるよ」の姿勢ではあるけれど、「でも私はさ~」って続いてく感じかな。あくまでも、共依存に対して私見を述べるだけ。こう思うという。
どちらかと言うと、共依存って何?とか、「わたしって、共依存なのかなあ?(特に深刻に悩んだことないけど)」みたいな人向けかな。実際にものすごく苦しんだ人、いま現在悩んでる人が読んだとしてもなんの解決にもならないし、むしろ突き放されたように感じるかも。
すごい雑に言うと「めっちゃ悩んでる~って思ってるかもしれないけど、人間みんなそんなもんだから!平気平気!」「私もわかる~でもみんなそんなもんじゃないかなあ?☆」って内容を、心理カウンセラーの立場から丁寧に述べている感じかな。読んでいるこちらからすると「だからなんだよ」でしかないから、悩んでる人がそもそも読む本ではないのかも。
内容としては、ざっくりとまとめると、心理学の中で定義されている”共依存”と、いまわたしたちが悩んでいる”共依存”は別物なのではないかと言うこと。
心理学の中の”共依存”はきちんと定義されているため、もちろんその定義に当てはまらなければもちろん真の意味の”共依存”ではない。ちなみにその定義も本書にかかれていますが、おそらく多くの人は全ては当てはまらないと思います。
ということは、いまのわたしたちの悩みは”共依存”には当てはまらないということ。けれども、確かに近い悩みは抱えている。じゃあそれは”共依存”ではないけれど、”共依存的”くらいにとどまるのでは?と言うこと。
これには同意というか、定義が絶対なのだから、どう反論しようが定義に当てはまらない人は”共依存”ではない。ようは”共依存っぽい”状態。そういう意味ではこの作者さんのスタンス、「共依存って言ってるけどあなたは共依存ではない(だって定義にあてはまらないでしょう?)」は確かにそうです、なんだよね。
ただ、問題は、”共依存的”な人はじゃあ何なのかってところで。
・基本的に依存しあわなければ生きていけないわたしたちの運命において、「人が人と依存しあう関係」の否定であるような強いメッセージが、現代になって多くの人々に「こんなに他人を頼りにするのは、病的な依存になるのだろうか」という迷いと不安をもたらしているのではないかと思うのだ。(P21)
・わたしたちは、あまりにも分類・分析されることになれてしまい、自分の不安な状況に名前がつけられることで、「これはよくある関係、状態なんだ」という安心感を得たいのではないだろうか。(P61)
→これは私の意見だけど、別に自分の悩みに名前がつけられたり、カテゴライズされるから安心ってわけじゃないと思うんだよね。たしかに、分かる部分もあるけれど。
自分の今抱えてる悩みはどうしたら解決できるのだろうって悩んで、調べに調べてみたら共依存というワードに出会う。共依存について調べてみると、自分に近い気持ちの人が多くいることを知る。(安心!!!)
作者さんはここで予想?をストップしてるけど、実際私が感じるのは安心なんかではなくて、どうしたらいいのか、どうしたらこの苦しみを少しでも軽くできるのかということであって、自分の今の悩みに名前がついたところで安心なんて全然しない。
正直、みんなもそうだからって言われても、だからなんだよでしかないんだよね。
例えば、お金がない!、私もない!、みんなないんだ!じゃあ平気かあ~☆ではないじゃん。そうは言っても、将来のことを考えると貯めないといけないよね、どうしたらいいのかな?が知りたいわけで。
あれぇ、私って変なのかなぁ??あ、でも多くの人もそうみたい☆なんだよかったぁ~☆(安心)でストップするやつは、そもそもこの本だって読まないだろう。
ただ、わかりますよって部分ももちろんあって。
・他社を持ってしても空虚さは埋まらない。他社以外の何に依存しても、人間が本来持つ「空っぽ」を埋めることにはならないのだ。(中略)対極にある感覚を「充実している」とでも言うとすれば、そういう人の「充実」とは何だろうと思う。虚無感や挫折感、無力感はどこにでも転がり、いつでも目の前にあらわれる。もしそうでないと言うのなら、そういったものを見ないようにする、感じないようにする、いわば「こころのカバー」をしているからではないだろうか。(P71)
→みんな誰しも”共依存的”になりうる素質はあって、”共依存的”に全く見えないような充実した人だって、それは心のカバーの仕方がうまいだけで、本来は同じような素質があるんだよってこと。それは確かにそう思う。同じような境遇で育った人たちだって、かたや就職してきちんと社会人送ってるかもしれないけど、かたや嫌気がさして無職とか、心のカバーの仕方というか、自分のごまかしかた?受け止め方?とかによって、将来も全然違うと思うし。
ただね、だからなんだなんだよね。わかってます、って感想。
共依存的な小説とか映画の内容も織り交ぜて意見を述べられているんだけど、あくまでも「共依存的ってよくあることですよ!みんなポテンシャル持ってますから!私もポテンシャルあるし。」という私見でしかないから、そうですか、の感想にしかならなかった…。
だから、共依存的な人の悩みに寄り添う本ではなく、共依存って本当はこういうことだから!あなたたちは共依存ではなく共依存的!そして共依存的なポテンシャルはみんなが持ってるからあなただけじゃない、という意見がただただ述べられている本なので、本当に悩んでる人が読んだとしても得られる感想は「そうですか」の一言だと思うんだな~。
むしろとてつもなく自己肯定感の低い自分が読んでいると、「共依存って言うけどさw本当の共依存の定義知ってる?w当てはまらないでしょwそれ共依存じゃないからwただ共依存っぽいってだけw共依存って言っとけばカテゴライズされて安心とか思うんでしょwみんなそうだからwあなただけじゃないよ~?w」みたいに否定されてるような煽られてるような気分になるので、おすすめしないです。
心理カウンセラーが正論を述べて、はい論破~な本に思えてしまって、最後まで読めなかった…。
最後まで読めば印象もまた違ったのでしょうか。