98冊目:ぼぎわんが、来る | 【読書感想文Blog】ネタバレ注意⚠

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ぼぎわんが、来る

澤村伊智

2018/12/23

 

 

★ひとことまとめ★

怖いのは人間…。

 

 

↓以下ネタバレ含みます↓

 

 

 

 

 

【Amazon内容紹介】

映画化決定! 全選考委員が絶賛した第22回日本ホラー小説大賞受賞作!

中島哲也監督による映画化決定! 空前絶後のノンストップ・ホラー、待望の文庫化!
映画タイトル:「来る」 公開:2018年12月 配給:東宝 
出演:岡田准一 黒木華 小松菜奈/松たか子/妻夫木聡
幸せな新婚生活を営んでいた田原秀樹の会社に、とある来訪者があった。取り次いだ後輩の伝言に戦慄する。
それは生誕を目前にした娘・知紗の名前であった。原因不明の怪我を負った後輩は、入院先で憔悴してゆく。

その後も秀樹の周囲に不審な電話やメールが届く。

一連の怪異は、今は亡き祖父が恐れていた“ぼぎわん”という化け物の仕業なのか?

 

愛する家族を守るため秀樹は伝手をたどり、比嘉真琴という女性霊媒師に出会う。

真琴は田原家に通いはじめるが、迫り来る存在が極めて凶暴なものだと知る。はたして“ぼぎわん”の魔の手から、逃れることはできるのか……。
“あれ”からは決して逃れられない――。綾辻行人・貴志祐介・宮部みゆきら絶賛の第22回日本ホラー小説大賞〈大賞〉受賞作!

 

 

【感想】

知り合いが映画、「来る」を絶賛していたので、電子書籍で買って数時間で読み終えそのまま映画見てきました!

なので今回は映画との比較になります。

映画のネタバレ見たくない方は見ないほうが良いかと!

 

 

まず、このお話の始まりである第一部。

祖父母の家で留守番中に、幼少期の田原秀樹が対応した奇妙な来訪者。祖母の名前を呼び、何十年も前に亡くなった伯父の名前、そして祖父の名前を呼んだ。

普段うわ言しかしゃべることのできないはずの祖父の怒鳴り声で、来訪者は消え失せる。

 

祖父の死後、葬儀の際に祖母の語った、「ぼぎわん」の存在。

それは祖父が生前言っていたことで、

「それが来たら、絶対答えたり、入れたらいけない。」

「捕まったら山へ連れて行かれる。」

 

そんな出来事から25年以上が経ったある日、後輩の高梨から職場に自分を尋ねる来訪者が来ていると告げられる。

来訪は、誰にも告げていないはずの、もうすぐ生まれる予定の娘の名前「チサ」を口にしたという。

秀樹は様子を見に行くも来訪者はいない。

高梨に再度尋ねると、秀樹の目の前で高梨は苦しみ出し血を流し倒れる。

そのまま高梨は体調を崩し、みるみるうちにやつれていき、会社を辞めてしまった。

高梨の父親に聞いてみると、その傷口はなにかに噛まれたようであるらしい…。

 

 

そんな一件があったが、娘が生まれると高梨のことは頭の隅に追いやられ、育児や家族を守ることを率先し、イクメンとしてパパ友会など開き充実した毎日を過ごす。

しかしそんなある日、家に帰ると部屋が散乱しており、ぼぎわん除けに買い漁ったお守りはすべてズタズタに切り裂かれ、台所にはうずくまり泣きわめく妻・香奈と娘。

とうとうぼぎわんが来たのだ…。

 

ぼぎわんから家族を守るために学生時代の友人の民俗学者・唐草に助けを求め、オカルトライターの野崎を紹介される。

野崎の彼女・真琴には霊能力があるようで、まずは彼女に見てもらうことに。

そんな彼女に言われた言葉は、

「家に帰って奥さんと子供に優しくしてあげてください」

 

自分は精一杯妻も娘も愛しているし、優しくしている。

なぜそんなことを言われなければならないのかと憤慨し、その場をあとにする秀樹。

 

 

後日、野崎と真琴が先日の発言を侘び、まずは調査をさせてもらえないかと秀樹の家に訪問する。

週に一度彼らは来るようになり、塞ぎ込んでいた香奈も徐々に明るくなり、娘の知紗も真琴たちに懐くようになっていった。

真琴や野崎が訪れているある日、ぼぎわんが来訪する…。

なんとか真琴の力で事無きを得るが、真琴の姉、霊能力者の琴子から連絡があり、ぼぎわんがかなり凶悪であるということを告げられる。琴子の協力もあり、有力な霊能力者を集めて何とかぼぎわんの対処をしてもらうことになる…。

 

って感じでお話が進んでいくんだけれど、

まずここまでで映画と違うところ。

映画では「チサ」がそもそもの元凶のように語られているけれど、原作は「ぼぎわん」が原因です。

海外でお化けの総称として呼ばれる、「ブギーマン」。そこから由来しているのではないかと言われる、「ぼぎわん」。

あと、野崎は真琴のことかなり乱暴に扱っているけれど、原作でそんな表現はない。むしろ、大切に思っている。

真琴と琴子の関係もそう。琴子は真琴のことを馬鹿になどしていない。姉妹愛がきちんと伝わってくる。

映画ではこのあたりが逆というか、ごっそり抜けているから残念だったかな。

 

 

そして、続き。

 

琴子から紹介された有力な霊能力者たちとは、ぼぎわんの力に気付くと恐れをなしてしまったのか、会うことができなかった。

最後の人物である、逢坂勢津子が危険を承知で引き受けてくれたので、喫茶店で野崎と秀樹の三人でぼぎわんを待つことに…。

しかし、知恵をつけたぼぎわんにまんまとやられてしまう逢坂。。この部分はめっちゃ痛そう…。

逢坂さんほんととばっちり…。ぼぎわん賢いな…。

その際、ぼぎわんは秀樹の声で

「うるさい!たかが一人産んだくらいで偉そうにするな!」

と怒鳴る。そう、秀樹はイクメンのように見えてほんとはモラハラ夫だったわけです。

 

息も絶え絶えな逢坂に家族のもとへ行くように言われた秀樹は家に向かうタクシーの中で、琴子からの電話を受ける。

ぼぎわんは自分(秀樹)を追っていると、そしてもう絶対に逃げられない、と。家族ともう二度と会えないかもしれない。

けれども、呪術をつかって迎え撃てば、ぼぎわんを遠くに追いやることができるかもしれないと。

また家族と会うため、琴子の言うことを全力で信じ切り、指示をこなしていく秀樹。

しかし、その電話をかけてきたのは…

 

ここはものすごく絶望した…。体の力が抜けてく感覚になるわこれは。ぼぎわん本当に賢すぎる。

映画でもそうだけれど、もう泣き崩れるしか出来ない。。

 

映画では逢坂さん生きてるけど、原作では死にます。

あと高梨(同僚)さっさと死んだことになってたけど、原作ではもうちょっと生きてます。

 

 

第二部は、香奈のパート。

傍からはイクメンに見える夫・秀樹だが、実際は大きな子供と同じだった。何もわかってくれない。

知紗が楽しみにしていたママ友夫婦との食事会も秀樹にキャンセルさせられた。

そんな時、秀樹がパパ友たちに配り歩いている「イクメン会社員」の名刺を発見する。

自分が育児をしている間、秀樹は遊んでいる。

香奈の怒りは爆発し、お守りをちぎり、ハサミで切り、部屋を散乱させた。←これを秀樹はぼぎわんと勘違いした

 

知紗が頭から流血する怪我をした時だって、秀樹は何もしてくれなかった上に、

「たかが一人産んだくらいで偉そうにするな!」と怒鳴った。

そのころから香奈は秀樹への愛情がなくなっていた。

 

秀樹の死と、唐草からの剣祓のおかげか、ぼぎわんはいなくなったかのように思えたけれど、娘の知紗を狙ってまたも香奈と真琴の前に来訪する。

 

ぼぎわんから逃げるために、新幹線に乗って知紗と逃げる香奈。

知紗がトイレに行きたいと言うので、トイレに入ると、なりひびくノック…呼ばれる知紗の名前…

来た…。新幹線に追いついて来た。。。

 

映画ではちょっとどころか、香奈はかなり嫌な嫁になってる。

唐草(映画では津田という名前になっている)と不倫してたけどそんなことない。原作ではむしろきちんと唐草からの誘いを断ってる。

 

最後だって、秀樹が命をかけてまで自分たちを守ってくれたことを理解している。

秀樹が命がけで守った知紗を自分も必死で守らなきゃと思う良い嫁なのに、映画ではただの不倫女になってるし(最期の最期は知紗を守ろうとするけどさ)死んじゃうし…すごく胸糞。。。

 

 

第三部はとうとうぼぎわん退治。

野崎、琴子でぼぎわんを追い詰めるのだけれど、そもそもぼぎわんとはなにか?というところが悲しかったなあ。。。


ぼぎわんはそうそう来るものではない。

呼ばないとあんなもの来ない。

では、そもそも誰がぼぎわんを呼んだのか?


まさか、秀樹の祖父母の代からの話とはね。

祖母が祖父を呪った結果、運悪くぼぎわんを

呼び寄せてしまったと。

祖父だけではなく祖母、孫の秀樹、曾孫の知紗まで追いかけ回す暴走っぷり。

秀樹と香奈は結婚後に子宝温泉に行ってるけど、それはぼぎわんとは関係ないのかな?

そこで秀樹はぼぎわんに見つかった?

それとも香奈がストレスで暴れたときにお守りを切ったから?

秀樹がちゃんと香奈や知紗を大切にしていれば、ぼぎわんは来なかったのかな。

ぼぎわんのしつこさを考えると無理そう。


秀樹が亡くなって一度いなくなったぼぎわんが、なぜまた香奈や知紗のもとへ来るようになったのか?唐草があげた剣祓は効かなかった?

なぜならそれは剣祓ではなく、かつて秀樹の祖母がかけた呪い同様魔導符だったから。

唐草は自分になびかない香奈を恨み、呪ったと。

秀樹のことムカついてたなら、秀樹死んだんだからそれでいいじゃないか…夫亡くした妻に追い打ちかけるなよ…と思ったけれど、

あんな軽薄な秀樹に妻や娘がいるのに、自分にはいない。

さらに、秀樹はいなくなったのに、それでも尚俺になびかないなんて…!って爆発したのかな爆弾


ぼぎわんはなぜ子供を山に連れて行くのか。

それは逆で、口減らしとしてさらわれ、山に捨てられた子がぼぎわんになるから。

(ぼぎわんが子供を吸収?)

生贄が欲しいぼぎわんと、口減らしをしたい村人との利害の一致。

現代では口減らしなんて風習はなくなっているから、ぼぎわんへの生贄もなく、パワーも乏しくなった。

かろうじて残った口(や声?)を使って子供をさらいに来る、ってことかな。

だから、野崎や琴子が祓おうとしているぼぎわんもかつては人間の子供だったというわけ…。

祖父は呪われて死んだとして、祖母や秀樹は子供じゃなかったから殺されたのかな?

腹減ってるし食っとこ、みたいな。

そうすると香奈はなぜ食われずに済んだのだろう。

一応呪いの対象である田原家の血が入っていなかったからかな?


ぼぎわんがただ恐ろしい化物だというだけではなく、かつての風習が深く関わっていたとは。

お化けも怖いけれど、結局怖いのは人なんだなあ。

 

 

ここの第三部はもう映画とは全然違います。

別物。私は原作が好きです。

 

琴子と真琴のことや、野崎と真琴のこと、そういうのがさっきも書いたとおり映画では見事にカットされています。

琴子も野崎も改悪されすぎていて、どちらも人間的にクズにされている。。。

尺的にみたら仕方ないのかもだけれど、あれじゃ琴子が嫌な奴でしかない汗

琴子出てくる意味。鏡の意味。

そして逢坂さんも生きてる意味だし、なぜ秀樹も出てくる。。。成仏して。。

 

琴子なんてよくわからん血と戦っただけアセアセ

そもそも元凶が知紗になってるから、ぼぎわんの存在がすぽーんとなくなっている。

原作ではホラーならではのいや~な終わり方。

知紗、その寝言はぼぎわんが言ってた言葉だ。。

 

 

エンターテイメントとしては面白いのかもしれないけれど、感情移入ができない。派手だけれど、派手だけになってしまっている。

他のブログで「育児ホラー」と言われていたけれど、お化けではなく育児の闇みたいな映画でした。

そして、ぼぎわんは来ないから、映画のタイトルは「来る」(なんらかが)なんだろうなあと。

あとは取り敢えず血、血、血、血。

原作を読まず映画から見れば、そういう映画かと思えたかも知れない。

けれど、原作を読んでからだと、登場人物全員の人格を踏みにじっているというか、改悪されちゃってて、嫌な気持ちになっちゃったなあ赤ちゃんぴえん

 

なので映画を見る人は原作をまず読まないほうが良い。

映画をみてから、原作を読んでほしい。

絶対原作のほうが心にずっしり来るから。怖さも。

 

原作と映画の比較になっちゃったから長くなったけれど、本はとても良かった。シリーズ読みたくなった。

映画はホラー映画のジャンルだけど、ホラー映画じゃないかなあ汗うさぎ

育児疲れの人の話になっちゃってる。

けど配役はよかったと感じた〜。

イクメン(仮)な秀樹なんて、妻夫木くんぴったり!

妻夫木くんのあの爽やかさが逆に胡散臭くて良い!(褒めています)

 

考察ブログではないけど、別の方の考察ブログで書いてあってなるほどと思った点。

ぼぎわんが「ちがつり」って言ってて、何ちがつりって?と思っていたんだけど、どうやら「トリック・オア・トリート」なのではないかと言うこと。

ブギーマン(ぼぎわん)と同じく、海を渡って来た言葉をぼぎわんは覚えていて口走っているのではとのこと。

さおい、さむあんもハロウィンの元になったお祭り、サウィン、サムハインのことではと。


 

なるほどね〜

海から渡ってきて長いこと経つのに、まだそれらの言葉を覚えているのね。

 実際はどういう意味なんでしょうねヒヨコ