【Amazon内容紹介】
子供はいなくて、しかも夫と別居中で、ちょっと前まで契約社員で、今は職を探している弓子39歳。男とすぐに付き合ってしまうけれど、二股はかけない、不倫はしない、独身で休職中の楓41歳。ひょんなことから弓子の逃げた夫を探す、不惑女二人の旅路。
【感想】
寺地はるなさんの本が読みたくて手に取った。あとは、表紙の色合いがかわいくて!ピンクの空と、水色の海のイラストの感じが。
間もなく40歳、現在無職、夫とは別居中の弓子。そして、弓子の住むアパートのお隣さんの、これまた無職で41歳の楓。弓子と楓は服装とか、嗜好は違うけれど、お隣さんということもあって、ご近所づきあいが始まっていく。弓子と楓、それぞれのパートでお話が進んでいく。
ふたりとも仕事を辞めたタイミングということと、失踪中の弓子の夫の宏基が故郷の島にいたという話を聞き、ふたりは島に旅行に行くことに。弓子と楓は全然似ていないし、お隣さんだからまだいい距離感を保てているのかもしれないけれど、旅行に行くことになったときはうまくいくのか??と本気で考えてしまった。案の定お話の中でも性に対して奔放な楓と、真面目な弓子で喧嘩(?)になったりして。
友達って、似たもの同士が集まることもあるけれど、ぜんぜん違うからこそぴったりハマるときもあると思っていて。弓子と楓はきっと端から見たら”違うジャンル”だろうし、おそらく中学生・高校生くらいだったら同じグループになんて属していなかったかもしれないけれど、年をとったからこそ、同年代の同じ女としてわかる部分があるからこそ、お友達になれたんだと思う。中学生・高校生みたいな、趣味とか嗜好とか服装とか、そういうので仲良くなっても、趣味とか嗜好とか服装が変わったらきっとその友情って終わってしまうと思っていて。期間限定というか。やっぱりずっと長く続いていくのは、そういう上っ面の部分ではなくて、中身とか根本の部分でつながっている友情だと思う。
島で、泊まる家を貸してくれた夫の宏基のハトコの”シズ”と出会ったり、島の人達と触れ合ったり、夫を発見したり。特に、シズは弓子と楓とは対照的な人物で、”普通”とか、子連れ感を全面的に出してくるところとか、私も苦手だなあと感じてしまった。まあ、結果的にシズは色々ぶっとんでいて、弓子はそれに巻き込まれてしまうのだけれど。
40歳は不惑、考え方とかに迷いが生じない年齢と言われるけれど、きっとそんなことはなくて。弓子も楓も、たくさんいろんなことで迷ったり、躓いたり、傷ついたりしている。多分、自分もそうで。
子供のころ考えていた今の自分の年齢って、もっと大人で、なんでも1人でできて…って思っていたけれど、全然そんなことなくて。だけど、子供の頃よりは経験の数が圧倒的に増えているから、解決策とか選択肢とかがたくさん持てるようになって。たぶん何歳になったとしても、そうなんだろうな~と思う。何歳になっても、悩むことはあるし、辛いことも、つまずくこともあるけど、その分解決の仕方、前に進むための方法も増えていく。弓子と楓みたいに、もしかしたら1人じゃ解決できなくて、2人で解決することもあるかもしれない。
弓子にも楓にも、うんうん、って思うポイントはたくさんあって、そう感じた部分を幾つか載せる。
(弓子)
・わがままだとみんなに責められた私は、それでも別に傷つきはしなかった。わがままか、それがどうした、と思った。私は朝の連続テレビ小説の主人公ではないからみんなに好かれる必要はないし、私の人生は最長でもあと半分くらいしか残っていないのに「他人から、わがままで我慢がたりない人間だと思われたくない」とかっこうをつけている場合ではない。(P15)
・宏基と結婚した時、もちろん嬉しかった。それは、宏基が好きだったからというのももちろんあるけれども、もう新規の恋をしなくていい、という安堵も大きかったように思う。恋というのは、面倒なものだ。食べものの好き嫌いとか、インドア派かアウトドア派かとか、あと家族構成とか、預金残高とか、それらのことをすこしずつ探りあて、記憶に止めていかねばならない。性的嗜好のすり合わせも行わなければならない。(P41)
・なぜどうでもいい男の性の対象にされるかどうかで、女としても価値がきまるのだろう。私にはさっぱりわからない。追いかけていって言ってやりたい。お前がどういう目で見ていようが、楓さんは存在する価値のある1人の人間なんだよバーカ!と言ってやりたい。(P68)
・「もし」とか「こうだったら」などという言葉は、使わないに限る。仮定について、いくら考えたって意味がない。で私はいつのまにか、考えていた。もし私が宏基の子どもを産んでいたら。きっと私は今、ここにはいなかったのだろう。(P122)
・仕事をしていない今の状態で、私がいちばんつらいと感じているのは、金銭的な理由を別にすれば、身の置きどころの無さ、これにつきるのだ、とあらためて、今この瞬間に発見したのだった。「助かるわ」と自分以外の人間に言われるのは嬉しい。ものすごく大袈裟に言えば、私がこの世に生きてる意味、ちゃんとあるんですね、という気分になっている。(P130)
・泣かないことが強さだと思っていた。むやみに感情をあらわにしないことが大人のあかしだと思っていた。けれどもぜんぶ、役に立たなかった。私のやせ我慢は、誰も幸せにしなかった。自分自身さえも。(P167)
・普通の人生。そんなもの、どこにもない。手にしているように見える人でさえ、きっと違うのだ。内情はさまざまなのだ。(P186)
・ねえ、大人になっても、世界は自分の思い通りになんかならない。自由にやれることはすくない。大人になってからも、周囲の人はいろんなことを言うよ。でもね、すくなくとも自分で食べるものを、自分で用意することはできる。王子様が現れなくても、自分の足で歩いていけるよ。(P202)
・たぶんどころに行っても、私たちはぴったりくっついて行動することはないんだろうな、という気がした。ひとりだ、とまた思う。夫婦だって、友だちだって、一緒にいるだけで「ふたり」という新たな何かになるわけではなくて、ただのひとりとひとりなのだ。(P220)
弓子は自分をしっかりと持っていて、流されるってことはなくて、それなりに思ったことははっきりと言える女性で。弓子のはっきりとした考え方は心にガツンときた。。新規の恋をしなくていいって思ったところも、そう。元カレと付き合った時私もそう思った。もうこの人で終わりなんだ~って。新しい誰かと、1から関係を築いたり、いなくなったりしないかなって不安に思うこともないんだ~って。ずっと2人でいられるんだ~って。でも、弓子も言っているけれど、人はどこまでいっても1人なんだよね。ひとりとひとり。別の人間。私はたぶん、それをずっと勘違いしていて。新しいふたりってものになれるというか、相手に自分の人生も背負わせていたというか。いままでの自分の恋愛感とかがはっきりと文章に書かれているから、ガツンときてしまう。
(楓)
・心が離れていく途中の男というのは、皆わかりやすく同じ表情をしている。それに、匂いも変わる。香水やシャンプーを変える、というようなことではない。体臭そのものがちょっとだけ、変わってしまうのだ。細胞はわりあい短い期間で生まれ変わるのだという。そういうことなのかもしれない。細胞レベルで、あたしを受け入れられなくなっていくのだ。(P50)
・自分でない人間の体温を感じたり、かわいいねと髪を撫でてもらったりするひとときは、甘いお菓子だ。お菓子でお腹を満たすことはできない。でもだからこそ、あたしはお菓子が食べたい。それにこのお菓子はたぶん、生きている限りいつまでももらえる類のものではない。だから食べられるうちに、食べておく。(P51)
・あたしの普通と、あんたの普通は、たぶん全然違ってるよ。(P150)
・あたしはひとりぼっちだ。誰と一緒にいても、そうなのだ。むしろ誰かと一緒にいる時のほうが強く、孤独を感じる。(P173)
・あたしはたぶん死にまであたしのままだ。お葬式で「故人は立派な人でした」と言ってもらうために生きているわけじゃない。(中略)あたしはあたしのために生きている。ヒラツカさんのことが好きだった。大好きだった。でもヒラツカさんのために生きているわけじゃない。(P212)
楓は、特に恋愛の部分でそうそう、って思ってしまった。特に、甘いお菓子の部分。人から存在を認めてもらえたり、褒めてもらえたり、愛されることはお菓子であって、メインディッシュではない。人から注がれた愛とかなんて、すぐになくなってしまう。基本は、自分で自分をしっかり持って、自分が自分を大切にすること。楓は割りと自分は自分と思っているけれど、私はほんとに人と比べてしまうから、SNSもそうだけれど、自分のやりたいこととかがわからない。人と比べてどうか。この歳で彼氏に振られる自分。この歳で結婚の目処も立たない自分。仕事もうまくいかない自分。人と比べてばっかりで、本当に苦しい。だから、楓の言葉は読んでいて涙出た。てか最近泣いただの涙でただのばっかりだな。
私は、私のために生きていて、もっと自分のことだけ考える時間を作ったほうがいいんだろうな。
だいぶ病んでいる感想になってしまったけれど、いろいろ躓いて厳しい状況にいる時に読むと、いろいろヒントになる言葉がたくさんあって、良かった。
この本でも、いつもの寺地さんの作品と同じで、美味しいお料理がでてくる。弓子の作る手料理を食べに行く楓。それはカレーだったり、串揚げだったり、サンドイッチだったり。やっぱり、美味しい料理って生きてく上で重要だよね。