千里の道も一歩から。

千里の道も一歩から。

夫の風俗通いで受けた衝撃を乗り越えていくためのリハビリブログ。

可愛い子供と優しい夫に恵まれ、「こんなに幸せで良いのか?」と幸せにおののいたのも束の間、夫の風俗通いが発覚!
お気に入りの風俗嬢までいて、メールに食事に本番…
夫への信頼がもろくも崩れ去り、一から夫婦再構築。もう一度幸せになるためのリハビリブログです。
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結構長く書いた記事が、消えた…


やる気なくすわー


つきつめてとことん考えることも大事ですが、息抜きも大事ですね。


冷静に客観的にものごとを分析したいのです。








今日、ほんまでっかTVで、


「女の人は曖昧な情報は信じて、断定されたものは疑う」って言ってました。


うーん、まぁそういう面は確かにあるかもしれない。


でも、


「浮気を問い詰められたとき、男性は『疑われてるんだね、悲しいよ…』みたいに曖昧に答えたほうが、浮気してないのねって思ってもらえる」(ちょっとうろ覚え)


っていうのは、首をひねらざるを得ない…信じるかぁ~~~??


それで信じる場合ってのは、まだまだラブラブで、浮気なんてしてたら許さないんだから!ぷんぷん!みたいな状態の時くらいだと思うよ…女の勘が発動するレベルになってたら通用しないよねぇ。


 


あと、それに続いて


「女性は『浮気してるでしょ!』と問い詰めるとき、真実を求めているのではなく、『浮気してないよ』と否定してもらいたい」


「ずっと『浮気してない』と否定され続けていると、どんなに疑わしくても信じたいから信じる」


とか仰っている先生がいたけど、これは…その心理は理解できなくもないけど、少なくとも私は絶対嫌だ。


てかこれ、信じるんじゃなくて、分かってて騙されることを選択しているだけだよ。その場しのぎの安心にすがり付いてるだけのさぁ…惨めで不安の根本的解決にはなっていなくても、好きだから茶番を続けたくて騙されることを選ぶその心情って、そら哀しくてつらいもんだよ。


なのに、「だからどんなに問い詰められても本当のことは言っちゃいけない」なんて結論にしないでほしい。


何気なく見てたのに、妙に嫌な気分になってしまった。。


 


 


あとちなみに、私は断定だから疑うとか曖昧だから信じるというよりは、


「本人にとって不都合なことを言っている場合」は信じます。


だから「浮気したでしょ!」と問い詰めて


「してない」は全然信じませんが


「した」は信じます。


 


『蜻蛉日記』という文学作品があります。
平安時代に書かれたもので、日本初!女性がかいた作品です。(多分)
で、初めて女性が書いたその内容は、ずばり…

夫の浮気へのうらみつらみ、です。

しかも物語ではなく、日記文学。
平たく言えばノンフィクション、いや、暴露本のほうが正しいかもしれません。
(なんせ作者の夫は、時の政界トップですからね)

私は読んだことはあるのですが、なんせ読んだ当時は高校生だったもので、彼女の苦悩はあんまり理解できませんでした。
ただ、作品の評価で学者やら作家やらが
「こんなに頑なに夫を責めていては修復もできまい」
「むしろ夫は頑張ってとりなしているのに、なんでもう少し素直になれないのか」
「可愛げがない」
とかなんとか、結構彼女に対してシビアなんですよね。

私は、
「なんか哀しい人だなぁ。学者や作家たちはやたら彼女を悪く言うけど、そんな簡単に許したりできるもんじゃないから、彼女も苦しいんだろうに」
と感じたのを覚えています。


で、今改めて作品の内容や評価を思いだしてみると、まぁ、本当、1100年経ってもなんも変わっていないんだなぁと思いました。
浮気されて苦しい妻の気持ちも。
「それくらい許してやれよ」という風潮も。


久しぶりに、読み返してみようかな。きっと昔とは感想が違うはずだから。
…ただ、もうずっと古文なんて読んでいないから、読破できるかしら…汗