web 3.0と世の中の方向とこれから重宝される力。 | やんしんブログ(数学教師@NZ)

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計算と英語が苦手だったのに、今は英語で数学を教える数学教師。
奥さんはNZ人。
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なんとなくぼんやりと見える未来について考えをまとめるために書くので、今日は長いっす。


今日のトピックは、今巷で話題のweb 3.0と、そこから見える未来。


Web 1=インターネットで情報にアクセスできる時代

Web 2=インターネットで情報もアクセスできて、個人が発信できるようになった時代


ここまでの時代は、中央集権型の時代でした。

プラットフォームの力が甚大で、僕ら個人の力はゴマ粒以下。


現に僕が書くアメブロの記事も、アメブロが好きな方法で書かなかったら、アップもできませんが、アメブロが超好んでくれた記事は、トップ記事に拾われ、1000倍ぐらいのアクセス数が出たりします。


つまり、僕達の発信している情報の価値は、プラットフォーマーによって決まってしまう。


You TuberがYou Tubeの規定に沿って動画を作らないとならない、だったり、逆に拾われやすくする形で概要欄の書き方考えたり、サムネ考えたり。


Web 3では、今度は自分の持っている情報は、自分が所有できる時代に突入すると言われています。

ブロックチェーンがその時代を呼び込むと。


基本のブロックチェーンは、みんなでデータを管理する形になっているので、中央集権化できません。

NFT化したデータは、openseaなどのプラットフォームを経由して売り買いされていますが、基本的にそのアートの権利は作った、もしくは買った本人のもの、プラットフォームのものにはなりません。

つまり、今までプラットフォームに合わせて変えていた情報の形から、型がない情報発信へと変わる時代に来たと。


完全に今までの形が葬りさられるわけではなく、プラットフォームなしでもオンライン上でそれなりに君臨できるようになったってとこかなと。


これをわかりやすく解説するなら、インターネット前と後の芸能人の活動の仕方と似た変化が現れると推測できます。


今は、You Tubeやオンラインサロンなど、テレビではご法度とされた情報を個人で発信することができるようになった。つまり、花王の商品を説明した次の日にライオンの商品の説明をしても、観覧数さえ稼げればお金が入り、企業スポンサーに忖度する必要がなく、純粋に発信したい情報のみを発信できるようになった。


つまり、以前は「企業/事務所から干される=芸能界で干される」だったのが「知名度と人気、面白いコンテンツさえあれば、干されることはない」に変わった。


こういう自由度がかなり出てきて、発信数が半端なくなり、人々の注目は分散さ、中央集権化が末期状態まで進化していたテレビや事務所が持つ圧倒的な影響力に陰りが見え始めた。もっと言えば、世間はそういった中央集権の圧力を指示しない時代に入ったってこと。


Web 3については、僕も含め誰もはっきりとそれがなにかはわかってないと思うんですが、仮想通貨やNFTを触ってみて、僕からなんとなく見えるものをまとめ表現するとしたら、ゲームクリエイターとゲーム機の関係で例えるとわかりやすいかと。


昔、ゲーム機は、どこをどう見てもファミコンの一人勝ちだった。セガだったり、PCエンジンだったり、ライバルはいたが、ファミコンが圧倒的に一人勝ちだった。


(ちょっと例えが古すぎる、要はプレステとXboxとか、そんな感じで若い世代の方は読んでいただければ(笑))


もちろん、ゲームクリエイターはファミコンでゲームを出したら、セガやPCエンジンではゲームを出せない。


でも、web 3では、どこのゲーム機でも作ったゲームを販売できる形になる。データは個人が保有できて、いくらでもまた発信することができるから。


僕は、ここのシステムのあたりの理解がまだ追いついていませんが、個人の発信は個人が保有できて、ツイッターやFacebook、You Tubeなどの情報を自分が保有するという形になると。

結局、みんなに知ってもらうにはアクセス数が必要だから、プラットフォームはまだまだ必要。

テレビでもまだまだ知名度が獲得できるのと一緒で。


だけど、ずっと面白い情報を発信し続けている人は、ファンが付き、いろんなプラットフォームに依存することなく、その人とその人のファンが繋がり続けることができる時代が来るということなのかなと。


となると、どういう人材が人気になるかというと、僕は「難しい事象や思考をわかりやすく説明する人」なんじゃないかと思う。


大学時代、教授の言っていることがわかりにくくて、それを簡単に翻訳してくれる先輩が妙に魅力的に見えた。


そんな存在の価値って何かというと、自分でゼロから考えて発信している人の存在より、複数のそういう人達の発言を噛み砕いて発信してくれるので、受信者は美味しいとこだけつまみ食いできるところ。


変化の激しい現代では、一つのことにずっと深くコミットすのはリスクが高すぎる。

逆に言えば、そう言うコミットしてきた人が学んだことの要点をかいつまんで行くほうは美味しい思いばかりできる。


つまり、情報を効率的に噛み砕いた上に、それをわかりやすく発信する人が、これから5-10年は活躍するのかな、と思う。


ただ、これは、「発信者」と「受信者」のあり方が今まで通りだったら、の話ですけどね。

ここの構図もそのうち壊れるのかなぁ…なんて、書きながら考えていると、もう頭がごちゃごちゃしてその先が見えません。


Web 3の次の世の中は、そんなごちゃごちゃしたものの先にあるのかもなぁ、なんて思ったりも。


ダラダラ長く書きましたが、これで頭がスッキリしました。

お付き合いいただきありがとうございます(^^)

では、素敵な一日を✨