【銀の馬車道】生野銀山へ! | 共明塾 × キッズアース播磨町校

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2007年からは東大卒講師を迎え、2017年からはキッズアースと提携し、小学生向けの科学実験教室を始めました。
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キッズアースを始めてから、行きたいと思っていた「生野銀山」。

 

銀山と言えば、世界遺産である「石見銀山」が有名です。

 

しかし、兵庫県生まれの私にとっては、

小学校の頃、バス旅行で何度か訪れた

生野銀山」の方が「石見銀山」よりメジャーなのです(笑)

 

生野銀山は、平安時代初期である、807年に発見されたと言われています。

(他の歴史ある鉱山も、この頃発見されたとの記録がいくつかあるようです。)

 

室町時代後期(戦国時代初頭)の1540年代には、石見銀山の技術が転用され、銀の産出が盛んに。

その後、信長-秀吉-家康の直轄領となり、江戸時代には「銀山奉行」「生野代官」が置かれます。

 

そして、明治元年(1868年)。政府直轄鉱山となり、フランス人技師を招いて、近代化がはかられます。

明治22年(1889年)には皇室財産となり(門柱に菊の御紋が見られます)、

明治29年(1896年)に三菱へ払い下げられ、産出を続けていましたが、昭和48年に閉山。

 

 

 

 

こうやって銀山所有者の歴史をひも解くと、権力者の変遷を駆け足で見ているようですね。

 

明治時代、ここで産出された銀を姫路の港に送るために馬車道が整備されました。

 

日本初の高速道路とも言われるこの道が「銀の馬車道」であり、

姫路ポートセンターにある「姫路みなとミュージアム」では、

当時の港の方の様子がジオラマで再現されています。

 

 

こちらもあわせて見ると面白いですね。

 

そして、「銀の馬車道」は生野銀山で終わりますが、

さらに北に向かう「鉱石の道」は、神子畑選鉱場跡や明延鉱山、中瀬鉱山へと続きます。

 

こちらもいつか行ってみたいですね。

 

さて、今回は、歴史の話をさせて頂きました。

銀鉱石や銀の精錬の話などはまた今度させて頂きます。

 

 

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