8/15は「終戦記念日」です。
いろいろ思うことはありますし、語るべきこともあります。
戦争に勝っていれば、と思うわけでもありません。
しかし、戦中の教育状況を考えると「ああ、それでは負けるわな」と思うわけです。
そして、その「危うさ」は、今の日本の空気にも通じるものでもあるのです。
何の話かと言うと、「鬼畜米英」として、英語教育をないがしろにし、
それどころか、「敵性語」として英語を排斥していったことについてです。
日本人も大好きな『孫子』に「彼を知り己を知れば百戦殆からず」
(かれをしり おのれをしれば ひゃくせん あやうからず)とあります。
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相手の事を知るためには、まず言葉を知り、文化を知らなければなりません。
言葉の学びを馬鹿にする、排斥することは、敵を知ることを放棄しているのと同義です。
むしろ、「敵」と認識したのならば、国家を挙げて、「敵国」について学ぶべきです。
そして、相手の文化を学ぶ過程で、敵と「戦争」せずに、ことを収める方法がきっと見つかります。
「戦争は“最悪”の外交手段」であり、「鞘の内」でことを収めることこそ、
本来の外交交渉であり、外交の知恵なのです。
にもかかわらず、英語教育がないがしろにされていった過程、
いわば「反知性主義」がまかり通った空気というものが、
この国を開戦、そして敗戦へと導いたのだと私は考えます。
だからこそ、なぜその選択を国民がしたのか、すなわち「己を知る」ことで、
戦争を起こさずして、外交で優位に立つ、いわば「戦わずして勝つ」道を描くことが出来るはずです。
少なくとも国の舵取りを行う方々には、
知性と理性、そして教養を求めたいものです。
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