昔話・2「木樵の夫婦」 | 〜ある夫婦の物語〜О夫妻に問いたいこと

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夫さんは、もう居ません。
妻と息子二人が残されました。
夫の死後、10日余りでブログを引き継いだ妻。
夫の思いを繋ぐブログにしたい。初めはそうだったのかも知れません。
でも、違ったのです。

むかし、ある深い山の中に、木樵の夫婦が暮らしていました。

はじめ、暮らし向きは楽ではありませんでしたが、真面目な性格の夫が仕事に精を出し、少しずつ「お金」を貯める事が出来るようになっていきました。

夫婦にはニ人子どもがおり、ふもとの寄宿学校に入っているので、たいそうお金がかかります。

家が裕福で無かった夫は、学校に行きたくても行けなかった自分と同じ思いを、子どもたちにさせない為、懸命に働きました。


一方、その妻は、かなりの怠け者。

夫婦になったばかりの頃は、それでもなんとか早起きして、夫に「弁当」を作って持たせていましたが、「寝たふり」や「具合が悪いふり」ばかりするようになり、夫が何も言わないのをいいことに、掃除や洗濯まで手を抜く毎日…。

妻がぐうたらする側で、夫は家事までこなさざるを得ませんでした。


山の中には、食堂はおろか店もありませんから、「弁当」を持たせてもらえないのは、本当に困りました。

一度山に入れば、家に戻るのは「骨」でしたし、何より、往復するのにかかる時間が惜しい。

夫は、妻を当てにせず、いつもより更に早く起きて、慣れない手つきで大きなにぎり飯を三つ作り、山へ行くようになりました。

せっかく入った寄宿学校も、お金が払えなければ辞める他はありません。

それだけはなんとしても避けたいと、あたりが、斧の刃先がぎりぎり見えるくらい暗くなるまで、仕事を続け、家事もする内に、無理を重ねた「夫」の体は、病に蝕まれてしまっていました。


六月だというのに、うだるような暑さになったある日の午後の事です。

木樵の妻が、山で採って来た薬草を干していると、夫がこちらに向かって歩いて来るのが見えました。       

いつもなら暗くなるまで戻らない夫の、思いがけず早い帰宅に、いらいらが募って「舌打ち」が出るほど、妻は夫を疎ましく感じるようになっていました。

流石に本音は言えず、作り笑顔で、口先だけの労いの言葉をかけようとしたその時、夫の大きな体がゆっくりと倒れ、二度と起き上がる事はありませんでした。


狭い木樵の家で一番広い、囲炉裏の奥の部屋で、粗末な布団に寝かされた「夫」

ひそかに連絡し、寄宿学校から呼び戻した息子達に手伝わせて、三人がかりでようやく「夫」を動かす事が出来ました。

二人の息子は、慣れない事をして疲れたのか、呆けた様な顔をして座り込んでいます。

突然の「夫」の死を、どう片付けたものか?と思案していた妻がふと家の外に目をやると、見知った顔の男が一人、庭を横切って、木樵の家に入って来る所でした。

「夫」の事は、まだ息子達の他に誰も知らないのに、なぜ人が訪ねて来るのか?

山二つ程、東に行った所に住むその男は、木樵仲間の「顔役」で、また、この辺りの「世話役」でもあったのです。

(世話役=喪主や遺族以外の、葬儀の協力者)

妻が「顔役」の男に、「夫は今、病で臥せっているから、用が有るなら出直して欲しい」と言うと、“見舞いの言葉”を伝えた「顔役」は、今来た道を足早に戻って行きました。


山を下りてすぐの家の主人に頼み事をし、出来る限りの支度を整え、再び木樵の家を目指す「顔役」

息を切らし、山道用の小さめの荷車を引く「顔役」の頭に浮かんだのは、半月程前に会った時の、すっかり痩せてしまった姿でした。

自分を見て、嬉しそうに笑っていた、その笑顔がまさか最後になるとは…。

汗なのか何なのか分からないものを、ただ流したまま考える余裕も無く、ひたすら山道を進んで行くと、木樵の家への目印「切り株の形の石」が二つ並んでいる場所まで来ていました。

「よし、あともう少し…」 


木樵の家に着いた「顔役」が見たのは、時間が足りなかったのか、中途半端な深さに掘られた穴に置かれた「筏」

本物では無く、丸太をただ並べて置いただけの、ニセモノの「筏」

山深いこの辺りでは、遠い海への憧れからか、亡骸を筏に乗せ、近くの川から流す「風習」が、十年程前まで残っていたのです。

ここからは少し距離がある場所に、新しく「火葬場」が作られ、「筏葬」は実質禁止になりました。

南から流れて来た木樵本人ならともかく、ここで生まれ育った木樵の妻が、知らないはずが無い…。

ニセモノの「筏」の周りに細い木の枝、枯れ草、反故紙が無造作に置いてあります。

それが何を意味するのかを知った「顔役」が、汲んで来た水をかけて使えなくしている様子を、部屋の中から木樵の妻が見ていました。


知らせを聞いて集まって来た、木樵の仲間達。

ふもとから「背負い籠」に乗せられ、木樵の母親が駆けつけました。

母親の家の近所の人達も、大勢来ています。

「顔役」兼「相談役」が指示を出さずとも、仲間達の手で「弔い」の準備が進められていきました。

体が大きかった木樵の為に、頑丈で立派な「筏」が組まれ、新しい布団まで…。

木樵の亡骸は、仲間達が力を合わせ、無事に「筏」に敷かれた布団の上に安置されました。

母親が、息子の頬を撫でています。

すっかり冷たくなった息子の頬を、まるで赤子の柔らかな頬を撫でるように、優しく撫でていました。

何度も何度も、撫で続けていました。


「顔役」は、仲間達と相談して、今夜の「通夜」、そして明日、亡骸を荼毘に付すと決めました。

この辺りの「世話役」としてなら、本来は喪主や遺族と相談するところですが…。

誰にも知らせず、自分達だけで勝手に荼毘に付そうとした妻と息子達に、猛烈に腹が立ちました。

年老いた母親に最後に顔を見せてやろうともせず、人の「情」を持たないかのような妻のやり方に、寒気を覚えました。

何より、無口でぶっきらぼうで、一見人嫌いにも見える「その男」が、本当はたいそう陽気で、賑やかなのが好きな事を、誰よりも分かっていました。

「弔い」だけれど、賑やかに送ってやりたい。

「顔役」は、それだけを考えていました。

 



一年後、

暑かった「あの日」とは違い、爽やかな風が吹く昼下がり、「切り株の形の石」の一つに腰掛ける「顔役」の姿がありました。

お互い忙しく、ここでゆっくり話した事はそう多く無かったのに、素直な気持ちで話せたのが、いつも不思議でした。

隣に居たのに「居ない」っていう事は、こんな気持ちにさせるものなのか…。

「顔役」は、隣の石を撫でながらつぶやきました。

あの時、筏の上の布団から、足がどうしてもはみ出してしまい、「まるで雲に寝そべる“巨人”だな」と思ったら、笑いが止まらなくて困った事をぼんやりと思い出していました。

ふと、誰かに呼ばれた気がして顔を上げると、空に浮かんだ大きな雲に座って、こちらに手を振る姿が見えます。


「おーい!」

「おーい、元気だったか?」

 

亡くなっているのに「元気だったか?」は流石に変だな、「顔役」は苦笑いしました。

初め、はっきりと見えていた姿は、やがて少しずつ薄くなり、輪郭もぼやけ始めています。

「顔役」は、慌てて叫びました。


「おーい、また来いよ、待ってるからな、ヤス!」



                     




※この話は「フィクション」です。

実在の人物とは、一切関係ありません。


もうすぐ「お盆」ですね…。

もし、身近に「家族から何の供養もされていない」

そのような方がいらっしゃいましたら、ほんの短い時間で構いません。

魂が少しでも安らかであるようにと、願って差し上げて下さい。

今回もお読みいただき、ありがとうございました😌