むかし、ある深い山の中に、木樵の夫婦が暮らしていました。
はじめ、暮らし向きは楽ではありませんでしたが、真面目な性格の夫が仕事に精を出し、少しずつ「お金」を貯める事が出来るようになっていきました。
夫婦にはニ人子どもがおり、ふもとの寄宿学校に入っているので、たいそうお金がかかります。
家が裕福で無かった夫は、学校に行きたくても行けなかった自分と同じ思いを、子どもたちにさせない為、懸命に働きました。
一方、その妻は、かなりの怠け者。
夫婦になったばかりの頃は、それでもなんとか早起きして、夫に「弁当」を作って持たせていましたが、「寝たふり」や「具合が悪いふり」ばかりするようになり、夫が何も言わないのをいいことに、掃除や洗濯まで手を抜く毎日…。
妻がぐうたらする側で、夫は家事までこなさざるを得ませんでした。
山の中には、食堂はおろか店もありませんから、「弁当」を持たせてもらえないのは、本当に困りました。
一度山に入れば、家に戻るのは「骨」でしたし、何より、往復するのにかかる時間が惜しい。
夫は、妻を当てにせず、いつもより更に早く起きて、慣れない手つきで大きなにぎり飯を三つ作り、山へ行くようになりました。
せっかく入った寄宿学校も、お金が払えなければ辞める他はありません。
それだけはなんとしても避けたいと、あたりが、斧の刃先がぎりぎり見えるくらい暗くなるまで、仕事を続け、家事もする内に、無理を重ねた「夫」の体は、病に蝕まれてしまっていました。
六月だというのに、うだるような暑さになったある日の午後の事です。
木樵の妻が、山で採って来た薬草を干していると、夫がこちらに向かって歩いて来るのが見えました。
いつもなら暗くなるまで戻らない夫の、思いがけず早い帰宅に、いらいらが募って「舌打ち」が出るほど、妻は夫を疎ましく感じるようになっていました。
流石に本音は言えず、作り笑顔で、口先だけの労いの言葉をかけようとしたその時、夫の大きな体がゆっくりと倒れ、二度と起き上がる事はありませんでした。
狭い木樵の家で一番広い、囲炉裏の奥の部屋で、粗末な布団に寝かされた「夫」
ひそかに連絡し、寄宿学校から呼び戻した息子達に手伝わせて、三人がかりでようやく「夫」を動かす事が出来ました。
二人の息子は、慣れない事をして疲れたのか、呆けた様な顔をして座り込んでいます。
突然の「夫」の死を、どう片付けたものか?と思案していた妻がふと家の外に目をやると、見知った顔の男が一人、庭を横切って、木樵の家に入って来る所でした。
「夫」の事は、まだ息子達の他に誰も知らないのに、なぜ人が訪ねて来るのか?
山二つ程、東に行った所に住むその男は、木樵仲間の「顔役」で、また、この辺りの「世話役」でもあったのです。
(世話役=喪主や遺族以外の、葬儀の協力者)
妻が「顔役」の男に、「夫は今、病で臥せっているから、用が有るなら出直して欲しい」と言うと、“見舞いの言葉”を伝えた「顔役」は、今来た道を足早に戻って行きました。
山を下りてすぐの家の主人に頼み事をし、出来る限りの支度を整え、再び木樵の家を目指す「顔役」
息を切らし、山道用の小さめの荷車を引く「顔役」の頭に浮かんだのは、半月程前に会った時の、すっかり痩せてしまった姿でした。
自分を見て、嬉しそうに笑っていた、その笑顔がまさか最後になるとは…。
汗なのか何なのか分からないものを、ただ流したまま考える余裕も無く、ひたすら山道を進んで行くと、木樵の家への目印「切り株の形の石」が二つ並んでいる場所まで来ていました。
「よし、あともう少し…」
木樵の家に着いた「顔役」が見たのは、時間が足りなかったのか、中途半端な深さに掘られた穴に置かれた「筏」
本物では無く、丸太をただ並べて置いただけの、ニセモノの「筏」
山深いこの辺りでは、遠い海への憧れからか、亡骸を筏に乗せ、近くの川から流す「風習」が、十年程前まで残っていたのです。
ここからは少し距離がある場所に、新しく「火葬場」が作られ、「筏葬」は実質禁止になりました。
南から流れて来た木樵本人ならともかく、ここで生まれ育った木樵の妻が、知らないはずが無い…。
ニセモノの「筏」の周りに細い木の枝、枯れ草、反故紙が無造作に置いてあります。
それが何を意味するのかを知った「顔役」が、汲んで来た水をかけて使えなくしている様子を、部屋の中から木樵の妻が見ていました。
知らせを聞いて集まって来た、木樵の仲間達。
ふもとから「背負い籠」に乗せられ、木樵の母親が駆けつけました。
母親の家の近所の人達も、大勢来ています。
「顔役」兼「相談役」が指示を出さずとも、仲間達の手で「弔い」の準備が進められていきました。
体が大きかった木樵の為に、頑丈で立派な「筏」が組まれ、新しい布団まで…。
木樵の亡骸は、仲間達が力を合わせ、無事に「筏」に敷かれた布団の上に安置されました。
母親が、息子の頬を撫でています。
すっかり冷たくなった息子の頬を、まるで赤子の柔らかな頬を撫でるように、優しく撫でていました。
何度も何度も、撫で続けていました。
「顔役」は、仲間達と相談して、今夜の「通夜」、そして明日、亡骸を荼毘に付すと決めました。
この辺りの「世話役」としてなら、本来は喪主や遺族と相談するところですが…。
誰にも知らせず、自分達だけで勝手に荼毘に付そうとした妻と息子達に、猛烈に腹が立ちました。
年老いた母親に最後に顔を見せてやろうともせず、人の「情」を持たないかのような妻のやり方に、寒気を覚えました。
何より、無口でぶっきらぼうで、一見人嫌いにも見える「その男」が、本当はたいそう陽気で、賑やかなのが好きな事を、誰よりも分かっていました。
「弔い」だけれど、賑やかに送ってやりたい。
「顔役」は、それだけを考えていました。
一年後、
暑かった「あの日」とは違い、爽やかな風が吹く昼下がり、「切り株の形の石」の一つに腰掛ける「顔役」の姿がありました。
お互い忙しく、ここでゆっくり話した事はそう多く無かったのに、素直な気持ちで話せたのが、いつも不思議でした。
隣に居たのに「居ない」っていう事は、こんな気持ちにさせるものなのか…。
「顔役」は、隣の石を撫でながらつぶやきました。
あの時、筏の上の布団から、足がどうしてもはみ出してしまい、「まるで雲に寝そべる“巨人”だな」と思ったら、笑いが止まらなくて困った事をぼんやりと思い出していました。
ふと、誰かに呼ばれた気がして顔を上げると、空に浮かんだ大きな雲に座って、こちらに手を振る姿が見えます。
「おーい!」
「おーい、元気だったか?」
亡くなっているのに「元気だったか?」は流石に変だな、「顔役」は苦笑いしました。
初め、はっきりと見えていた姿は、やがて少しずつ薄くなり、輪郭もぼやけ始めています。
「顔役」は、慌てて叫びました。
「おーい、また来いよ、待ってるからな、ヤス!」
※この話は「フィクション」です。
実在の人物とは、一切関係ありません。
もうすぐ「お盆」ですね…。
もし、身近に「家族から何の供養もされていない」
そのような方がいらっしゃいましたら、ほんの短い時間で構いません。
魂が少しでも安らかであるようにと、願って差し上げて下さい。
今回もお読みいただき、ありがとうございました😌