転職活動を終えて考えること | "デザインってなに?"的ノート

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デザイン的な思考やものの見方、デザインそのもののことなどを話題にします。

 

1月末から行って来た転職活動が、2ヶ月でやっと終わろうとしています。

就労支援を仕事とする意中の求人に応募し、そこから内々定の報告を受けました。

本当は4月1日からの新入社にしたかったのですが、手続きの関係上、4月8日ぐらいからになりそうです。3月末までは在職中なので、ちょうど良い休暇になりそうです。

 

転職活動はこれで3回目。毎回思うことがあります。それは、

「採用側は応募者側ほど真剣で真摯な対応をしているとは限らない」ということです。

それは、大企業、中小企業問わず言えることだと実感しています。もちろん、中には採用側が真剣で真摯な対応をしてくれる所もありますが、そうではない所も目につきます。

 

例えば、過去にこんな事例がありました。

有名な独立行政法人を受けた時、そこは不採用となり、不採用通知が郵送されて来ました。中身を見てみると、冒頭に「◯◯様」と私の名前がフルネームで書いてあります。ところが文末には、「◎◎様の今後のご活躍とご健康を・・・」とありました。◎◎には見知らぬ女性の名前がフルネームで書かれていたのです。これには、ガックリ来ました。「独立行政法人がこんなことするのか・・・」と怒りと情けなさが込み上げて来ました。

TVのCMでも有名なある会社は、ハローワークの求人票に「応募書類選考は約1週間で結果を報告」と書いていたのに、応募書類を郵送して1ヶ月経っても結果通知がありませんでした。それほど希望している職種でもなかったので、そのまま確認もせずに応募を反故にしました。

 

また、ある企業は、indeedで応募しても、1ヶ月間何の連絡もなく、1ヶ月後に「応募されていることを確認できていませんでした。まだ求職活動中でしょうか?」とメールで問い合わせて来たので、「求職活動中で、貴社の結果もまだ待っています」と返信したのですが、そこからさらに3週間経っても返事がありませんでした。

 

私だけでなく、面接中にかなり待たされただとか、面接で心無い質問をされただとか、採用側から心無い対応をされた方は多くいます。

 

私は、採用側と応募者側は対等な立場でないと考えて転職活動をして来ました。そのため、応募者である自分は、できる限り真剣で丁寧な応募書類の準備と面接対策、面接対応をして来ました。履歴書等は細部に渡って注意しながら作成し、面接を受けた後は必ずお礼状を出しました。それは、採用側にも、私と同等の真剣で丁寧な対応をしてもらいたいからです。私は、「採用側がいい加減な対応をしてしまうのだから、応募も少々手抜きをして、いい加減でも良いではないか」とは考えませんでした。というのは、応募者側が真剣な態度で応募していれば、採用側がどんな対応をしているのかを評価しやすいからです。「こちらがこれほど真剣にやっているのに、そちらの対応はその程度なのか」と、応募した企業自体を評価することができます。「夢を託して応募している応募者を大事にできない会社は、きっと社員もあまり大切にしていないだろう」とまで考えることもできます。もちろん、根拠のない偏見かも知れません。しかし、それは、不採用になった時の口実にもできますし、内定が出ても「本当にこの会社でいいのか」と考える材料にもなります。

 

応募書類を作成する時も、私は応募者と採用側が対等になるようにしたいと考えています。よく、志望動機や自己PRを作成する時、学校の先生や転職エージェントの人などは、採用側に媚びへつらうような表現を求めますが、私はそういう表現を取ろうとは思いません。「微力で若輩者の私ですが、世に立派な業績を残している貴社に憧れていますので志望します」的な文章が、真の志望動機や自己PRを表現しているとは思えません。

 

私はココナラでデザイン作成サービスとは別にキャリア支援サービスもしています。そこでは応募書類作成サービスが好評を得ていますが、私の作成の仕方は、志望動機に関わる質問をいくつもして、依頼者が表現した回答を尊重しながらこちらで文章を考えたり、依頼者に文章を作ってもらったりするものです。ある時、就職を控えている高3生から志望動機作成の依頼がありました。私は質問に答えた彼の回答を元に、できるだけ本人が使った表現をそのままにして文章を提示しました。彼はその志望動機を担任の先生に見せて添削してもらったようです。その添削された文章を私に送って来ました。私は最初の志望動機文の魅力が見事に骨抜きにされていることに驚きました。学校の先生の総評は、「あまり自分のことを言うのではなく、志望先の良さをもっと多く指摘し、丁寧語と謙遜語を多く使って偉そうな表現を極力避けること」だったようです。私は、できるだけ学校の先生の機嫌を損ねない為に、「応募書類には添削された文章を掲載し、あなたの表現で作成された最初の志望動機は、あなた自身が応募先で生き生きと働くために、仕事へのモチベーションとして心に保存しておいてください」と依頼者にアドバイスしました。

 

応募者と採用側が対等になる為に自己PR的な内容を濃くするからといって、自分を美辞麗句で飾り立てて自己アピールすることはしません。等身大の自己を真摯にアピールしてゆく志望動機や自己PRを作成します。志望動機や自己PRというのは、「自身のキャリアの捉え直しと働くための動機の確認」の為にあるのであって、採用側の目を気にして、採用されるためのテクニックを駆使して作成されるべきものではないと考えています。これも、応募者と採用側を対等にするための考え方です。

 

というか、そもそも、採用側の目を気にして、採用されるためのテクニックを駆使して作成された応募書類を、採用側の人が読んでみて、感動するのでしょうか?「同じようなことを言っている応募者が多い」という印象しか持たなくなるのではないでしょうか?要するに、応募者個人の個性が感じられない応募書類になってしまうでしょう。

 

とにかく、以上のようなことを色々考えながら転職活動をして来ました。

転職は、自分のキャリアや働く意味、社会の中での組織のあり方など、色々なことを教えてくれるイベントです。「だから転職を薦めます」とは言いませんが、もう少し日本が転職しやすい社会になれば良いなと考えています。