セブンイレブンのロゴとブランド | "デザインってなに?"的ノート

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デザイン的な思考やものの見方、デザインそのもののことなどを話題にします。

セブンイレブンのロゴと言えば、誰もが目にしたことがあり、すぐに思い浮かべることができると思います。現在のロゴのデザイン(ブランディング)をしたのは佐藤可士和氏と言われていますが、1946年当時、現在のロゴの原型となるロゴをデザインしたデザイナーが誰なのかは分かっていません。

 

今回のブログは、有名なセブンイレブンのロゴを基にしながら、デザインとブランディングについて考えてみたいと思います。

 

セブンイレブンの歴史

 

 

1927年、アメリカ・テキサス州のオーククリフという町の小さな氷小売販売店がセブンイレブンのルーツのようです。同時にこの店がコンビニエンスストアの原型ともなります。

 

サウスランド・アイス社(現 7-Eleven,Inc.)の、氷小売販売店を任されていたジョン・ジェファーソン・グリーン氏は、お客から「氷の他に卵や牛乳、パンとかも扱ってくれると、もっと便利になる」との声を寄せられたことから、同氏はその旨をサウスランド社に提案しました。同社はこの試みに同意し、氷の販売だけでなく、卵や牛乳といったデイリー食品の取り扱いもスタートさせます。お客は喜び、お客のニーズの変化に的確かつきめ細かく対応して店、現代でいう「コンビニエンスストア」がここに誕生しました。

 

1946年には、朝7時から夜11時まで、毎日営業するチェーンとして、営業時間にちなんで店名を「7-ELEVEN」と変更しました。このとき、ロゴを数字の"7"と"ELEVEN"を組み合わせたものとし、現在でも親しまれているロゴマークの原型が生まれています。それ以降、7-ELEVENは便利で行き届いたサービスがお客さまから支持され、コンビニエンスストアチェーンとして成長を続けました。

 

1971年には多くの7-ELEVENが実質的に24時間営業となり、1973年にセブン-イレブン・ジャパンが創業し、1974年、日本に第1号の「セブン-イレブン」(東京都江東区豊洲)がオープンしています。当時、大量販売による空前の消費ブーム中で、中小小売業の経営環境はむしろ厳しさを増していました。中小小売業の人材不足や、高度成長を経て消費市場自体が「売り手市場」から「買い手市場」へと変化し始めていたことなどがその背景にありました。

 

(1974年東京都江東区にオープンした第1号店)

 

商店街を形成する個々の小売店がこうした構造的な問題を抱えていましたが、昭和30年代にはチェーンストア(大型店)が勃興し、企業としての体制を整えて出店拡大の道を歩んでいました。拡大成長期にある大型店と厳しい経営環境下にある地元商店街が直接対立することとなり、大型店の進出が原因で中小小売店の経営が不振となったという見方が定着し始めます。

 

 

1971年2月現在、22店舗を展開していたイトーヨーカドーは、その後首都圏を中心に出店スピードを上げていく中で、地元商店街との交渉の機会が増え、中小小売店の実情や主張に直面していました。イトーヨーカドーは、「地元商店街との共存共栄を図る」旨を繰り返し訴え続けていましたが、中小小売店の抵抗は根強いものがありました。

 

鈴木敏文(当時イトーヨーカドー取締役。後にセブン&アイ・ホールディングス名誉顧問)は、「中小小売店の不振の原因は、生産性の問題であり、大型店との競争の結果ではないと考えて、規模の大小にかかわらず生産性を上げて人手を確保し、きめ細かくニーズに対応していけば必ず成長の道が拓かれ、大型店と中小小売店の共存共栄は可能だ」と説得し続けていました。しかし、生産性の上がる中小小売店経営の実例がどこにもないので、商店街の方々の納得を得るのは困難だったようです。これが、セブン-イレブン・ジャパンがフランチャイズ・ビジネスを追求していく端緒となります。

 

小規模小売店の生産性を高め、活性化する方法を模索する中で出会ったのが、成長を続けていたサウスランド社のセブン-イレブンでした。サウスランド社との提携には、かなりの反対があったようですが、敢えてセブン-イレブンの導入に踏み切ったのは、「中小小売店経営の近代化・活性化と大型店との共存共栄の実現」にあり、具体的には店舗運営をチェーン化、システム化することで生産性を高め、お客様のニーズの変化への柔軟な対応を実現すること」という目的があったからです。そのために、セブン-イレブン・ジャパンがもっとも力を注いだのが、国内の実情を踏まえた本格的なフランチャイズ方式の確立でした。こうして、イトーヨーカ堂の子会社・ヨークセブン(現:セブン-イレブン・ジャパン)がアメリカのサウスランド社からライセンスを取得し、日本で事業を開始し、1974年5月、セブン-イレブンの第1号店が東京都江東区豊洲にオープンしました。

 

その後は、アメリカ合衆国との商習慣や食習慣の違いから、セブンイレブンは次第に日本の市場にローカライズしていきました。こうして、もともとアメリカで誕生したセブン-イレブンの業態は、日本市場で独自の発展を遂げたのです。1991年には、当時経営に行き詰まっていたライセンス元のサウスランド社を逆にイトーヨーカ堂およびセブン-イレブン・ジャパンが買収・子会社化しました。そして短期間に奇跡的な業績回復をみせることになります。

 

■セブンイレブンの初期のロゴ

 

(7-ELEVENのロゴがあしらわれた頃の店舗)

 

先にも書いたように、セブンイレブンのロゴは1946年当時にできていたようですが、その製作者が誰なのかは分かりません。緑・赤・オレンジのコーポレートカラーは、世界中のセブンイレブンで共通のカラーとして使われていますが、この由来についてもはっきりとした意味はわかっていないようです。

 

セブンイレブン・ジャパンの見解では、オレンジ色は「夜明けの空」、緑色は「砂漠のオアシス」、赤色は「夕焼けの空」をイメージしたものだそうです。当時のセブンイレブンは朝7時から夜11時までの営業形態が大きな特徴だったため、「朝から晩まで人々のオアシスになるように」との意味を表しているのかも知れないという人もいます。

 

現代のセブンイレブンのロゴマークは、文字で書くと「7-ELEVEn」となり、最後のnだけ小文字になっているのが正式です。このロゴが生まれた理由としては2つの説があるようです。

 

①デザイン面による理由

 

ロゴ考案当時、社長の妻が「ELEVENの文字をすべて大文字にするより、最後のNだけ小文字にしたほうが美しいのでは?」と提案したのが始まりと言われている説です。そう言われれば、最後はNよりnの方が美しいようにも思えます。

 

②商標登録問題による理由

 

当初、「7-ELEVEN」と全て大文字で登録しようとしたところ、申請が通らなかったため最後のNのみを小文字にしたという説です。商標登録は「7-11」などのような単純な数字だけではできなかったようです。この理由が真実なら、なんとか考え出された苦肉の策とも言えます。

 

■セブンイレブンジャパンの新ブランドロゴ発表

 

2011年5月31日、セブン-イレブン・ジャパンは、PB商品のロゴやパッケージを刷新して随時発表することを宣言しました。ロゴは従来の「7&i」の屋号イメージをあくまで残したデザインとなっています。

 

同時に、セブン&アイ・ホールディングス共通で販売していた、PB(プライベートブランド)の「セブンプレミアム」のロゴ、同ブランドの高品質部門である「セブンプレミアムゴールド」のロゴも刷新しました。デザインはクリエイティブディレクターの佐藤可士和氏が手がけ、デザインは合計1000点以上の商品への導入されたことになります。

 

佐藤氏は、セブンプレミアムのロゴとセブンアンドアイホールディングスのロゴが混在していた状況を整理し、再仕分けをすることにより、消費者にブランドを明確にすることを目的にしたようです。

 

■佐藤可士和氏のセブンイレブン・ブランディング戦略

 

セブンイレブンのブランディングプロジェクトは2010年に始まったようです。当時同社の会長、鈴木氏より「セブン-イレブンをもっと良くしてほしい」と依頼を受けたデザイナーの佐藤氏は、打ち合わせの際、何気なく次のような質問をしたようです。

 

「セブン-イレブンのお弁当は、どこの仕出し屋さんがつくっているのですか?」

 

その質問にセブン-イレブンの社員は驚きを隠しませんでした。「『お弁当やおにぎり、惣菜などは全て自社工場で厳選された素材と品質管理のもと製造されている』という同社のこだわりが伝わっていない」という事実が分かり、衝撃を受けたのです。

 

なぜ伝わっていなかったのか?それは、ロゴもなく、容器もバラバラといった製品のデザインにありました。そこで佐藤氏は、1000種類を超えるPB商品のパッケージのリニューアルに着手することになったのです。

 

まずは製品のカテゴリーを整理し、そして統一性を持ったデザインフォーマットを作成しました。さらに全てのPB商品にロゴを付け、PBの存在感を増していきました。ロゴの配置や写真の撮り方、商品名の書体やワンポイントアイコンの使い方、文字数に至るまでを全てルール化し、商品の統一感を創出しました。

 

佐藤可士和氏が行ったきめ細かなブランディングは、鈴木敏文氏が中小小売店に対して提案した「きめ細かくニーズに対応していけば必ず成長の道が拓かれ、大型店と中小小売店の共存共栄は可能だ」という点にも通じるものがあるように思われます。

 

デザインの刷新により品質やイメージを高めたことで、売上は継続的に伸びていったようです。パッケージデザインは3年ごとに大幅リニューアルされています。

 

この辺りの事情について、佐藤氏は次のように延べています。

 

「セブンイレブンのブランディングプロジェクトを依頼されたのが11年前で、セブンプレミアムがスタートして3年後。当時はPB=安価というイメージもありましたが、セブン‐イレブンではおいしさと品質を向上させたオリジナル商品を提供しようとしていたので、それをデザインで伝えたい。PBをメディアにしたブランド戦略を進めていくべきだと考えたのです」

 

「セブンイレブンではオリジナル商品の味や素材にはすごく力を入れていましたが、デザインに関しては正直弱かった。それこそ主力商品のおにぎりやサンドウィッチにもロゴはついていなかったのです。そこでカテゴリーを整理し、デザインフォーマットを作成し、すべてのオリジナル商品にロゴをつけることに。その結果、店内でのPBの存在感が一気に増し、ブランドが際立ちました」

 

佐藤可士和がセブンイレブンでこれまでに手がけたディレクション数は4000点以上にのぼります。2019年度のセブン&アイ・グループのPBアイテム総数は4150点にもなります。

 

「SAMURAI(佐藤可士和氏のオフィス)の仕事は、“デザインのルール”をつくること。書体やロゴ、写真の撮り方などその方針に沿って、社内のMDや協力会社のチームがデザインを進めていきます。4000を超えるアイテムをひとつのデザインコンセプトで作り上げる案件は、世界に類を見ないと思います」

 

「ルールに則ってデザインが生成されるため、SAMURAIはイレギュラーなものや判断が難しいケースの対応をします。例えば中身は違うけど見た目は似ているパンなどには断面図を入れるなど、その都度ルールを改定していく。ルールができたらおしまいではなく、ブランドイメージをキープしながらアップデートする。難しい仕事ですが、これだけの商品群をデザイン管理するには、柔軟さと厳しさの両方がなければバラバラになってしまうでしょう」

 

佐藤氏がセブンイレブンのブランディングで示してくれたことは、パッケージデザインの重要性だと思います。

 

パッケージデザインには色やロゴ、キャッチコピーなど、ブランドの要素が集約されています。また、パッケージデザインを成功させるには、企業そのものや製品の特徴を把握しているということがとても重要そうです。

 

それらが明確なことを前提に、製品のデザインにもアイデンティティーを持たせ、強化していくことで、そのブランドに対する想起機能を高めることができるようです。セブン-イレブンのケースで言えば、「お弁当やおにぎり、惣菜などは全て自社工場で厳選された素材と品質管理のもと製造されている」という特徴をいかにパッケージデザインに表していくかが鍵となっているようです。

 

セブンイレブンのデザイン戦略&ブランディングを調べていくと、ロゴデザインやパッケージデザインを例として、デザインがビジネスにいかに深く関わってくるのかを考えさせられる好事例だという感想を持ちました。