想像できるかぎりのいちばん恥ずかしいこと
音階を空想して、どんどん駆け上がっていっても、どこまでも上がり続けることはできない、という意味の文章を読んだことがあって、受験のためのピアノの練習で忙しい君との短いデートをその実験に費やす。限界に近づくと、息苦しい雲が存在する感触が確かにあって、君も僕もそれぞれにひとり、苦しげな表情がおかしい。彼女は音名でそれを言う。ピアノの音域の上限を1オクターブ超えたところで、彼女は息苦しく立ち止まったようだった。
デートの後の夜、欠かさずの電話。想像できるかぎりのいちばん恥ずかしいことは何かという話を放ってみた。音とは違って階段ではないけれど、僕たちの歴史は階段上に積んできたので、歴史をさかのぼれば良い。何も着ないで出前の受け取りをしたことよりも、おむつを穿いてデパートへお買い物に行ったときの方が恥ずかしかったらしい。このあたりの感覚は、君と僕との間であみだくじのように入れ違っている。
話の途中で、急に無口になったあのあたりで、きっと君は空想上の一番恥ずかしいことを拾ったのだと思う。結局、その一番恥ずかしいことは、電話口では話してくれなかった。言ったら絶対にさせるでしょ! という言い分ももっともだけれど、言わないなら言わないで、言わせるための意地悪をじっくりしてあげられるので、同じことなのにな、と笑う。僕の思い描く階段だって、まだまだ上へ続いている。
大好きでちゅよ、と最後はいつもの赤ちゃんことば。君も同じ言葉を返して笑っている。別に何の意味もないのだが、電話の最後はいつもそのやりとりだ。君のキスがきこえる。息の気配、つまり、想像力がもたらした熱の気配を伴っている。