大きいことばや小さいことばを歌う場所 -11ページ目

逃げ道

頭の片隅にでも「逃げ道」を

どうか、用意してやってください。



少数派の人に向けて、

想うことを発信したいと思います。





あまりの非常時に、今、世界中を巻き込んで、

皆が同じ方向を見つめ、「自分にできること」をさがしている。



いろんな意見が飛び交っています。

ただでさえ氾濫してる情報の上を、

ひとりひとりの「決意表明」や「紹介、案内」が飛び交っています。





正直なところ、

「素直でいること」がむつかしくなっています。


かつての被災地、神戸を訪れました。

震災メモリアルパークという所が神戸港にはあり、

そこでは大勢の方々が想い想いの時間を過ごしていました。


それにすごく納得いったんですが、

神戸駅の周辺あちこちで声高に呼びかけられる「募金活動」には

違和感を覚えて『しまった』んです。


「我々は」から始まる、少し大げさ、長く感じる自己紹介、

あまりに悲痛な表情で呼びかける声、そして

とびっきりの笑顔でお礼を伝える一連に。


なにもまちがっちゃいないのです、正しく、立派です。


ただ「なんだかなー」という想いがぬぐってもぬぐっても、

1日たってもぬぐえなかったのです。

その「違和感」を覚えた自分にも苛立つほどに。


インターネット上でも、そういう発言は

はばかれる始末で、窮屈さを感じています。



基本的には気持ちはあるのです。



被災地では命を懸け、寝る間もなく、

体を使っている人が沢山おられるでしょう。



寒さに凍え、不安に怯え、

希望の光を見失っている方々も沢山おられるでしょう。



被災地の遠くでは、

節電、募金で貢献しようと活動されてる方が沢山おられるでしょう。



あるいは、

いつか来る、「明確な支援法」を待って、力を蓄え、

普通でいること、前向きにいること、を意識して

過ごしている方もいるでしょう。





そのすべての「自分にできること」に、

まちがいはなく、明確な正解というのもないのです。



このような正解のない「場」では、

幾つもの意見がうまれます。

自分の中にも「幾つもの自分」がうまれます。



そして、そのすべての想いが、まちがいないのです。



今「同じ方向を見ている」ことが「正しい」と

テレビ全局で放送しているように、思われています、が、



幾つもの自分の中の「違和感を感じる自分」や

「葛藤を覚える自分」など、少数の自分にも素直になっていいと思います。



善意に必要以上にあおられないで、


慣れないことは、休み休みするものです。


普通の生活をすることは当たり前のことです。

普段の自分でいることは当たり前のことです。



あなたのできることは、

あなたの今、想うことをすること、

そして、想いを口にすることです。


はばかれるなら、こちらにでも。



社会に、外に出たら、なんてことはない「日常」ですが、

つい「日常」を忘れてしまったときの少数の「自分」のための、ブログでした。