世界一、俺はシアワセもん -4ページ目

Thats My Part

お久しぶりです。 

ブログずっとサボっていました。 
特別忙しいわけでもなく、どちらかと言うと比較的ゆっくり過ごしていました。 
書きたい内容も沢山あるんですけど、書きませんでした。

$世界一、俺はシアワセもん


義務


今日は義務について
以前も義務というタイトルで記事を書きましたが、最近これを少し考えていたのでまた書きます。

僕は何か考えるときは意識的に本を読みます。 
僕にとって本を読むことはインプットというよりもアウトプットです。
特に読んでいる最中は頭の中に情報を取り込むというよりは、その情報によって頭の中でreactionが起こり
そして何かを生産しているイメージが強いです。

特に今回は、考えるというよりは元々僕の中にあった何かを呼び起こすためのトリガーとなるように本を読みました。 

下記はお勧めの本です。

川北 義則 (単行本 - Feb 8, 2011) の '男の生き方 誇り高く、信念をもて' http://amzn.to/fmw6EG

辻 俊彦 (単行本 - Jan 2008) の '愚直に積め!―キャピタリストが語る経営の王道・99' http://amzn.to/h2LRXQ

小飼 弾, 山路 達也 (単行本 - Mar 23, ... の '決弾 最適解を見つける思考の技術' http://amzn.to/eZHQMY

小倉 昌男 (文庫 - Jan 7, 2003) の '経営はロマンだ! 私の履歴書・小倉昌男' http://amzn.to/hM6vml


本題に戻ります。

よく自己啓発系の本で成功するためには自分が一番楽しめる、好きなwantをするべきで、should, mustばかりだと自分自身ががんじがらめになり成功することも出来ない

とこんな感じのことを書いてあるものが多いです。 

僕が思うこともおそらく意味していることは同じだと思いますが、少し認識が違います。

僕は、所謂成功者と呼ばれる方々は彼ら自身のmustを把握していて、それが出来たから僕は成功できたのかと思います。 

つまり僕が「出来ること」ではなくて「しなくてはならないこと」です。

孫さんも好きでやっているなんて想いではもはやないと思います。 

まさにあれは彼自身が考える彼の義務なのかなと思います。 

「なんでこのようなことをしているのですか?」
「これは私の義務だからです」

ってちょっとカッコよくないですかw 僕だけかなw

最近僕の尊敬する友達とコミットメントは想いに比例するということを話していました。 

まさに僕もそう思います。 コミットメントが増えることで責任感も増え、そして周りからの期待値も上がりそれに応えようとコミットしているうちに、それに対する想いというのも比例するのかなと思います。

以前も書きましたが英語で義務と調べるとPartという単語が出てきます。
I am looking for my part. Thats My partなんて言いたいです。



内側の自分と外側の自分



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僕は人間は内側の自分外側の自分のふたつがあると思っています。 
生まれたと同時にその人に名前という境界線を付けられ、その境界線をフィルターのように通してその人を認識している周りの人が認識する自分。

その反対に自分自身は自分自身を何のフィルターも通さずに内側から認識しています。それが内側の自分で実際僕たちは体は見ることが出来ますが、顔を何も間に通さずに見ることは不可能です。

僕はその外側の自分に少しでも近づきたいと思っています。
つまりそれは期待値に応えること。 
期待値に応えることは需要に供給することだと思っていて、それは同時に幸福感を生むことだと思います。 

僕たちの価値観ではなく、僕たちの義務ではない。
笹川大和の価値観で、笹川大和の義務を全うしたい。 そんなことを想う今日この頃です。


最後に
エベレスト発頂に人類初成功した、ヒラリーさんが一回目の挑戦で失敗してインタビューでこう言いました。 

「エレベルトよ。 今回は私の負けだ、だが必ず舞い戻って発頂してみせる。まぜなら山はこれ以上大きくならないが、私はもっと成長できるからだ!!」

日々成長。 

世界一俺はシアワセもん。

故郷とサッカー

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故郷とサッカー


故郷新潟に少し戻っていました。 
放射線にビビって逃げたわけではありません。 
大事な友達に会いに行くためです。 

僕の新潟での思い出はサッカーしかありません。 
何かを諦め、何かを始めるときつまり決断した時、僕はいつも違う場所に立っている。
新潟でもサッカー、
神奈川ではお仕事系、
アメリカでは英語、 ほんとそれしかしていない。 

27日には久しぶりに中学のサッカー部の仲間で集まって皆でサッカーをした。
小中高とサッカー部で関わった友達を僕はなぜか仲間と呼びたくなる。
普段友達と呼ぶ人たちと少し変化を付けたいのかもしれない。 

普段の友達には表現したくないことも彼らには表現し、表現することができる。
彼らは僕の全てを知っている、もしかしたら僕ですら知らないことを彼らはずっと知っていると思う。

まさに青春時代を共に過ごした。 





このキモチ





新潟を出る時に
Twitterで呟いた

新幹線とか飛行機とか大切な場所に背を向けて何処かへ飛び立つときの心境は何度経験しても変わらない。 このキモチがいろいろなものに決着を付けてくれる。

いつも何処かを出るとき、何処かに向かうときはこのキモチになる。
なんか無性に寂しく、ただ何か熱い志のような想いがこみ上げる。 

アメリカに行く時は特に強かった。

そしていつも19の「果てのない道」が頭の中で流れる。


たくさんの人達におくられながら 空港のゲートくぐる
眠たい目こすりながら みんなに手を振りながら機内に入る

機内アナウンス "これから飛び立ちます"
たまたま窓側 息のつまる思いで 外を見ます

重圧に耐えながら 外の冬景色
僕の心うずまく 平野一面広がる 白銀世界
飛んで行く 飛んで行く 飛んで行く

思い出すあの日の事 夢 希望 無謀
たくさん抱いてこの地に来ました

人のやさしさ 自分の弱さ
支えられ 冬が3回 そして春が訪れます

言葉にできなくて 電車に乗って行くよ
口数少なくて 大きなかけにでた
悲しいことも 見えてくる 見えるから 行くんだ

あてのない道 心通います
一人 二人 今離れてく
列車の音 胸につきささる 大粒の涙が出てくる

いつのまにか たくさんの人に
うれしくて 詩う心 今伝えてく
広い空に 上に向かって 飛んで行くことに
胸が踊り出します

重圧に耐えながら 外の圧力も 人のやさしさも
感じているから ふれているから
飛んで行く 飛んで行ける
飛んで行く 飛んで行く 飛んで行く 飛んで行く…


あぁーいい歌詞だぁ。





メメント・モリ

 
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ラテン語で「死を記憶せよ」という意味らしい。
なんかの本で読んだのをノートに書いていた。 

僕は去年と今年大切な人を何人も失った。
まだ生きるとか、死ぬとかまったく意味が分からない。 

今回新潟に行ったもう一つの目的は「想い」を伝えることだった。

東北沖大地震のあと、死ぬ前にやらないと後悔することは何かを考えた時に
僕の中で、お金持ちになるとか、
セックスして気持ち良くなるとか、
親孝行するとか、
結婚するとか、
子どもを育てるとか、
そんなことより今の「想い」を伝えるという欲が断トツで大きかった。 

特に「好き」と「ありがとう

死ぬ前に好きな人に「好き」と言えないことも、
お世話になった人に「ありがとう」と伝えられないことも、
僕の中で絶対に耐えられない。


だから、僕の原点でもある故郷新潟に帰り、家族に、親戚に、
友達に、会えて感謝の気持ちを伝えることが出来たのは本当に良かった。

ただ何気ない「ありがとう」だったけど、それでもよかった。



ポポポポーンですね。 
ACの広告で日本人の優しさレベルは間違いなくアップしたと思います。


世界一、俺はシアワセもん。


花火とfirework


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花火



上の写真を見て、花火と表現する人間もいれば、fireworkと表現する人間もいる。

これってとても面白いことだと思う。

僕たち日本人はあれを見てと表現しているところがとても日本人らしいと思う。とても美しい。
一方あれをworkと表現する人もいる。 

僕がアメリカに行ってよかったと思ったところ、成長できたところは、そこだと思う。 

目の前に見えるものは僕にとってはそうやって見えるかもしれないけど、隣の人、隣の国の人からしたら、
そう見えていないかもしれない。 そしてほぼそう見えない。



息子


最近、将来の息子のことを考えている。 (いつになるか分からないですけどw)
ただ将来の息子(≒将来の自分)を考えると僕が少しずつ見えてくる。 

どうあるべきか、何をしているべきか、そして何を伝えたいのか。 

そうやって未来と比較することでもっともっと本当の笹川大和を認識できる気がする。



明日から3日間新潟に戻ります。

久しぶりに中学の時の仲間とサッカーをしてきます。

楽しみ楽しみ


世界一、俺はシアワセもん。





ノート

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大志



大志を抱かなくなった。 
2年前のノートをたまたま読んでいたらそう思った。 
読んでなくても気づいていたことだが。 

2年前書いたノートには沢山の大志が綴ってあった。
当時は毎日やりたいことをノートに書きなぐっていた。 

小さい頃からそうだった。 よく書いていた。

僕の続けている習慣を挙げるとすると、

・記録すること
・筋トレ

の2つがある。

小、中、高のサッカー部時代は毎日サッカーノートと健康ノートというものを書いていた。 
練習の内容を書くサッカーノートと毎日の体重と食べたもの全てを記していた健康ノート。

今でも日記は毎日書いている。 

そのサッカーノートにも目標や夢が書いてあったし、当時は夢を聞かれても何も考えずに
答えていた。 

当時の僕は、サッカー選手を目指さないのに、なぜサッカー部に入っているのか、
野球選手を目指さないのに、なぜ野球部に入っているのかあまり理解出来なかった。
歌手になりたいのであれば学校なんか来ないで一日中歌うべきだと思っていた。 
陸上選手になりたいのであれば走りまくればいい。 

とにかくその時は単純でエネルギーがあった。 

布団の中にサッカーボールを入れて一緒に寝ているぐらい46時中サッカーのことを考えていた。


ただ今は変に大人になってしまったのか、 見なくてもいい現実と呼ばれる現実を感じているのか、
わからないが大志を抱かなくなった。 

そして何より泣かなくなった。 

サッカーしているときは良く泣いていた。 だってそれが当時の僕の全てだったから。

だからいつか入院しないといけないことはずっと前から分かっていた。 

そうじゃなきゃ今でもサッカーをしていたに違いない。 




判断と決断



判断と決断には違いがあるようで、

判断とは存在する正解を探すこと

決断とは正解が存在しない状況で決めること だそうだ。

僕にとって今年は決断の年になると思う。 

正解なんて全く存在しない状況だ。  

決めて、継続して、実行する。 

そして次第にそれが「正解」という境界線で囲まれる。

決めて、継続して、実行する。

今は悩むを楽しむ。








子どもが出来たら、「男なんだからしっかりしろ」と言って伝えてやりたい。

世界一、おれはシアワセもん。


大きな自信になるその日まで

東日本大震が起きてから最近感じたことを書きます。


論理<感情 



上記は皆さんも知っての通り「菅総理の国民に向けての呼びかけ」の動画です。

僕、個人的には日本の政治家で「この人話すのが上手いなぁ」
と感動を覚えるような方は残念ながらいないし、
東京電力の会見などを見ていても明らかなように因果関係を理論立ててしっかりと伝えることが出来る人もかなり少ないように思える。

ただこの菅さんのスピーチで思ったことは、 
人間は論理でなく感情によって動かされる。 ということ。

どんなに論理的に相手に伝えて、どんなに正しいことを伝えても、
伝わらない時は伝わらない。 

逆に何も語らずに涙だけ流した方が自分が伝えたいことが正確に伝わることもある。

もっと身近な例で例るため、恋愛を例に出すと

好きな人になぜ好きなのか、なぜ付き合いたいのか、付き合うとどうなるのかなど
説明され告白されるのと、(そんな人あまりいないと思いますがw)

涙を流しながらただ一言「好きです」と言われるのであれば

間違いなく(おそらく、たぶん)後者を選ぶと思う。 

話しを戻しまとめると、この菅総理のスピーチでも彼の感情が
とても伝わり、感動した。

そもそも生き物なのに論理的な生き物と表現している時点でかなりの違和感はあるが、
人間は論理的ではなく、一粒の涙に心動かされる感情的な生き物であるということを改めて感じた。

そしてもしかしたら人間史的に21世紀の今は人間にとって生き物から、
ある物へ変化(進化)している分岐点なのかもしれない。




笑う

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皆さん最近笑っていますか?

被災者の方には、こんなこと言えませんが、少なくても
僕たちは暗く、悲しんでいるだけでなくたまには「笑う」を思い出して
Youtubeで漫才、お笑いとか検索してみて下さい。 

ちなみに僕のお気に入りはこちら

笑う」という行為は唯一人間だけに許された特権です。




共に有る幸福感



世界一、俺はシアワセもん

ブログ、SNS,twitterなどが登場して以来
僕たちの世界には無尽蔵で大量のトピックがある。
情報洪水と言われているようにまさに次から次へとトピックが変化し、
出ては消えてと情報消費の時代が来ている。 正確には来ていた。

ただこの地震が起きてから、世界のトッピクは一気に「地震」に集中し、
ミクロな世界からマクロな世界まで共に有ることが今は多く、それを身近な人と感じられている。

食品を買いにスーパーに言っても隣の人と
「食パン売れ切れちゃいましたね、となりのコンビニにもないですよ。」 
外国人に会うと「地震大丈夫ですか?」

SNSなどのマクロな世界でも、
「停電だけど頑張ろう。」
「僕も頑張ります。」
Pray For Japan

共に有ること、つまり共有することが改めて人間の幸福感を満たしてくれる大きな要素なのだと感じた。

この共有感を増やすためには、金銭的格差を始めてとした格差の減少が必要で、
それを踏まえるとマルクスも言っていたように世界は社会主義的な道を進んでいるのかなとも思う。




やっぱり日本人はすごい


世界一、俺はシアワセもん


アゴラで池田さんの日本人はすばらしい?の記事で少し議論が盛り上がっているようなので、僕の意見を書くと、

やはり日本人はすばらしと思う。
日本人の僕が言うのも少しおかしな話しだか、やはりそう思う。

日本人が書いたこのような記事が既にある時点で、僕は日本人の素晴らしさというのを説明するのに
は十分だと思う。

謙虚反省会好きな日本人の国民性がこの記事の存在で明らかになったと思う。

だってゴール決めておじぎする国民他にいます?w




学生は勉強



世界一、俺はシアワセもん


地震が起こってから、自分の無力さを感じ、自分を含め、身近な友達、知り合いでも、
「被災者のために何ができるのか」ということを考えることが多い。

僕たちが学生が出来ることは、勉強 なのかなと思う。
それは座学だけを意味する訳ではなく、もっと広義な勉強。




Learn to focus only on the present.


世界一、俺はシアワセもん


この記事を読んで、そしてこの災害で思うことはこれに尽きると思う。
少なくとも僕たちはそう思っていたい。
今ですね。 今。




フィナンシャルタイムズ紙で以前日本の財務省高官の方が
日本経済に必要なのは本当にすごい地震だ」と発言していたらしいが、財政的に日本はかなり厳しくなるでしょうね。 
株価も暴落し、計画停電がかなり長期的に続くような状態なので厳しさは増すばかりだと思います。
だた、雨が降らなきゃ花は咲きません。 

これが言いたかっただけですw 


やっぱし世界一、俺はシアワセもんです。