プロコフィエフ:

交響曲第5番変ロ長調作品100

組曲《キージェ中尉》 作品60

 

小澤征爾 指揮

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1990,グラモフォン)

 

 

今日は9日ぶりの休日。いやあ、疲れた。…といいつつ、普段の起床時間に目覚めてしまったので、朝の6時台から自室で音楽を聴く。

 

特に理由があるわけではなかったが、ふと目についた、小澤征爾指揮/ベルリン・フィルのプロコフィエフ「交響曲第5番」の演奏を聴きはじめた。

 

徹頭徹尾、緊張感に支配された演奏だ。

 

いつも聴く同曲の演奏は、デュトワ/モントリオール響の盤だが、それと比べると、さすがはアバド時代のベルリン・フィル、各楽器の技巧の妙を味わうことができる。しかし、それだけで終わる演奏ではない。

 

キーワードは「緊張」感なのだ。個々の奏者と指揮者との間に、良い意味での緊張感が漲っている演奏だと僕は思った。

 

終楽章の中間部は穏やかで、弦や木管の美しさが際立つが、それも束の間、再び緊張感が戻ってきて、怒涛のコーダをもって終曲する。

 

いやあ、こんなに良い演奏だったんだ、と再認識。

 

いままでも聴いてきた演奏だけど、今朝のような聴き方はできなかった。僕(の耳? 心?)が成長したのだろうか。

 

 

 

小澤の「第5番」は外さない。

 

ナンバー・ワンはショスタコーヴィチ、次がベートーヴェン、次がこのプロコフィエフで、4位がチャイコフスキーといったところかな…。

 

 

因みに、2位のベートーヴェンはサイトウ・キネン、4位のチャイコフスキーはベルリン・フィルとの録音を指している。

 

ボストン交響楽団とのマーラーの交響曲「第5番」については、長くて最後まで聞いたことがないため、僕には正当な評価ができない。…というか、「最後まで聴けない」のだから評価は高くないということになってしまう。マーラー好きの方々には、衷心より謝罪したい心境である。

 

マーラーの交響曲で、僕が最後まで聴けるのは、第1番《巨人》のみ。それも、終楽章が約20分もあって(執拗なので)せめて半分の長さであったら…と思っている類いの人間なのである。ほんとうに申し訳ない。

 

あっ、ついでに書くと、ブラームス《ハンガリー舞曲》「第5番」も軽妙な楽曲と重厚なサウンドの妙(サイトウ・キネン・オーケストラ)が聴けて、たいへん素晴らしいので、今回の「タイトルに偽りなし」と言っていいだろう。