今日の一曲!鬼束ちひろ「書きかけの手紙」 | A Flood of Music

今日の一曲!鬼束ちひろ「書きかけの手紙」

 

乱数メーカーの結果:759

 

 上記に基づく「今日の一曲!」は、鬼束ちひろのセクション(752~766)から「書きかけの手紙」です。上位15曲までに該当する「We can go」はアーティストの特集記事でレビュー済のため、上位30曲までの楽曲が対象となります。詳しい選曲プロセスが知りたい方は、こちらの説明記事をご覧ください。

 

 

 

収録先:『REQUIEM AND SILENCE』(2020)

 

 

 本作は現状で最新のベストアルバムで、「書きかけの手紙」は同盤のために書き下ろされた新曲です。ベスト盤が初出のナンバーという括りでは先掲の特集記事で「惑星の森」(2010)を紹介しており、その際に述べた「既出曲を揃えているファン向けの販促要素にされがちな未発表曲には中々どうして名曲が多いとの経験則」に、本曲もまた当て嵌まると言えます。

 

 シングル曲「This Silence Is Mine」(2013)はタイアップ先のゲームのサントラを除くと本作が唯一のアルバムとしての収録先ですし、リリース時までの配信限定シングル曲「祈りが言葉に変わる頃」(2014)および「End of the world」(2019)に、『ヒナギク』(2018)の表題曲とc/w曲「Twilight Dreams」も本作に初収録となるため、ビギナーは勿論オリジナルアルバムしか追っていないリスナーにとっても益の大きいベストです。

 

 

歌詞(作詞:鬼束ちひろ)

 

 

 上掲インタビューで語られている通り、鬼束さんの書く歌詞にしては珍しくストレートであるのが最大の特徴です。「手紙」というモチーフがそも等身大の内容を誘発しやすいことに加えて、「書きかけ」のドラフト感まで付与されたなら赤裸々に仕上がるのは道理でしょう。

 

 歌詞の大部分は「上手く出来なかったこと」への回顧で、ともすればネガティブな方向に振れそうな文面ではありますが、"届いた返事"の内容がそれら全てを救う希望に満ちたものとなっています。ラスサビから纏めて引用して、"「まともじゃなくたって いいから」/「ふつうじゃなくたって それでいいからね」と"は、疎外感を覚えて生きていればいるほど沁みる優しい肯定です。

 

 過去記事に関連記述のある範囲内で別アーティストからの例示をすると、スピッツの草野正宗さんの手に成る歌詞もこの手の表現が巧いとの認識で、例えば「正夢」(2004)の"ずっと まともじゃないって わかってる/もう一度 キラキラの方へ登っていく"や、「ルキンフォー」(2007)の"めずらしい 生き方でもいいよ/誰にもまねできないような"は、逸脱を否定されないことが当人にとってどれだけ幸福かを物語っています。

 

 話を鬼束さんに戻して個人的に本曲で最も気に入っている一節は、"頼りないものさえそっと頼りにした/きっとどこにもない気持ちだったから"です。溺れる者は藁をも掴むの立脚地を振り返って、その理由付けを藁そのものの脆さだけに止めず、自身の心がそも根無しだったことに気付いた上で行っている点に、精神の確かな円熟が感じられます。更に言えばここは「便り」と掛かっているのも技巧的で、便りの無いのは良い便りを額面通りに受け取れないのは百をも承知で信じるしかない複雑な心理描写です。

 

 

メロディ(作曲:鬼束ちひろ)

 

 ベスト盤のラストを飾る新曲という性質上敢えてなのだと理解していますが、鬼束さんの過去の楽曲を彷彿させるような旋律を随所に聴き出せます。具体的に曲名を挙げていくとパッチワーク的な悪印象を与えそうなので伏せまして、ファンサービスが行き届いた鬼束さんらしいメロディであると評しましょう。

 

 詞先なら歌詞の素直さをダイレクトに反映させた、曲先なら温順な旋律から自然と言葉が紡がれたと表現したい、その清らかさゆえに多く傷付いてきたと察せるバルネラブルな音運びに涙腺が緩みます。繰り返す度に熱量を増していく力強さも素敵で、とりわけ落ちサビ~ラスサビはメロの変化量が大きく新鮮です。フェイクが上手いと書いたほうが伝わりやすい人もいるでしょう。

 

 

アレンジ(編曲:坂本昌之)

 

 特集記事に於いては坂本さんのアレンジャーとしての手腕を、羽毛田丈史さんの「多彩な編曲術」に対して「トラックで聴かせるよりもボーカルを主軸に脇を固めることに長けている」と分析していました。本曲もこの評価を裏付ける一例と勝手に位置付けまして、メロディの項に書いた「繰り返す度に~」の背景には旋律に呼応するように編曲の装飾性をコントロールするプロの技が窺えます。

 

 

 
 

備考:特になし

 

 今回は取り立てて補足したいことはありません。