今日の一曲!相対性理論「ルネサンス」
乱数メーカーの結果:923
上記に基づく「今日の一曲!」は、相対性理論のセクション(909~923)から「ルネサンス」です。詳しい選曲プロセスが知りたい方は、こちらの説明記事をご覧ください。
なお、本記事では特定の名詞との混同を防ぐためバンド名をSTSRとアルファベットにします。公式サイトのURLや『正しい相対性理論』(2011)などでたまに出てくる表記なので、そこまで違和感はないと思いますが念のための注釈です。
収録先:『ハイファイ新書』(2009)
個人的な感性では本作がキャリア随一の傑作であるとの認識です。楽曲そのものの高い完成度はもはや前提条件で、演奏・レコーディング・ミックス・マスタリングの全てが理想的な音像を構築しているおかげで、最低限のバンド編成(Vo.+Gt,+Ba.+Dr.)にも拘らずフルオーケストラ宛らの豊かなサウンドが展開されていると絶賛します。
上記は勿論CDを鑑賞した後に得た感想ですが、それ以前にも別の観点からこれを補強するエピソードがあるので語らせてください。僕が本作延いてはSTSRの音源を初めて聴いたのは、友人のカーオーディオを通してでした。リリース年の出来事ゆえ遡れば13年前で、再生機器は更に古くそれなりの性能しか有していないはずなのに、音があまりにもクリアで驚かされた次第です。流れてきて即座に詳細を希望したくらいには一耳惚れでしたからね。
出典元は失念(おそらく2011±2年の『Sound & Recording Magazine』だと思う)…と断りつつcf.として別アーティストの言を紹介しますと、中田ヤスタカさんが「今は再生機器も多様化しているからどんな環境で聴かれたとしても違和感のないようにしたい」的なことを仰っていて、それと同種の徹底ぶりをカーオーディオで聴いた本作に見出したわけです。電子音楽界隈では作編曲者がミックスやマスタリングも一手に担う場合があるため再生環境への配慮も腹落ちしやすいけれど、バンド畑の当時まだ新人の作品にこの手の感想を抱くのは新鮮でした。
さて、STSRの内情というか制作背景に一家言ある方にとって、以降の小見出しの「作詞|作曲:真部脩一」という表記は論争の種かもしれません。Wikipediaでバンドの頁の概要欄をソース先も含めて読めばわかる通り、各々の領分についてメンバー間で齟齬があるからです。同一のメディア『CINRA』で比較をしても、真部さんは「僕が曲を書いた」という認識なのに対して、永井聖一さんは「4人全員で書いた」と主張し「クレジットが間違っている」とまで言い放っています。
もうひとつリンクされているサンレコのソース(上掲リンクの2010年5月号)はネット上で確認出来ないので手元の現物を参照してみたところ、永井さん単独のインタビューでも主旨は変わらず「完全な共同作業」でした。加えて、同号の付録CD『シンクロニシティーン/リコンストラクチャーズ』(2010)の解説文でも、作詞作曲に真部さんの名だけが載っている点は「クレジット・ミス」とされており、STSRは「誰かのワンマン・バンドではない」という立場が採られています。
実態は本人達にしかわからないため何方を支持するでもなく全般的な意見を述べますと、作詞・作曲・編曲の定義(其々が指す範疇)が人によってバラバラだからややこしくなってしまったのではと思いました。確かにセッションで曲作りをするようなタイプでは不可分の領域もありますし、性格上の問題として「僅かでも携わったならクレジットすべき」と「ネタ出し程度なら名前を載せなくてもいい」は対立しますよね。これらが制作に参与した人数分絡み合って複雑になるのでしょうが、本記事ではあくまで歌詞カードに準じて他意はないものとします。
歌詞(作詞:真部脩一)
ルネサンスというと文学と美術に於ける復興運動のイメージだけれども、本曲の主眼は算数ないし数学に置かれています。実際ルネサンスはもっと幅広い分野に興ったムーブメントで、例えば哲学や建築にしてもその発展に数学は絡んできますし、比喩的に使うこともあるため曲名と内容が乖離しているとは思いません。冒頭の一節"ルネサンスでいちにの算数"も、「お勉強をやり直しましょう」の意で解釈すれば自然です。
"偶数奇数はおともだち"|"小数点以下四捨五入"|"分母と分子が仲たがい"と算数の文脈で語れるものもあれば、"変数素数は顔見知り"|"実数虚数があばれだす"|"三角関数お手のもの"と数学に食い込んでくるフレーズもあって中々の手応えです。"世界経済はxyz"|"ルネサンスでイー・アル・サン・スー"|"デカダンスな授業は算数"と、他の科目とオーバーラップするような言い回しもあり楽しく学べます。
一方でサビは語感から連想ゲーム的に出てきたと思しき"さん"縛りのライミングで、ここを引用すると歌詞のほぼ全てを掲載することになってしまうため部分的に止めますが、"メイドさん"への労いと"だんなさん"への感謝をダジャレで綴るイタズラっぽさに奥方?の照れ隠しと可愛らしさが窺えて愛おしいです。
メロディ(作曲:真部脩一)
イントロの眩惑的なサウンドに導かれるままに展開されるAメロは、やくしまるえつこさんの歌い方や声質も相俟って妙に色っぽい音運びで、サ行の無声歯茎(硬口蓋)摩擦音の頻出による擦れで旋律に危うさが生じているのも、喩えるなら病気がちの深窓の麗人が健気に声を出しているかのようで物語を想像する余地があります。Bメロは実にBメロらしい王道のつくりでサビへの橋渡しの役目をそつなく熟し、サビはAメロの脆弱性と対比した温和なラインが癒しです。
アレンジ(編曲:相対性理論)
最初の一音が鳴った瞬間からグッと引き込まれる魔力があります。収録先の項で述べたサウンドの豊かさが如実に表れている心地好さです。とりわけギターの空間浸透力が素晴らしいとの認識で、先掲したサンレコの永井さんへのインタビューでもこの点は話題となっています。曰く「ディレイのリバーブ感っていうのが歌になじむ」で、蓋しその通りだと同意です。
やくしまるさんのボーカルラインへのカウンターおよびリフの高い旋律性に関しても首肯するほかなく、本曲に於いてギターはもう一人のボーカルと言ってもいいくらいには歌っています。このように歌と楽器の旋律が相互作用的に機能している場合、素直に捉えれば前者が作曲で後者が編曲の領分だと思うけれども、主旋律もまた伴奏によって規定されている部分(コードやハーモニーが先行する作曲法)があることを加味すると、双方が作編曲と言えなくもなく線引きに迷うところです。
備考:「バーモント・キッス」
【追記:2022.4.21】 一ヶ月経たない内に再び本作の収録楽曲がレビューの対象となったので、以下にリンクしておきます。
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