
今日の一曲!パスピエ「始まりはいつも」
「今日の一曲!」のフォーマットで新譜を扱う突然の新規性をご寛恕願いまして、今回はパスピエの5thフルアルバム『more humor』(2019)から、ラストナンバー「始まりはいつも」をレビューします。
まずディスク全体の感想を述べますと、やおさんが脱退して4人体制となってからのアルバムワークスとしては、同盤が最もハイクオリティな仕上がりであると高く評価しています。
ミニ盤の『OTONARIさん』(2017)は過去にレビュー済み、同じくミニの『ネオンと虎』(2018)も関連記事の中に捻じ込む形で短評を載せていますが、両作とも正直な感想を述べれば、楽曲単位でのお気に入りはあっても、一つの作品として聴いた場合には何か物足りなさを感じていたのも、僕の中では事実でした。
ゆえに形態がミニだったのかなと思えば擁護ポイントになるので、4人体制の真価を見極めるのは次のフルに委ねられると構えていたところに放たれた『more humor』は、僕の期待以上に進化したパスピエのニューサウンドに満ちていたと言えます。全体の印象を端的に表せば、随分と「大人びたな」と感じました。
顕著だと思うのは04.「煙」で、同曲を「今日の一曲!」にしようかと迷ったくらいには大のお気に入りです。曲名が象徴するように、イントロのギターのスモーキーさ加減だけでもゾクゾク来て、2番後間奏のソロで更に気持ち好くなり、昇天する心地でした。
下にMVを埋め込んだ02.「ONE」もかなりの好みで、オリエンタルなトラックメイキングに、笛の音が醸すAOR感、ボーカルラインに漂う気怠さも相俟って、これまた大人だなと。
かと思えば、05.「R138」や06.「だ」のように、初期のパスピエを彷彿させるポップセンスが光るナンバーもきちんと用意されていて安心です。
確かなスキルアップを感じさせつつ、原点回帰的な楽しさも見出せるという意味では、本作は確かに『more humor』であると納得するほかなく、中でもトリを飾る「始まりはいつも」については、これまでのキャリアで培われた諸々が、幸福な融合を果たした結果の名曲であると大絶賛します。
―
イントロのアッパーなサウンドからしてインパクト大で、小刻みなドラムスを軸にギターとベースとキーボードの全てで一つの主旋律を奏でているような、多層的な音の積み重ね方が実に技巧的です。
アレンジは当然バンドサウンドの範疇に収まるもの;ニューウェイヴもしくはシンセポップらしい仕上がりだと言えますが、所々にEDM然とした現代的なセンスも窺える点が面白く、とりわけ2番のAメロ裏(1:43~1:49)のエッジィなシンセによるラインには、身体を突き動かされるようなプリミティブな心地好さがあります。
当該部の歌詞内容が、"過剰なプッシュなんかやらしいな"であることを加味すると、「皮肉」という名のユーモアである気もしますけどね。
―
2番後間奏の疾走感のあるシーケンスフレーズが印象的なセクションをクールダウンに充て、Cメロをビルドアップ的に位置付けじわじわと盛り上げ、ライザーサウンドのわかりやすい煽りも入れた上で、満を持してラスサビで弾けるといった一連の流れも、目指すところに「パスピエ独自解釈のEDM」があるように映ります。
アウトロに関しても、3:48から再びイントロの多層的な編曲に戻す展開にしても良さそうなものをそうとはせず、ラスサビの熱量そのままに全速力で突き抜けていく楽想である点が素敵です。
作曲面についてもユニークさが光り、アッパーなアレンジに見合う加速的なメロディライン自体に狂喜の向きがありますし、更にBメロ以外は旋律性よりもフロウの良さに重きが置かれている気がする;宛らラップミュージックに宿るような勢いの良さと、言葉との強い結び付きが存在しているので、つい口遊みたくなってしまいます。
―
その言葉繰り、即ち歌詞に溢れるポジティブネスも素晴らしく、「エゴ」や「好き」を貫く姿勢の難しさと尊さが独特の目線で切り取られた、応援歌然りの未来志向の内容が出色です。
中でもはっとさせられたフレーズは、2番サビの"好きイコール詳しいなんて式はないから/もっと見たい聞きたい触れてみたい/的なね 気がねありゃ大正解"で、知識量マウンティングにも一種の正義はあるだろうと考えている僕にとっては、チクリと刺さりました。
僕は仮に知識でマウントを取られても、「色々知っていて凄いな」と寧ろリスペクトの念が芽生えるタイプなので(「そのうち追い抜かすけどな」といった負けず嫌いなだけかもしれませんが)、悪態が伴っていない限りはあまり気にならないのです。
好きゆえにナチュラルに集積させた知識や経験の豊富さを、そのまま外に出しただけで相手にマウントを主張されるのは理不尽だと思うため、前半の"好きイコール"~に全面的な同意は出来ませんが、後半の"もっと見たい"~の積極性が「好き」の神髄である点には首肯します。
まあ前半の内容はもっとシンプルに考えて、「たとえ新参でも古参に気後れする必要は何もない」とのメッセージだと解するのが自然な気はしますし、こう換言すれば大いに賛同可能な一節です。
―
歌詞のテーマとは離れた箇所で好きな表現は、1番Aに出てくる"経験値倍イベントの代償"という歌詞で、これはまさに現代らしい言葉選びだなと評します。
おそらくゲーム由来の、それもスマートフォンが主流となってからのソーシャルゲームから来たフレーズであるとの認識で、これをソシャゲに言及する文脈ではないところに登場させているのが、殊更に斬新だと思いました。
たとえばソシャゲ原作アニメの主題歌や、スマホカルチャーにふれた歌の歌詞に、「課金」だとか「ガチャ」だとかのワードが出てくるものに関しては、幾つか例を思い付きますし、2010年代も残り半年となった今となっては別段珍しくない印象です。
しかし、当該の歌詞のように一般的な語彙選択の場面にまでソシャゲ界隈の用語が浸透してきていると考えると、益々隔世の感があります。
とはいえ僕も複数のソシャゲをプレイしている身なので、基本的な用語は理解しているつもりです。その中には完全個人プレイのゲームが幅を利かせていた時代にはなかったような独特な表現もあるのが面白く、たとえば圧倒的な優位を取れるがゆえに確実に手にしておくべきキャラクターやカードが「人権」と揶揄されたり、リアルマネーで購入出来るゲーム内通貨はどのような名前であろうと「石」と呼称されたり、それを使用してスタミナ等を回復することを「割る」と表したり、このような用法が歌詞に出てくるのも時間の問題(或いは既にもうある?)かもしれませんね。
"経験値倍イベント"に関しては、ゲームの周年記念に通常のクエストがこの仕様となり、主に新規ユーザーへの救済措置となっているものが多いとの分析ですが、パーティやユニットにコストの上限値が設定されているタイプのゲームでは、高レベルのプレイヤーであっても、この期間にどれだけ石を割って周回出来るかで差が出てしまうので、頑張る人はとことん頑張るイメージです。
―
歌詞に話を戻して、"暗黙のルール スルーする度胸はない/理路整然な路線で安全/経験値倍イベントの代償/見当違い心的外傷"のコンテクストを現実に即して(=ソシャゲと絡めずに)読み解くならば、"経験値倍イベント"というのは「若い頃」と同義であると解釈します。
とかく若いうちは何でも吸収が早いので、だからこそ多くの経験を得ることが肝要となるわけですが、これを大人になってから悔いても得られる経験値は等倍であるため、当然成長の度合いも鈍くなるわけです。
若い頃に安牌を切るようなルートばかりを選んできた結果、積極的に動いていた周囲の人間にいつの間にか水をあけられてしまっていて、戻れない現状ごとトラウマになってしまったというのが、この一節で言わんとしていることではないでしょうか。
ここからテーマに結び付けるならば、「だとしても今からだって前には進めるだろう」と、文字通り逆接の強い意志でもって、開き直りに近い前向きさが披露されているのだと見ます。
曲名の「始まりはいつも」は、これに何かを足して「始まりはいつも〇〇」との意味もあるでしょうが、入れ替えて「いつでも始まり」のニュアンスもあると主張したいです。
![]() | more humor(初回限定盤) 2,844円 Amazon |
まずディスク全体の感想を述べますと、やおさんが脱退して4人体制となってからのアルバムワークスとしては、同盤が最もハイクオリティな仕上がりであると高く評価しています。
ミニ盤の『OTONARIさん』(2017)は過去にレビュー済み、同じくミニの『ネオンと虎』(2018)も関連記事の中に捻じ込む形で短評を載せていますが、両作とも正直な感想を述べれば、楽曲単位でのお気に入りはあっても、一つの作品として聴いた場合には何か物足りなさを感じていたのも、僕の中では事実でした。
ゆえに形態がミニだったのかなと思えば擁護ポイントになるので、4人体制の真価を見極めるのは次のフルに委ねられると構えていたところに放たれた『more humor』は、僕の期待以上に進化したパスピエのニューサウンドに満ちていたと言えます。全体の印象を端的に表せば、随分と「大人びたな」と感じました。
顕著だと思うのは04.「煙」で、同曲を「今日の一曲!」にしようかと迷ったくらいには大のお気に入りです。曲名が象徴するように、イントロのギターのスモーキーさ加減だけでもゾクゾク来て、2番後間奏のソロで更に気持ち好くなり、昇天する心地でした。
下にMVを埋め込んだ02.「ONE」もかなりの好みで、オリエンタルなトラックメイキングに、笛の音が醸すAOR感、ボーカルラインに漂う気怠さも相俟って、これまた大人だなと。
かと思えば、05.「R138」や06.「だ」のように、初期のパスピエを彷彿させるポップセンスが光るナンバーもきちんと用意されていて安心です。
確かなスキルアップを感じさせつつ、原点回帰的な楽しさも見出せるという意味では、本作は確かに『more humor』であると納得するほかなく、中でもトリを飾る「始まりはいつも」については、これまでのキャリアで培われた諸々が、幸福な融合を果たした結果の名曲であると大絶賛します。
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イントロのアッパーなサウンドからしてインパクト大で、小刻みなドラムスを軸にギターとベースとキーボードの全てで一つの主旋律を奏でているような、多層的な音の積み重ね方が実に技巧的です。
アレンジは当然バンドサウンドの範疇に収まるもの;ニューウェイヴもしくはシンセポップらしい仕上がりだと言えますが、所々にEDM然とした現代的なセンスも窺える点が面白く、とりわけ2番のAメロ裏(1:43~1:49)のエッジィなシンセによるラインには、身体を突き動かされるようなプリミティブな心地好さがあります。
当該部の歌詞内容が、"過剰なプッシュなんかやらしいな"であることを加味すると、「皮肉」という名のユーモアである気もしますけどね。
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2番後間奏の疾走感のあるシーケンスフレーズが印象的なセクションをクールダウンに充て、Cメロをビルドアップ的に位置付けじわじわと盛り上げ、ライザーサウンドのわかりやすい煽りも入れた上で、満を持してラスサビで弾けるといった一連の流れも、目指すところに「パスピエ独自解釈のEDM」があるように映ります。
アウトロに関しても、3:48から再びイントロの多層的な編曲に戻す展開にしても良さそうなものをそうとはせず、ラスサビの熱量そのままに全速力で突き抜けていく楽想である点が素敵です。
作曲面についてもユニークさが光り、アッパーなアレンジに見合う加速的なメロディライン自体に狂喜の向きがありますし、更にBメロ以外は旋律性よりもフロウの良さに重きが置かれている気がする;宛らラップミュージックに宿るような勢いの良さと、言葉との強い結び付きが存在しているので、つい口遊みたくなってしまいます。
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その言葉繰り、即ち歌詞に溢れるポジティブネスも素晴らしく、「エゴ」や「好き」を貫く姿勢の難しさと尊さが独特の目線で切り取られた、応援歌然りの未来志向の内容が出色です。
中でもはっとさせられたフレーズは、2番サビの"好きイコール詳しいなんて式はないから/もっと見たい聞きたい触れてみたい/的なね 気がねありゃ大正解"で、知識量マウンティングにも一種の正義はあるだろうと考えている僕にとっては、チクリと刺さりました。
僕は仮に知識でマウントを取られても、「色々知っていて凄いな」と寧ろリスペクトの念が芽生えるタイプなので(「そのうち追い抜かすけどな」といった負けず嫌いなだけかもしれませんが)、悪態が伴っていない限りはあまり気にならないのです。
好きゆえにナチュラルに集積させた知識や経験の豊富さを、そのまま外に出しただけで相手にマウントを主張されるのは理不尽だと思うため、前半の"好きイコール"~に全面的な同意は出来ませんが、後半の"もっと見たい"~の積極性が「好き」の神髄である点には首肯します。
まあ前半の内容はもっとシンプルに考えて、「たとえ新参でも古参に気後れする必要は何もない」とのメッセージだと解するのが自然な気はしますし、こう換言すれば大いに賛同可能な一節です。
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歌詞のテーマとは離れた箇所で好きな表現は、1番Aに出てくる"経験値倍イベントの代償"という歌詞で、これはまさに現代らしい言葉選びだなと評します。
おそらくゲーム由来の、それもスマートフォンが主流となってからのソーシャルゲームから来たフレーズであるとの認識で、これをソシャゲに言及する文脈ではないところに登場させているのが、殊更に斬新だと思いました。
たとえばソシャゲ原作アニメの主題歌や、スマホカルチャーにふれた歌の歌詞に、「課金」だとか「ガチャ」だとかのワードが出てくるものに関しては、幾つか例を思い付きますし、2010年代も残り半年となった今となっては別段珍しくない印象です。
しかし、当該の歌詞のように一般的な語彙選択の場面にまでソシャゲ界隈の用語が浸透してきていると考えると、益々隔世の感があります。
とはいえ僕も複数のソシャゲをプレイしている身なので、基本的な用語は理解しているつもりです。その中には完全個人プレイのゲームが幅を利かせていた時代にはなかったような独特な表現もあるのが面白く、たとえば圧倒的な優位を取れるがゆえに確実に手にしておくべきキャラクターやカードが「人権」と揶揄されたり、リアルマネーで購入出来るゲーム内通貨はどのような名前であろうと「石」と呼称されたり、それを使用してスタミナ等を回復することを「割る」と表したり、このような用法が歌詞に出てくるのも時間の問題(或いは既にもうある?)かもしれませんね。
"経験値倍イベント"に関しては、ゲームの周年記念に通常のクエストがこの仕様となり、主に新規ユーザーへの救済措置となっているものが多いとの分析ですが、パーティやユニットにコストの上限値が設定されているタイプのゲームでは、高レベルのプレイヤーであっても、この期間にどれだけ石を割って周回出来るかで差が出てしまうので、頑張る人はとことん頑張るイメージです。
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歌詞に話を戻して、"暗黙のルール スルーする度胸はない/理路整然な路線で安全/経験値倍イベントの代償/見当違い心的外傷"のコンテクストを現実に即して(=ソシャゲと絡めずに)読み解くならば、"経験値倍イベント"というのは「若い頃」と同義であると解釈します。
とかく若いうちは何でも吸収が早いので、だからこそ多くの経験を得ることが肝要となるわけですが、これを大人になってから悔いても得られる経験値は等倍であるため、当然成長の度合いも鈍くなるわけです。
若い頃に安牌を切るようなルートばかりを選んできた結果、積極的に動いていた周囲の人間にいつの間にか水をあけられてしまっていて、戻れない現状ごとトラウマになってしまったというのが、この一節で言わんとしていることではないでしょうか。
ここからテーマに結び付けるならば、「だとしても今からだって前には進めるだろう」と、文字通り逆接の強い意志でもって、開き直りに近い前向きさが披露されているのだと見ます。
曲名の「始まりはいつも」は、これに何かを足して「始まりはいつも〇〇」との意味もあるでしょうが、入れ替えて「いつでも始まり」のニュアンスもあると主張したいです。
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