
今日の一曲!Mr.Children「雨のち晴れ」
【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:雨】の第二十弾です。【追記ここまで】
「今日の一曲!」はMr.Childrenの「雨のち晴れ」(1994)です。4thアルバム『Atomic Heart』収録曲。
ミスチルは選曲に悩みました。タイトルに「雨」を含む曲は意外と少ないのですが、歌詞にまで目を向けると紹介したいものが多くてどうしたものかと。以下に「雨のち晴れ」を選ぶまでのプロセスを示しますが、ミスチルで雨のナンバーを求めている人にとっては参考になる内容かと思います。
まずテーマ的に最も相応しいのは、歌詞に"物憂げな 6月の雨に 打たれて"とある「innocent world」(1994)だと思いました。しかしこれはあまりにも有名曲過ぎるということで見送り。次に思い付いたのは「Surrender」(1999)で、これを発展させて「ミスチル失恋ソング特集」を書こうかともしましたが、「今日の一曲!」としての枠を逸脱しそうでこれも取止め。今度は反対に「Simple」(1999)や「通り雨」(2007)などのポジティブ方向で思案するものの、梅雨時に聴きたい感じではないよなぁと躊躇う始末。そんな中で最終的に思い至ったのが、ネガポジ折衷案の雨上がり路線です。この記事の冒頭でひっそりとお知らせしましたが、途中から雨上がりの曲も紹介対象に含めることにしたので、本記事はその一例だとご理解ください。
ということで改めて、今回紹介する楽曲はミスチルの「雨のち晴れ」です。アルバムではインストナンバー「Rain」の後に収録されており、きちんとしたストーリーが意識されていると言えます。
歌詞に直接書いてある通り、本曲に於ける"雨のち晴れ"の情景はあくまでも"イメージ"であり、実際の雨を思わせるような表現はありません。勿論現実の雨を重ねてみても何らおかしくはない内容ですが、"今日は雨降りでも いつの日にか"は、文脈的にも精神論と捉えたほうが据りがいいと思います。歌詞の大部分が"僕"の冴えない日々の描写にあてられ、これが言わば「僕にとっての雨降り」だという構図を意識すれば尚更です。
"単調な生活を繰り返すだけ/そんな毎日もいいさ"と、仰けから志の低さが露呈するようなフレーズですが、そのことが必ずしも後向きであるとは言えず、全体としては寧ろなるべく楽しく日々を生き抜こうとする処世術が提示されているかの如き歌詞内容であるため、そこだけを見ればなかなかにポジティブなのではと思います。ただ、同時に無理をしている感覚も痛いほど伝わってくるので、手放しで喜べるわけでは決してないというところが、本曲の肝ではないでしょうか。
"親友との約束もキャンセルして/部屋でナイターを見よう"、"上司に愚痴言われるうちが「花」だって言うから/いっそ可憐に咲き誇ろうかと思うよ"、"1 DK狛江のアパートには/2羽のインコを飼う"などは、哀愁漂う内容でありながらも人間性は捨てていないというか、無感動にはなるまいとする意識だけは残っている風に映り、悶々とはしているものの不幸ではないように思えます。
意外と異性関係にも積極的で、"3ヶ月前"までは彼女が居たことが示されていますし、"グラマーな娘に滅法弱い"だの"新人のマリちゃんに言い寄っても"だの"なるべくいい娘探したいって思っちゃいるけど"だのと、本能的な行動を諦めていないのでこれは至って健全だと評価したいです。個人的な考えに過ぎないと断っておきますが、草食系やさとり世代の特徴のひとつと言われている類の恋愛への非積極性を僕はあまり理解出来ないので、これくらいのがっつきがあったほうが共感を覚えます。
ここまでの記述だけだと「なんだかんだでリア充じゃないか!何が雨降りだよ!」というツッコミが入りそうですが、これは僕が意図的に良い部分だけを抜粋して恣意的な理解を披露しているからであって、細かく見ていくと本曲に於ける"僕"はかなり自己評価が低いことがわかり、それが冴えないイメージに拍車をかけているのだと反論が可能です。
"「お前って暗い奴」そう言われてる/幼少の頃からさ"が決定的ですが、他にも"僕一人が浮いてる"、"出来損ないの僕に母親は繰り返す"、"優秀な人材と勘違いされ"などは、謙遜と言うより卑下としたほうが適切でしょう。"若さで乗り切れるのも 今年ぐらいだね"にもまた哀感があり、やりたいことや出来ることが段々と減っていく恐怖を上手に滲ませた、日陰者ならではの世界の見方が提示されていると受け取りました。まあ加齢による肉体的な衰退と精神的な視野狭窄はどんな人にも平等でしょうけどね。
ネガポジの両側面を示したところで、漸く肝の話に入れます。表題の一節である"イメージはいつでも/雨のち晴れ"が端的ですが、楽曲のテーマは言わば「ネガポジ反転」なのです。
各サビの歌詞がシンプルな言葉遣いゆえに素敵で、読みにくいですが全て引用すると、"もうちょっと もうちょっと/頑張ってみるから/ねえもっと ねえもっと/いい事があるかな"(1番)、"もうちょっと もうちょっと/僕を信じてみて/こうなっちゃ こうなっちゃ/後戻りできない"(2番)、"もういいや もういいや/疲れ果てちまった/そう言って そう言って/ここまで来たじゃないか"(3番)となり、これらのフレーズからは「どんな境遇でも生は続いていくのだからせめて明るい展望を持っていよう」という未来志向が窺え、応援歌として非常に素晴らしい内容であると評価しています。
ただ、個人的にはサビのわかりやすさよりも3番Bの歌詞に一層の感動を覚えていて、"この先どうなるの かなんて 誰もわからない/その日暮し 楽しく生きりゃいいのかもしれないね/そんな事思いながらも また日が暮れる"は、根が刹那主義でも長期的なビジョンを持っていたい僕のような矛盾野郎の思いを代弁してくれているように感じるので、本曲でいちばんのお気に入りフレーズです。
あともう一点だけ言及したい…いや、満を持してふれるべきポイントがあるので、最後に歌詞以外の要素に注目します。
本曲のメロディ構成は【A→B→サビ】の所謂J-POPらしいもので、A/Bメロのややコミカルで軽快な感じから一転して、サビで浮遊感の漂う展開になるところは確かに印象的です。しかし、僕は本曲の楽想上のクライマックスは主旋律以外の場所にあると思っていて、それはずばり2番後の間奏だと主張します。回りくどい言い方をしましたが、要するに間奏のアレンジが素晴らしいという話です。
シンセの音だと思うので小林武史さんの手腕だと推測しますが、音遣いは切なさ爆発だわメロディラインは涙腺にくるわで、この僅か20秒程度の間奏に「雨のち晴れ」のサウンドスケープが全て込められているとしても過言ではないと絶賛します。ここまで色々と言葉を尽くして歌詞内容を掘り下げましたが、実はそれらは全て楽曲の外枠に過ぎず、本質はこの間奏を聴けばわかると宣言したいくらいに好きなパートです。
「今日の一曲!」はMr.Childrenの「雨のち晴れ」(1994)です。4thアルバム『Atomic Heart』収録曲。
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ミスチルは選曲に悩みました。タイトルに「雨」を含む曲は意外と少ないのですが、歌詞にまで目を向けると紹介したいものが多くてどうしたものかと。以下に「雨のち晴れ」を選ぶまでのプロセスを示しますが、ミスチルで雨のナンバーを求めている人にとっては参考になる内容かと思います。
まずテーマ的に最も相応しいのは、歌詞に"物憂げな 6月の雨に 打たれて"とある「innocent world」(1994)だと思いました。しかしこれはあまりにも有名曲過ぎるということで見送り。次に思い付いたのは「Surrender」(1999)で、これを発展させて「ミスチル失恋ソング特集」を書こうかともしましたが、「今日の一曲!」としての枠を逸脱しそうでこれも取止め。今度は反対に「Simple」(1999)や「通り雨」(2007)などのポジティブ方向で思案するものの、梅雨時に聴きたい感じではないよなぁと躊躇う始末。そんな中で最終的に思い至ったのが、ネガポジ折衷案の雨上がり路線です。この記事の冒頭でひっそりとお知らせしましたが、途中から雨上がりの曲も紹介対象に含めることにしたので、本記事はその一例だとご理解ください。
ということで改めて、今回紹介する楽曲はミスチルの「雨のち晴れ」です。アルバムではインストナンバー「Rain」の後に収録されており、きちんとしたストーリーが意識されていると言えます。
歌詞に直接書いてある通り、本曲に於ける"雨のち晴れ"の情景はあくまでも"イメージ"であり、実際の雨を思わせるような表現はありません。勿論現実の雨を重ねてみても何らおかしくはない内容ですが、"今日は雨降りでも いつの日にか"は、文脈的にも精神論と捉えたほうが据りがいいと思います。歌詞の大部分が"僕"の冴えない日々の描写にあてられ、これが言わば「僕にとっての雨降り」だという構図を意識すれば尚更です。
"単調な生活を繰り返すだけ/そんな毎日もいいさ"と、仰けから志の低さが露呈するようなフレーズですが、そのことが必ずしも後向きであるとは言えず、全体としては寧ろなるべく楽しく日々を生き抜こうとする処世術が提示されているかの如き歌詞内容であるため、そこだけを見ればなかなかにポジティブなのではと思います。ただ、同時に無理をしている感覚も痛いほど伝わってくるので、手放しで喜べるわけでは決してないというところが、本曲の肝ではないでしょうか。
"親友との約束もキャンセルして/部屋でナイターを見よう"、"上司に愚痴言われるうちが「花」だって言うから/いっそ可憐に咲き誇ろうかと思うよ"、"1 DK狛江のアパートには/2羽のインコを飼う"などは、哀愁漂う内容でありながらも人間性は捨てていないというか、無感動にはなるまいとする意識だけは残っている風に映り、悶々とはしているものの不幸ではないように思えます。
意外と異性関係にも積極的で、"3ヶ月前"までは彼女が居たことが示されていますし、"グラマーな娘に滅法弱い"だの"新人のマリちゃんに言い寄っても"だの"なるべくいい娘探したいって思っちゃいるけど"だのと、本能的な行動を諦めていないのでこれは至って健全だと評価したいです。個人的な考えに過ぎないと断っておきますが、草食系やさとり世代の特徴のひとつと言われている類の恋愛への非積極性を僕はあまり理解出来ないので、これくらいのがっつきがあったほうが共感を覚えます。
ここまでの記述だけだと「なんだかんだでリア充じゃないか!何が雨降りだよ!」というツッコミが入りそうですが、これは僕が意図的に良い部分だけを抜粋して恣意的な理解を披露しているからであって、細かく見ていくと本曲に於ける"僕"はかなり自己評価が低いことがわかり、それが冴えないイメージに拍車をかけているのだと反論が可能です。
"「お前って暗い奴」そう言われてる/幼少の頃からさ"が決定的ですが、他にも"僕一人が浮いてる"、"出来損ないの僕に母親は繰り返す"、"優秀な人材と勘違いされ"などは、謙遜と言うより卑下としたほうが適切でしょう。"若さで乗り切れるのも 今年ぐらいだね"にもまた哀感があり、やりたいことや出来ることが段々と減っていく恐怖を上手に滲ませた、日陰者ならではの世界の見方が提示されていると受け取りました。まあ加齢による肉体的な衰退と精神的な視野狭窄はどんな人にも平等でしょうけどね。
ネガポジの両側面を示したところで、漸く肝の話に入れます。表題の一節である"イメージはいつでも/雨のち晴れ"が端的ですが、楽曲のテーマは言わば「ネガポジ反転」なのです。
各サビの歌詞がシンプルな言葉遣いゆえに素敵で、読みにくいですが全て引用すると、"もうちょっと もうちょっと/頑張ってみるから/ねえもっと ねえもっと/いい事があるかな"(1番)、"もうちょっと もうちょっと/僕を信じてみて/こうなっちゃ こうなっちゃ/後戻りできない"(2番)、"もういいや もういいや/疲れ果てちまった/そう言って そう言って/ここまで来たじゃないか"(3番)となり、これらのフレーズからは「どんな境遇でも生は続いていくのだからせめて明るい展望を持っていよう」という未来志向が窺え、応援歌として非常に素晴らしい内容であると評価しています。
ただ、個人的にはサビのわかりやすさよりも3番Bの歌詞に一層の感動を覚えていて、"この先どうなるの かなんて 誰もわからない/その日暮し 楽しく生きりゃいいのかもしれないね/そんな事思いながらも また日が暮れる"は、根が刹那主義でも長期的なビジョンを持っていたい僕のような矛盾野郎の思いを代弁してくれているように感じるので、本曲でいちばんのお気に入りフレーズです。
あともう一点だけ言及したい…いや、満を持してふれるべきポイントがあるので、最後に歌詞以外の要素に注目します。
本曲のメロディ構成は【A→B→サビ】の所謂J-POPらしいもので、A/Bメロのややコミカルで軽快な感じから一転して、サビで浮遊感の漂う展開になるところは確かに印象的です。しかし、僕は本曲の楽想上のクライマックスは主旋律以外の場所にあると思っていて、それはずばり2番後の間奏だと主張します。回りくどい言い方をしましたが、要するに間奏のアレンジが素晴らしいという話です。
シンセの音だと思うので小林武史さんの手腕だと推測しますが、音遣いは切なさ爆発だわメロディラインは涙腺にくるわで、この僅か20秒程度の間奏に「雨のち晴れ」のサウンドスケープが全て込められているとしても過言ではないと絶賛します。ここまで色々と言葉を尽くして歌詞内容を掘り下げましたが、実はそれらは全て楽曲の外枠に過ぎず、本質はこの間奏を聴けばわかると宣言したいくらいに好きなパートです。
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