今日の一曲!パスピエ「夕焼けは命の海」【テーマ:箸】
【追記:2021.1.4】 本記事は「今日の一曲!」Ver. 1.0の第四十三弾です。【追記ここまで】
出来ますが、無意識だと段々おかしくなってしまいます。癖なのか中指が箸の間に入り込もうとするんですよね…
この機会に調べたのですが、『きのこの独り言』というサイトにあった「正しい 箸の持ち方」というページが参考になりました。というか面白かった。正しい箸の持ち方だけではなく、「いろいろな箸の持ち方」と題して写真と共に操作力を数値化してあるのでユニークだなと。
そのページの写真番号で説明しますと、最初は4a(正しい状態)でも次第に4bへシフトしていき気を抜くと4eになってしまう…というのが僕の箸の持ち方だと思います。笑
「箸の持ち方には育ちが出る」とよく言われますし、親(周囲の大人)の仕草を見て/指摘を受けて学ぶことなので一理あるとは思いますが、これに限らずひとつのマナーだけを取り立てて為人を判断するような狭量な人間にはなりたくないものです。
マナーにこだわること自体は勿論良いことですが、箸の持ち方の場合は正しく持った方がいちばん機能的であるというだけなので、我流だからおかしいというものではないと思うんですよね。全員が全員同じ手の大きさ・指の太さ/長さ・可動範囲ではないのだし。育ちを判断する好材料のような扱いですが、単に器用さの指標ではないかと僕は思います。
持ち方以外にも箸の使い方にはタブーがたくさんありますが、そういうところを見る方が育ちに関しては適しているのではないでしょうか。合わせ箸や立て箸など禁忌の理由が明確なものからはその人の教養や常識が測れますし、空箸や直箸からはその人の衛生観念を知ることが出来るので。再度言いますが、だからと言ってこれだけで為人を判断するべきではありませんね。
わたし開花したわ/COCONOE RECORDS

¥1,851
Amazon.co.jp
そんな【テーマ:箸】で挑む「今日の一曲!」は、パスピエの「夕焼けは命の海」(2011)です。1stアルバム『わたし開花したわ』のラストを飾るナンバー。*1stアルバムという記述は公式サイトの文章に準拠(後述)。
歌詞に"二本の箸で ばらばらだよ/解体のショーだね ああそうだね"という一節があるので選びました。ここだけ抜き出すとホラーですが、これは"夕食"の"魚"に対する表現です。
こう書くと今度はグルメの歌なのかと思われるかもしれませんが…いや、別にそれも間違いではないのですが、上掲の"解体のショー"という猟奇的な表現や、"死んだ魚焼ける匂い"という含みのある言い方から察せるように、食は食でも「生き物の命を頂く」という客観的事実にフォーカスしているのが「夕焼けは命の海」の歌詞の特徴です。
1番はボーカル+キーボードだけの最低限の編成で静かな立ち上がり。歌詞通り"夕焼けこやけでトンボの気分"が味わえるような哀愁漂うサウンドです。2番からバンド隊が加わり徐々にビート感が増していきますが、この段階ではまだ大人しめ。
2番サビが終わるとそのまま曲自体が閉じていくかような〆の空気が醸されますが、実際は全くの逆でここから俄に曲が爆発し始めます。パレード或いはダンスホールを思わせるような煌びやかな質感に変貌。
直前の歌詞が"昨日はまだ泳いでいたかな/青い海泳いでいたかな"なので、このメルヘンなパートは食卓に出された"魚"の回想シーンだと解釈しています。群れで泳いでいたときの自由な記憶。
その後また食卓のパートに戻りますが、結びは"死んだ魚 だけどおまえは/僕の中泳いでいるんだね"という歌詞なので、綺麗な着地ならぬ着水を見せていると言えます。「夕焼けは命の海」というタイトルにも納得です。
収録アルバムの『わたし開花したわ』ですが、1stとは思えない名盤です。レビュー冒頭でも書きましたが、公式の「1stアルバム」という表記は「フルじゃないアルバム」という意味のようなので、本作はつまり1stミニアルバムという扱いだと思います。
しかしややこしいことにこれはインディーズ盤なので、メジャーデビューのミニアルバムである『ONOMIMONO』(2012)を1stとカウントする場合もあるようです(wikipediaはこのパターン)。2010年の自主制作盤まで考慮するとよりややこしくなりますが、いずれにせよ1stフルアルバムが『演出家出演』(2013)なのは同じです。
わざわざ混乱するようなことを書いた理由は、ニューウェイヴ系のバンドは最初からサウンドが確立していて後発の作品と聴き比べても遜色のないものが多い、という主張を行いたかったからです。どれを1stとするかで説得力が変わってしまうので、ここでは『わたし開花したわ』が全国お披露目盤ということで1stだとします。
全体的に完成度が高いと思うのですが、特に好きなのは07.「うちあげ花火」、03.「あきの日」、04.「チャイナタウン」の3曲です。歌詞、メロディ、サウンドのどれをとってもオリエンタル全開で、これぞ日本人というかアジア人の感性だなという気になります。
この感じのツボを刺激されたのはフジファブリック以来でした。キーボードの存在が大きいように思います。サカナクションも楽曲によっては同様の印象を抱くものがありますが、サカナはそれと同じぐらいに海外の影響も感じさせるサウンドメイキングなので、やはりバンド毎に特色は異なるなと感じますね。
パスピエもフジファブリックもオリエンタル一辺倒というわけではないので、多様な海外の音楽を独自に解釈し再構築しているバンドではあると思いますが、両バンドともきちんとメロディアス(主旋律は勿論、各楽器が奏でるフレーズに至るまで)なところが日本人的だなあと思います。J-POP的なキャッチーさもあるというかね。
当ブログにおけるパスピエの記事は4thフルアルバムの『&DNA』(2017)のレビュー以来ですが、この間にドラムスのやおたくやさんが脱退してしまったのが残念です。
屋台骨(ドラムス)が変わるというのはサウンドに大きく影響しますからね。いや、どのポジションだろうが人が変わったら音も変わって当然なのですが、ノリやグルーヴに関わるところは特にという意味で。
正しいお箸の持ち方できる?
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出来ますが、無意識だと段々おかしくなってしまいます。癖なのか中指が箸の間に入り込もうとするんですよね…
この機会に調べたのですが、『きのこの独り言』というサイトにあった「正しい 箸の持ち方」というページが参考になりました。というか面白かった。正しい箸の持ち方だけではなく、「いろいろな箸の持ち方」と題して写真と共に操作力を数値化してあるのでユニークだなと。
そのページの写真番号で説明しますと、最初は4a(正しい状態)でも次第に4bへシフトしていき気を抜くと4eになってしまう…というのが僕の箸の持ち方だと思います。笑
「箸の持ち方には育ちが出る」とよく言われますし、親(周囲の大人)の仕草を見て/指摘を受けて学ぶことなので一理あるとは思いますが、これに限らずひとつのマナーだけを取り立てて為人を判断するような狭量な人間にはなりたくないものです。
マナーにこだわること自体は勿論良いことですが、箸の持ち方の場合は正しく持った方がいちばん機能的であるというだけなので、我流だからおかしいというものではないと思うんですよね。全員が全員同じ手の大きさ・指の太さ/長さ・可動範囲ではないのだし。育ちを判断する好材料のような扱いですが、単に器用さの指標ではないかと僕は思います。
持ち方以外にも箸の使い方にはタブーがたくさんありますが、そういうところを見る方が育ちに関しては適しているのではないでしょうか。合わせ箸や立て箸など禁忌の理由が明確なものからはその人の教養や常識が測れますし、空箸や直箸からはその人の衛生観念を知ることが出来るので。再度言いますが、だからと言ってこれだけで為人を判断するべきではありませんね。
わたし開花したわ/COCONOE RECORDS

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そんな【テーマ:箸】で挑む「今日の一曲!」は、パスピエの「夕焼けは命の海」(2011)です。1stアルバム『わたし開花したわ』のラストを飾るナンバー。*1stアルバムという記述は公式サイトの文章に準拠(後述)。
歌詞に"二本の箸で ばらばらだよ/解体のショーだね ああそうだね"という一節があるので選びました。ここだけ抜き出すとホラーですが、これは"夕食"の"魚"に対する表現です。
こう書くと今度はグルメの歌なのかと思われるかもしれませんが…いや、別にそれも間違いではないのですが、上掲の"解体のショー"という猟奇的な表現や、"死んだ魚焼ける匂い"という含みのある言い方から察せるように、食は食でも「生き物の命を頂く」という客観的事実にフォーカスしているのが「夕焼けは命の海」の歌詞の特徴です。
1番はボーカル+キーボードだけの最低限の編成で静かな立ち上がり。歌詞通り"夕焼けこやけでトンボの気分"が味わえるような哀愁漂うサウンドです。2番からバンド隊が加わり徐々にビート感が増していきますが、この段階ではまだ大人しめ。
2番サビが終わるとそのまま曲自体が閉じていくかような〆の空気が醸されますが、実際は全くの逆でここから俄に曲が爆発し始めます。パレード或いはダンスホールを思わせるような煌びやかな質感に変貌。
直前の歌詞が"昨日はまだ泳いでいたかな/青い海泳いでいたかな"なので、このメルヘンなパートは食卓に出された"魚"の回想シーンだと解釈しています。群れで泳いでいたときの自由な記憶。
その後また食卓のパートに戻りますが、結びは"死んだ魚 だけどおまえは/僕の中泳いでいるんだね"という歌詞なので、綺麗な着地ならぬ着水を見せていると言えます。「夕焼けは命の海」というタイトルにも納得です。
収録アルバムの『わたし開花したわ』ですが、1stとは思えない名盤です。レビュー冒頭でも書きましたが、公式の「1stアルバム」という表記は「フルじゃないアルバム」という意味のようなので、本作はつまり1stミニアルバムという扱いだと思います。
しかしややこしいことにこれはインディーズ盤なので、メジャーデビューのミニアルバムである『ONOMIMONO』(2012)を1stとカウントする場合もあるようです(wikipediaはこのパターン)。2010年の自主制作盤まで考慮するとよりややこしくなりますが、いずれにせよ1stフルアルバムが『演出家出演』(2013)なのは同じです。
わざわざ混乱するようなことを書いた理由は、ニューウェイヴ系のバンドは最初からサウンドが確立していて後発の作品と聴き比べても遜色のないものが多い、という主張を行いたかったからです。どれを1stとするかで説得力が変わってしまうので、ここでは『わたし開花したわ』が全国お披露目盤ということで1stだとします。
全体的に完成度が高いと思うのですが、特に好きなのは07.「うちあげ花火」、03.「あきの日」、04.「チャイナタウン」の3曲です。歌詞、メロディ、サウンドのどれをとってもオリエンタル全開で、これぞ日本人というかアジア人の感性だなという気になります。
この感じのツボを刺激されたのはフジファブリック以来でした。キーボードの存在が大きいように思います。サカナクションも楽曲によっては同様の印象を抱くものがありますが、サカナはそれと同じぐらいに海外の影響も感じさせるサウンドメイキングなので、やはりバンド毎に特色は異なるなと感じますね。
パスピエもフジファブリックもオリエンタル一辺倒というわけではないので、多様な海外の音楽を独自に解釈し再構築しているバンドではあると思いますが、両バンドともきちんとメロディアス(主旋律は勿論、各楽器が奏でるフレーズに至るまで)なところが日本人的だなあと思います。J-POP的なキャッチーさもあるというかね。
当ブログにおけるパスピエの記事は4thフルアルバムの『&DNA』(2017)のレビュー以来ですが、この間にドラムスのやおたくやさんが脱退してしまったのが残念です。
屋台骨(ドラムス)が変わるというのはサウンドに大きく影響しますからね。いや、どのポジションだろうが人が変わったら音も変わって当然なのですが、ノリやグルーヴに関わるところは特にという意味で。