Happy Clover サンドウィッチ -65ページ目

Happy Clover サンドウィッチ

あんにょんはせよ~♪

いつも大好きなモノに囲まれていたいデス。
ちっちゃなシアワセみつけよう☆☆

コメ、ぺタありがとうございます。Thank you ♪

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皆さま、大型連休の始まった方々もいらっしゃることと思います。

いかがお過ごしでしょうか。

私のお休みはカレンダー通り、連休はばっちり日野にいることになってます。(笑)

さてさて。

今回のてくてく、最終章です。





最近修復が終わった輪王寺。

旧本坊表門黒門です。





大きい方が大砲、小さいのは鉄砲の弾痕。

未だに上野戦争の傷痕を伝えています。





それから清水門跡辺り。

ここでも彰義隊が西軍と戦いました。





そしてさらにてくてく…。

の前に。




愛玉子(オーギョーチー)でヒトイキ。

さっぱりレモン風味の優しい味にほっこり。

そして谷中へ~♪

幽霊画で有名な全生庵で山岡鉄舟のお墓参り。

「生命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、といったような始末に困る人」であった山岡鉄舟。

彼の生き方はとても真似できるものではないですが、心根の美しさ、強さにとても感銘を受けました。

二度目の墓参でしたが心が洗われるような気持ちになりました。




団子坂。

彰義隊は坂の上から坂下の西軍目掛けて銃撃。




彰義隊の陣地として使用された天王寺。




谷中霊園の中もいくつもの碑を拝み、様々な方の墓参。

古い墓石は刻字も薄くなっていて読み取りも難しく…。

しかも長い年月を経て管理などの問題もあるのでは、と推測。

維持は大変でしょうが、こうして訪ねてくる者のためにも、一つでも多く残して欲しいものです。




最後は羽二重団子で!

結局なんだかんだ美味しいものも頂きました。(笑)





敗走する彰義隊が脱ぎ捨てた衣服、槍や写真のような砲弾が残っています。

充実した幕末散歩の最後を締めくくるに相応しい場所でした~。

S師匠~。

完璧なプランニングとレジュメのおかげで大変素晴らしい時間を過ごさせて頂きました。

ありがとうございます~(^^)v

またよろしくお願いいたします(^.^)(-.-)(__)

そして長々読んで下さった皆さまもほんとにありがとうございました~♪

ではまた。

どなたサマも素敵な連休をお過ごしくださいね。

ごきげんよう~~。
さてさて。

てくてくも終盤。

京都の清水寺を模して建てられたという清水観音堂。





歌川広重の連作浮世絵シリーズ「名所江戸百景」の中で「上野山内月のまつ」「上野清水堂不忍ノ池」の2枚に描かれているこの松、復活させたんですね~。

趣があります。



この観音堂、黒門のすぐ後ろにあるということで激戦地となりましたが、奇跡的に消失は免れました。




観音堂から少し下った場所にある花園稲荷神社。

上野戦争の時、高田藩、小浜藩が小舟に乗って向かってくる西軍に鉄砲で攻撃、善戦しました。(穴稲荷門の戦い)

小ぶりですが、鳥居の連なる様はとても風情があります。

外国人観光客がしきりにシャッターを切っていました。w


焼け落ちた根本中堂があった場所、今では噴水を楽しめる憩いの場所となっています。

147年前、この場所で凄惨な戦いが繰り広げられたなんて信じがたい長閑さです。




上野大仏。1631年に建立。

なんと、今は頭部だけ。

Wikipediaによると…。
度重なる地震や火災により何度も壊れてその都度再建されましたが、
大正12年(1923)の関東大震災で4度目の崩壊。その後は、改修されることなく寛永寺で管理されていました。そして(昭和47年(1972)に現存していた頭部だけが元の位置に戻ったといいます。

頭部だけになったので、「これ以上落ちない」と受験生に人気だとか。~(^^)v



小松宮彰仁親王の騎馬像。

会津征伐の総督も務めた方です。

徳川慶喜の助命、徳川家存続のために奔走した寛永寺第十五代山主、公現法王は小松宮の弟にあたります。

てくてくはもう少し続きますが今夜はこのへんで。

どなたサマもいい夢を~♪

ごきげんよう~~。
幕末散歩、続きです~。

神谷町から電車で湯島天神へ移動。

第二部はここからスタートです。

慶応4年(1868)5月15日、彰義隊がここ湯島天神にたてこもっているとの噂があり、西軍は寛永寺に向かう前に進軍してきたと云います。



余談ですが…。
湯島さんから男坂を下った場所、柳井堂 心城院があります。

こちらの「柳の井」は江戸の名水とされ、
美髪にいいと…。

この水で髪を撫でると、髪も心も清められて降りかかる厄を払ってくれるそうです~♪



水琴窟の奏でる音に癒され、さあ上野へ出発!




上野小路交差点付近。

彰義隊はこの辺りに畳を積み塁を築いて善戦するも、薩摩藩の砲撃により黒門内に退かざるを得なくなります。

そして三橋(三枚橋)のあったこの場所で、かつての新選組十番組組長、原田佐之助は重傷を負い、二日後の17日に死亡…。

このすぐ右側には副長ゆかりの松坂屋が。

松坂屋は西軍の本営となり、この場所から黒門めがけて砲撃を開始。

上野山に向かって正面の松坂屋。



⬆左側の料亭松源。(この辺りにあったと推測されます。)



⬆さらに右側の料理屋雁鍋。(現在はヨドバシカメラになっている場所。)

この三方から砲撃。




⬆黒門は恐らくこの辺り(太田蜀山人の碑付近。)



凄まじい攻撃を受けつつも、この山王台から砲撃(フランス式野砲三門)、そして銃撃で応戦。



⬆山王台から黒門付近を見下ろすとこんな感じ。

狭い山門は多くの兵が入れないこともあり西軍は苦戦。

しかし昼過ぎには弾薬が切れてしまい、黒門左右からの砲撃により勝負あり。
ついには黒門が突破されてしまいます。




最前線で指揮をとったと云われる西郷隆盛。



そしてその後ろに彰義隊のお墓があります。





山内に放置されていた200超の遺骸を見かねた住職らが密かに埋葬。

墓石に刻まれている「戦死之墓」の文字は山岡鉄舟によるもの。

それにしても…。

「義」という文字が胸に迫ってきます。

封建社会から近代の世へ。

大きな変化の波に乗る者あり、一方でその波に抗う者もあり…。

多くの事を考え、感じながら冥福を祈り手を合わせてきました。

長くなりました。

お付き合いどうもありがとうございます。

続きはまた。

ごきげんよう~~。