父の思い出
父の病院に初めて行ったのは7月3日。
6月には父の誕生日があり
誕生日を境に急に容態が悪くなったので
私は仕事を休ませてもらい
長男の学校も休ませ
子供たちは旦那の実家に預け
10日間病院に泊り込むつもりで来ました。
その時の一番の思い出。
父は病院の消灯時間になると
私達家族が泊まっていても
一人で眠りたいとのことで
私達は家族室に泊まっていました。
その日の消灯時間前
テレビでドリフをしていたので
父に頼みました。
「お父さん。ドリフ見ていい?」
そう聞くとベッドに座っていた父は
体をずらしポンポンとベッドを叩きました。
「ここに座って見ていいの?」
そう聞くとうなずく父。
父の隣に座り私はドリフを見ていました。
父の隣に座る。
同じ部屋で同じテレビを見る。
本当に何でもないありふれた情景。
でも私はそれが嬉しくて嬉しくて。
何年振りにこうして父の隣に座ったのだろう。
そしてこの安心感はなんだろう。
こんな気持ちになったのは何年振りなんだろう。
こうして父の隣に座ること
これからもあるのだろうか。
親のそばにいられる安心感。
あまりにも久しぶりに感じて
そして私はその安心感を忘れていて
父の隣に座り
何年か振りに思い出し
それが最後の思い出になってしまいました。
父の最期~4~
父のそばにいてずっと手を握り締め
この感触を忘れないように・・・と、
何度も父の浮腫んだ左手をさすっていました。
もうすぐ離さなければいけない父の手。
だから絶対に忘れないように・・・・
父の呼吸はかなり不規則になっていきました。
胸で呼吸していたのも
しばらくすると首の辺りになり
やがては顎だけで呼吸するようになりました。
お母さんの時と同じだ・・・
もうすぐお父さんの呼吸は止まってしまうね・・・
そう妹と話をしました。
そしてみんなで父に語りかけました。
お父さん。もう頑張らなくていいよ。
もう安心してお母さんに会いにいって。
そしてお母さんといっしょに私たちのこと見ていてね。
もう頑張らないで、お父さん。
そのコトバは父に届いたのかはわかりませんが
父の呼吸は少しずつ間隔があいて
どんどん浅くなり
やがて永遠に止まりました。
7月16日 午後8時30分
私の父は永眠しました。
~父の思い出~に続く
父の最期~3~
父の病院に駆けつけてから数時間
静かに時間は流れていました。
父の右目はもう閉じようとしていて
それはまるでさよならを告げる合図のようで・・・
看護師さんが頻繁に部屋を訪れ
何度も父の血圧、そして脈拍、指からは酸素飽和度を計っていましたが
血圧は上が40、脈拍はものすごく早く
体温は42度以上出ていて
指からの酸素は何度計ってもエラー表示が出ていました。
看護師さんの話によると
体温調節の機能が麻痺していて
42度もの体温が出ているとのこと。
でも私は
父が最後の力を振り絞って
自分はまだ生きている
そしてまだしたいことがたくさんあったんだ
悔しいこと悲しいこと
忘れられない思い
その気持ち全てが
父の体を燃焼させているのだと思っていました。
そう感じていた反面
もうこれ以上頑張らないでほしい・・と。
もう痛みや苦しみから解放してあげたいと。
私はずっと思っていました。
だって父が発病してからの6年間
痛み苦しみの毎日だったから。
再発がわかった時
父が治療を拒んだのも
これ以上苦しみを味わいたくなかったから。
だからこそ最期の時には
眠るように安らかに
そして永遠に、痛み苦しみから解放してもらいたい。
父はきっとそう願っていたと思うから。
たくさんの悲しみ
たくさんの苦しみ
たくさんの思い、気持ち。
父を囲む家族全てが
一つの気持ちになって
父を安らかに送ろうと願っていました。
~4~へ続く
気分転換
昨日は最悪の一日・・・・
なかなか起き上がることも出来ず
一日寝てました・・・

家の中も片付いてないし
すること沢山あるけれど
今日は気分転換と言うことで
これから長男と二人
買い物でも行ってこようと思います

少しこれで元気が出たらいいな

ココロの整理
今、自分は何をしたいのか
何をすべきなのか
ココロの整理がつかないまま
時間だけが流れています
悲しいのか 寂しいのか
それさえもわからないし
なぜか泣けないのです
いっそのこと
思いっきり泣けたら
楽になるような気がします
何をすべきなのか
ココロの整理がつかないまま
時間だけが流れています
悲しいのか 寂しいのか
それさえもわからないし
なぜか泣けないのです
いっそのこと
思いっきり泣けたら
楽になるような気がします