昨年の21日、弟からのハプロ移植を受けました。
今日もとっても元気❗


さっさく弟にお礼の連絡しました。
弟を産んでくれた両親にも。


移植後、こんなに元気でいられると思わなかった。
胃も腸も腎臓もすい臓も肝臓も膀胱も関節もぜーんぶGVHDが残ると思ってた。
爪もはがれて痛くて、ドライアイもドライマウスもひどくてって、そんな風になるって思ってた。
再発しなくても一生不自由な生活になるかもって思ってた。
そんな中、元気に移植後生活してる方々のブログはとても勇気づけられた。



今月もいつもの定期診察。
血液検査も尿検査もとくに大きくかわりなし。




今のGVHDで気になるのは
・顔と頭の湿疹
これはだいぶひいてきて、見た目も痒みもほとんど気にならないがきっともう治らないと思う。

・皮膚の乾燥
そんなにひどくないけど乾燥しているのがわかる。
でも面倒で顔以外は保湿もしていない。
冬にはひどくなりそう。

・皮膚のピリピリ
この症状は夏が近づくにつれ、ひどくなっている。
体があたたまると毛穴がピリピリして痛くてかゆくてじっとしていられない。
今一番やっかい。
皮膚科の先生によると特発性後天性全身性無汗症(AIGA)が疑われるとのこと。
ステロイドによる治療があるらしいがそこまでひどくない。
今後汗をたくさんかけば治る可能性があるという。
この季節、本当に困るので早く治ってほしい。

あとは味覚もほとんど治ってきたし、ドライマウスもよくなってきて気にならない。
髪の毛もまだ薄いけど伸びてきて結べるようになった。



移植1年、元気に生きてます。
今移植前の方、とても怖く思うかもしれません。
でもこうやって元気な私もいます。

私の場合、移植後の再発する確率ですが
半年以内、1年以内、2年以内、3年以内、5年以内の順で多いらしいのです。
私もまだまだ乗り越えていかなくてはならない壁があります。
がんばります。
でもとりあえず1年、おめでとう、私
音譜






体調が悪い中、まさかガンや重病ではないだろうと軽視していて、




主人には『明らかにおかしいから病院にいってほしい』と毎日のように言われたけれど
当時病院で働いていたので『毎日行ってるし(笑)』と助言を無視し





大きな大きな青紫のアザが何個かできて、それでもまだ自分は重病なわけがないと思っていました。





なので、白血病のわけがないけどアザができてるしとりあえずと思って自分から医師に『白血病の検査してください』と申し出ました。
白血病を否定してくれると信じて。




絶対白血病ではないと自信があったし
周りの人たちも大げさやな~っていう雰囲気。





ですよねーーー
私もそう思います。白血病だなんて!




ところが翌日、最悪な血液検査の結果だったと上司に呼び出され
あれよあれよと緊急入院に。




自分は重病にはならないと変な自信があったので突きつけられた『白血病』は受け入れられるわけがなく、

痛い検査や処置があるときも
病名を検索するときも
主治医から生存率が悪いと告げられたときも
つらい治療が始まるときも
耐え難い副作用に耐えているときも

いつもなぜ自分なんだ?なんでなんでなんで。


と、普通の生活を続けている人が羨ましくて仕方なかった。妬ましいくらい。
親友、ママ友、ご近所さん、窓から見える誰かしらない人。
挙げ句のはてには、私のために手を尽くしてくれている医師や看護師、看護助手、リハビリの先生、お掃除スタッフまで羨ましかった。
『今から仕事終わって家族や友人と美味しいご飯食べるんでしょ?お休みの日にはショッピングにでかけて楽しいこと、いっぱいいっぱいするんでしょ?長生きするんでしょ?』
って心の中で思って、
それどころかこの人も病気になればいいのに!ってもっともっと最悪最低な考えが心を支配していました。
そんなことを思って本当にごめんなさい。
でもそれほどまでに病気を受け入れて、前向きになるのに時間がかかりました。





そんな中、事情を知る数人の方たちから同じような連絡がきたのです。




『あたりまえの日常は、当たり前ではないのですね。その事に気付き当たり前に過ごしている日々の生活に感謝することをすすきさんに教えてもらいました。ありがとう』




こうやって言われることが嫌でしかたなかった。
私はその方々にありがたさを教えるために病気になったわけじゃないし
この先、生きていけることに自信がなかったし
当時の私が喉から手がでるほど欲しかった日常を、その方々が送れていることが妬ましくて妬ましくてしかたなかった。






こういう感情は『白血病』を受け入れて前を向けるようになるまでありました。







受け入れられた時期は 
初めての検査を一通り体験したあと
初めての薬や抗がん剤を一通り体験したあと
治療の効果があらわれたこと
抗がん剤の副作用の出方が把握できるようになってきた頃(抗がん剤は一番初めがしんどいと主治医から説明がありました。大群対大群の戦いだから衝撃が大きいのだとか)
くらいからでしょうか。





ひょっとしたら病気治るかもって少し思えてきたころにメンタルが戻ってきたように思います。
そうなると、自分はなんてひどいことを思っていたんだと気付きました。





私は病気であることを必要最低限の人にしか伝えていませんでした。
『白血病』であることを人々に憐れみに思われたくなかったからです。
体調不良と伝えた人たちから『なんの病気なん?言っちゃってよ』と言われたことが何度かあります。
興味本意なだけ、無神経な人だなと思いました。
どこぞの旦那さんDVなんだってー
どこぞの子供、発達障害なんだってー
どこぞの奥さんがガンなんだってー
どこぞの奥さんが不倫してるんだってー
どこぞのおうち、離婚したんだってー 
どこぞの旦那さん事故で亡くなったんだってー
それはつらいやろなー
それはかわいそうやなー
それは大変やなー


こんな会話、あちこちで聞きます。
私はそんな風に話題にあげられたくなかった。




今では漠然とした不安はあるけれども
移植に成功し、ちょっと先の未来を描くことができるようになったし
たくさんの苦難を乗り越えた自分を誇りに思えるようになったので
関わりのある人には病名を伝えることができました。
『白血病』は憐れみに思われるものじゃない。
そして当たり前の日常は当たり前ではないこと、
保険を見直し、万が一に備えること、
健康診断や、検診を受けることなどを伝えています。


自分勝手ですよね。 
メンタル次第で考え方がかわるなんて。
まだまだ遠い未来を思いきり描くことはできませんが、いろんなことに左右されない強い人間になりたいものです。
血内定期診察前に不安になるくらいなのでまだまだですけどね。








もうすぐ移植後1年。
去年の今ごろは…もうすぐ前処置が始まって…とかナーバスになることが増えてきました。





少し前ですが、父の実母が亡くなりました。
老衰です。とても長生きでした。
父は実母とは離れたところに所帯をかまえたので、数ヶ月に一度、短時間会うだけでした。


お葬式の日、いつもしっかりして頼りになり、威厳のある父は静かに涙しました。
いろいろしてあげたかったこと、
いろいろしてもらったこと、
さまざまな思いがあったのでしょう。
離れている時間が長かったし、長生きだったのに、やはり実母の死は悲しい。




さて、我が子はどうでしょう。
我が子は中学生小学生幼稚園の三人です。
私が病気になるまで離れたことはありません。
依存度が高いです。
いろいろな節目があるときで、不安も多い時期でそばにいてあげたいし、そばにいてほしいと思うことがあるかもしれません。
そんな私が死んでしまったら子供たちの悲しみははかりしれないものでしょう。
そんな悲しい思いはさせられないのです。




ちょうど入院のころ、世間ではよく米津玄師さんの『Lemon』がかかっておりました。
病気が発覚する前に見ていたドラマの主題歌で、大好きな曲でした。
ところが病気がわかってからは、残された家族への感情移入が激しくなってしまい、聴くことができなくなってしまったのです。
残された家族はこんな風に思ってるかもしれない。つらい。
曲を聴くたびに気持ちが持っていかれるので
しばらくは聴くことができませんでした。



最近では曲がかかっても、消したり逃げたりすることはなくなりましたが、やっぱり歌詞を聞き入ってしまう。
でも、家族に歌詞のようなこんな思いをさせたくないから私は生きるのです。



移植が終わったとき、主治医からは『とりあえず半年!そして半年から1年が大切やから』と言われました。
再発はこの時期に起こる場合が多いそう。
その次は3年を乗り越えましょうと言われました。そして5年。。。
まだまだ乗り越えていく壁はありますが、その未来に元気に生きていることを信じて照れ




去年の今ごろを思ってナーバスになるけれど、
今の自分へのいろいろなもどかしさはあるけれど、
あの過酷な日々を乗り越えた自分を本当に心から誇りに思います。