【また来るね】
「たらい舟」と「トキ保護センター」はスルーしたが、「佐渡金山」には行った。
平成元年に閉山したらしいが、金山一帯にはまだ操業時の空気が残っているように感じられた。
さすがに佐渡一番の観光地である。客の数も多い。
その賑わいっぷりから、今がゴールデンウィークの真っただ中にあることを思い出させてくれる。
駐車場には何台もの観光バスが止まっていた。
二泊三日の佐渡滞在もいよいよ終わりが近づいてきた。
帰りの飛行機に間に合うよう、ゆとりを持って飛行場まで送ってもらう。
「この二日間、本当にお世話になりました」とお礼を言い、旦那はわずかではあるが、運転手さんに心づけを渡した。
ホテルは「アレ」であったが、この佐渡旅行が満足できたのもタクシーの運転手さんのおかげである。
「また、佐渡にお越しください。そしてその際にはわが社をご利用ください」と運転手さんが名刺を差し出した。
その名刺には「○○タクシー 代表取締役…」とあった。
運転手さんはタクシー会社の社長だったのだ。
ということは、社長自らハンドルを!
さて、佐渡空港であるが…。
人口6万人を有する離島の空港にしてはかなり可愛らしい規模である。
空港ロビーには、空港整備の促進を訴えるパネルが展示されてあった。
佐渡よりもうんと小さい沖縄の離島はジェット機が離発着できる滑走路を有しているのに、佐渡にはプロペラ・セスナ機しか離発着できないのである。
単純に考えれば、「沖縄振興策」はあっても「佐渡振興策」が無い、ということなのか…。
旦那は「きっと、フェリー会社の力が強いんだろうね」と、同じ離島なのにここまでの差があることに驚いていた。
帰りの飛行機の客は我々だけであった。
搭乗手続きとかすべてがユルイ感じがする。
プロペラエンジンが唸りをあげ、滑走路を走ったかと思ったらすぐに離陸した。
あっという間に地上が遠のく。
まるで名残を惜しむかのようにして飛行機が軽く旋回した。
眼下には春の景色が広がる佐渡の地が。
「バイバイ佐渡。また来るね」
声には出さなかったけれど、佐渡の地にそう話しかける。
すると、私の目に散りはじめの桜の木と、飛行機を見上げる人影が映った。
よく目を凝らして見ると、老年女性と子供である。
きっとお祖母さんと孫なのだろう。
子供が我々の乗った飛行機を指差していた。
「おばあちゃん、あれ!」
「ああ、飛行機だね」
そんな会話でもしていたのだろうか?
まるで映画のワンシーンのようなその光景を私は一生、忘れることはないだろう。
「バイバイ佐渡。また来るね」
今でもその言葉に偽りはない。