今回はまずお礼を申し上げたい。
なんだか急に皆様に「まいみくしぃ」登録していただきまして、
本当にうれしい限りでございます。ありがとうございます。
名も顔も知らぬ相手にマイミクシィを申請するのは結構度胸がいる事ですよね。
・・・そう、人の出会いはいつだって勇気が必要です。
さて、めでたくミクシィ仲間が増えたので、
今回は昔の仲間について馬鹿な語りをしたいと思います。
文章を見てわかるかと思いますが、
私は結構な変わり者でございます。
興味がズれているのやもしれませんね。。。
まず、テレビその他如何、世界の現状に興味がございません(笑)
だいぶ前のことです。
アメリカでテロが起きた事を2日間知りませんでした。
去年のことです。
オリンピックが始まっている事を知りませんでした。
最近のことです。
大型台風が来る事を知りませんでした。
夜目が覚めて、荒れ狂う外を見て、
「まぁいいか」と思い、すぐそこにある傘を持たず外を練り歩いたくらいです。
・・・私はテレビを見ないのです。
N○Kが集金に来たら、その場でテレビを叩き壊して、
「ウチにはテレビはございません」
と姑的口調で申し上げたいくらいです。
あ、一応テレビはありますよ?
ただしブラウン管式の立方体に近いテレビですが。
その他諸々、目の付けどころが悪いのか、
そんな感じの感性が合ってか、私はよく人に変わってる、と言われます。
しかし
断言できます。
私は甘い。
いや、むしろ普通の人間です。
自慢じゃありません、むしろ悲しいくらいですが、
私の周りには奇人が多いです。
せっかくなので語り調で何人かご紹介したいと思います。
CASE 1 「ヤツの場合」
・・・あれは私が大学の頃だった。
ヤツは唐突に目の前に現れた。
見た目は普通の、いや、むしろ地味な男だった。
しかし私にはわかっていた。
「コイツは目が濁っている」
・・・普通じゃない、そんな予感にも似た何かが、私の脳裏をよぎった。
ヤツが頭角を現したのは出会ってから1ヶ月後の事。
「旅行に行って来た」
ニコヤカに奴は言う。
・・・不気味だ。まさか黄泉の国でも旅行してきたのではあるまいな。
ところがそんな期待?を裏切って、
聞けば箱根に言ってきたのだと奴は言う。
・・・・なんだ、普通じゃないか。
安堵した私に、ヤツは旅行先で撮ってきたという記念写真を手渡した。
・・・・それを見て私は驚愕する。
全ての写真でヤツが、青いプラスチックの入れ物に納まっている。
・・・そう
ゴミ箱である。
全ての写真でヤツはゴミ箱に納まった自分の姿を写真に収めていた。
・・・意味がわからねぇ!!!
普通あれですよね、旅行で撮ってくる写真って風景とかをバックに記念写真を撮るよね?
それがなんでゴミ箱に入ってるわけ?
というかこのゴミ箱はどこにあったんだ?まさか持ち歩いていたのか?
写真では分からなかったが、こんな同じようなごみ箱がある場所なんてそうそうあるはずもない。
10枚以上に渡る数である。
それこそ天文学的な確立だ。
コイツはわざわざ箱根にまで言って、ゴミ箱めぐりをしてきたのだろうか?
当然学生で奇人である奴は車など持ち合わせていない。
・・・まさか小田急箱根ロマンスカーに乗って、クソでかいゴミ箱を持ち歩いていたわけではあるまい。
想像しただけで泣けてくる。
・・・詳細はあえて聞かなかった。いや、聞けなかった。
当然のように言っていたが、独りでの旅行らしい。
写真はセルフタイマーか、通行人に頼んだと思われる。
・・・まぁ通行人は手伝ってくれないだろうけど。
これはウケ狙いなのだろうか?
まぁ・・・・
ウケ狙いだとしても自分なら絶対こんなことしねぇけどな!
ちなみにコイツは大学時代ペンギンのいる店でペンギンの飼育をしていたのだという。
ペンギンのいる店(都内)ってなんやねん。動物園ではないとのことだが。
・・・頼むから理解できる言語で話してくれ。
CASE 2 「野郎の場合」
・・・あれは大学時代。
野郎は突然私の目の前に現れた。
授業を寝ながら聞いている私に、野郎は話しかけてきた。
見た目は・・
・・普通じゃなかった。
目が暗い。しいて言うなら映画に出てくるマッドサイエンティストのように
目の周りにナチュラル・アイシャドウを塗りたくったかのような影を宿していた。
・・・聞けば奴はジョンレノンの生まれ変わりらしい。
・・・・・・・・・・・・
はーーーい、
そうですか。
ジョンレノンの生まれ変わりですかぁ!
それはすごいね!
ところでジョンレノンの生まれ変わりなのに英語も喋れないしギターも弾けないんだね!
・・・・なんて無粋な質問を私はしない。
時として人は受け入れなければならない。
思い込んでいる人間には何を言っても通じないと言う事を。
うーーーん、これをどう切り抜ける。
どう返したらいい?
いや、これはひょっとしてジョークなのか?
・・・・期待を込めて目の前のジョン・レノンに目をやる。
・・・うん
・・・・・目が笑っていない。マジだ。
よし!プランBだ(何が)
下手に刺激しないよう授業をやり過ごすのだ。
私はあまり聞かないふりをして、はいはい言っていることにした。
彼はジョンだったころの思い出を語っているようだ。
・・・どうして小野ヨーコを選んだのか聞いてみたい気もしたがやめておいた。
身にかかる火の粉にプロパンガスを吹き付けるようなことはしてはならない。
・・・私の直感もそう告げている。
はいはい、ふーーんと相槌を打つ作戦に順次した結果・・・・・
・・・・・・話せる相手だと思われたらしい。
くそう。
なんてことだ。
・・・計算ミス!
ザッツミステイク!
ドラえ●ん!
タイムマシンを貸してよぉ!
ジャイ●んがいじめるんだぁ!
過去など切り捨てて来たつもりでした。
しかしこの時は戻りたかった・・・・
平穏なあの頃に・・・・・・・・・・・・・・
・・・とまぁそんな訳でゴミ箱とジョンとは卒業までの付き合いだった訳です。
他にもそんな奴らばっかりでした。
いやぁ毎日大変でした。
夜中3:00に呼び出されたり。(次の日はテストなのに)
チャリで1県またがされたり、
警察ともめたり、
争いがおきたり、
血を流したり。。。。
あの時は面倒事に巻き込まれるたびに
「何でコイツまともな行動ができねぇんだ?」
・・なんて思って、
「尋常じゃなく順調でない」毎日に疲れてましたが。。。
・・・今思うと、アレが楽しかったんですね。
社会人になり、彼らと離れ離れになって、
回りから奇人がいなくなり、
(違う意味で変な人はいますが。すぐ変なことで怒る人とか)
ある意味で忙しくも退屈で平坦な毎日が続いております。
そう。
めまぐるしい毎日が楽しかったのだと。
仲間とは大事なものです。
それがぱっと見仲が悪くても、喧嘩ばかりでも、見てくれが悪くても。
そういう意味では、今は友達や親友はいますが、
「共有できる仲間」というのはいないのかもしれません。
出会いとは難しいです。
・・・それを作るために“踏み出す勇気”がなければ。
いつでもどこでも出会いはあるのです。
mixiでも。
道端でも。
・・・そしてボーカルスクールでもね。
それを作る勇気がただ私にはなくなったのでしょう。
大人になって。
いらぬプライドと立場を守るために。
・・・・あなたはいますか??
“共有できる仲間”。
「この世で起こる事象はすべて決まっている」
という説を唱えた科学者がいるのは御存知でしょうか?
(名前は忘れましたが。。。。)
要約するとですね、科学的にこの世で起こることは
確定している事が説明できるという説です。
例えば・・・・
林檎を手に持って地面に落としたら、当然林檎は落下しますよね。
それは重力があり、手に持った林檎を離すという行為があり、
地面があるからです。
原因と結果、この世に起こる全ての現象は今も未来も
全てこれで説明できるっちゅーなんともぶっ飛んだ説なのです。
・・・・そんなばかなって?
まぁ自分も最初はそう思いましたよ。
ところがですね。信じる信じないは別としても、
なかなかどうして、これが面白いんです。
た・と・え・ば
タラちゃんが朝、道を歩いていて石につまづき、転んだとします。
「痛いですぅ~」
ここで勘違いのないよう断わっておきますが、
タラちゃんは、かの伝説的アニメ サ○エさんの登場人物とは
一切関係ありません。
「すりむいたですぅ~!うわぁ~ん」
心配そうに友達が見ています。
「はぁ~いぃ~」
断わっておきますが、
あえて名前を伏せられたこの友達は某魚介類卵の名称と
同じではありません。
・・・・こんなどこにでもある、日曜夜6時から放送されるような
日常の風景は一見、ただの偶然に見えます。
ただこの科学者によれば、この出来事も最初から、
もっと言うなら世界が始まった瞬間から
決まっていたことなのだということです。
まぁ宇宙開闢(うちゅうかいびゃく≪※宇宙が発生したとき≫)
から順を追って説明するのもあれですし、
タラちゃんがつまずいた原因が起こり始めたあたりから
わかりやすく説明しましょうか。
・・・・前日は風の強い日でした。
まぁもちろん風の強い日であったこと自体も、
気圧、季節、地球温暖化・・・などなど、
言い出したらきりがないほど原因があることもお忘れなく。
その日は風速30mというなんとも殺人的な風で、
当然ながら次の日の朝は道は荒れ放題。
早朝に近所のイササカのおじさんが道を掃除をしてくれましたが、
実はこのイササカさんが老衰によって目が弱く、
小さな小石がひとつ、道の真ん中に転がっている事を見逃していたのです。
・・・イササカさんは・・・まぁ名前はよしとしましょうか。
コンクリートの面は最近舗装されたばかり。
ちょうど今の市長が道の悪かった町内の舗装を実地するという
マニフェストのもと、選挙を勝ち取った事がきっかけでした。
先週ようやく工事が終わり、アスファルトができたての
あのベタベタした感触もなくなり、それはそれは滑らかな
歩き心地になっていました。
たいして、道に転がっていた小石、大昔、火山の噴火によって出来上がった
この土地の石は小さいと言ってもとりわけ硬く、
また長い年月によって削られてきた経緯もあって、
限りなく球に近い形をしていました。
さて、一方のタラちゃんは。。。。。。
・・・タラはその日ご機嫌だった。
何故なら近頃仲の悪かった両親が、
今日はめずらしく朝、同じ食卓に並んでいる。
いつもは良くてもトーストしか並ばない食卓には、
ご飯、味噌汁、焼き魚などが連なっていた。
・・・こんな光景はいったいどれくらい振りだろう。
タラは思った。
ベッドの脇で伏せられた両親の結婚式での写真はすでにホコリを被っており、
同じ部屋であるはずの両親が床を同じくすることはない。
・・・無理もない。毎夜遅く酔いどれて帰ってくる夫。
日に日にアルツハイマーが進む祖母。
仕事のストレスで髪がごっそり抜け落ちた祖父。
少ない給金で何とかやりくりしてきた生活の中で、
来年中学に上がる祖母の息子――といっても、タラからは叔父にあたるが、
(タラは皮肉をこめてこの成長のない中学生の叔父を兄ちゃんと呼んでいる)
―――は、成績が芳しくなく、学費の高い市立高校に
行くしかない状況である。母は家計のやりくりに頭を悩ませている。
・・・そんな家庭だからこそ、
タラはあえて子供らしく振舞った。
馬鹿をやり、わがままをいい、泣きわめく。
そしてどんな些細なことにも無邪気に笑う。
タラはこの年にして子供が子供らしく振舞うということの意味を悟っていた。
大人はそんな姿を見て、自らの責任を感じ、
時には癒される。子供が親を心配するべきではないのだ。
「親が最も悲しむのは子供に心配される時なのだ」、
タラはそれを悟っていた。
・・・時代なのかもしれない。
この世代の子供はみなそれぞれ、年を若くして
自分なりの社会性を持っている。
近所で付き合いのある友達
――といっても年の離れた赤子にも等しい子供だが、
年端もいかない彼ですら何に対しても「はぁい」、「はぁいー」と、
この国の社会性を反映して偉大なるイエスマンを貫いている。
彼もタラもわかっているのだ。
大人は完全ではない。
・・・彼らも守られるべき存在であるということを。
・・その朝、珍しく家族がそろって食卓を囲んだのは、
昨日の晩の出来事によるものだろう。
昨晩、相変わらず父は夜遅く酔って帰ってきた。
いつもならサランラップに包まれた冷えた食事が彼を待っているのだが、
その日は違っていた。
母は食事を先にとらず、父を待っていたのだ。
そして父もその日は違っていた。
・・・酔って帰ってきたことには違いないが。。。。
帰ってきた父の手には、普段持っているはずのない
女性ブランドの紙袋が下がっていたのである。
そう、その日は何度目かの結婚記念日だったのだ。
お互いに何度目だったかは忘れていた。
最初はお互いに祝い合っていた結婚記念日だが、
そのうちなんとなく、何もしなくなっていった。
・・・ただなんとなく、たまたま二人ともそれを思い出したのだろう。
意味など特にはない。ただの気まぐれ。。。
いや、もしかすると、お互いに無意識に感じていたのかもしれない。
このままではいけない、と・・・・・
そんな経緯があって今日もタラは朝からはしゃいだ。
いや、違う。
嬉しかったのだ。
忘れていた。
この気持ちを。
誰かに合わせる事だけに気を使い過ぎて、
久しく感じていなかった気持ち。
そう。
「うれしい」
そんな気持ちを。
・・・まだ諦めなくてもいいのかもしれない。
毎日、父と母が一緒に食卓を囲む。
そんな日々を過ごせるのかもしれない。
あのもっと小さかった頃のただの日常、しかしかけがえのない日常を。
「まだ諦めなくていいのですか?」
タラは天を仰いだ。
空はそれに応えるかのように、どこまでも青い空を貫いている。
タラは微笑した。
・・・ちょうど友達と待ち合わせの時間だ。
今日は友達とボーカルスクールMOVEに行く約束をしている。
いつのまにか家庭からの逃げるための場所となっていた、
友達と過ごす時間。
でも今日は違う。
普通に、ごく自然な子供のように、遊ぶんだ。
基本的に普段、人の前ではしゃいで見せるのもあって、
タラは一人の時はいつも下を向いて歩いていた。
でもそれも今日は違う。
タラは無償に高揚した気分になって、家からかけ出した。
空を見上げながら、ただ、走った。
「・・・大丈夫」
「きっと上手く行く。」
「僕も戻れるんだ!」
「子供らしい子供に」
・・・遠くに友人が手を振る姿が見える。
タラはスピードを上げた。
どこまでも先に続く空を見上げて。
・・・・そう、彼の希望にあふれる未来を見上げて。
・・・その時である。
・・・タラは石に躓いてコケた。
・・・
・・・・
・・・・・・と、まぁね!
こういった様々な原因と現象がさらなる原因を
生んでタラちゃんはコケたわけですよ。
そういった数珠つなぎの原因によって
未来は決まってるって事ですね!
だからあなたがこのブログを読むのも決まっていたってわけですよ。
そしてあなたがそれを読んでMOVEに興味を・・・・・
持たないですよね!
MOVE関係ないもんね!このブログ!
まぁでもあれですよ。
こう言う理論って逆にね、あなたが何かをしたことは
決して無駄にならないってことも言えると思うんですよ。
希望通りにいかなくても何かに影響を及ぼす。
それだけであなたの行動には価値があると思いませんか?
・・・なんてね。
まぁ磯野家の人々も・・・・
・・・・あ
磯野家って言っちゃった。
という説を唱えた科学者がいるのは御存知でしょうか?
(名前は忘れましたが。。。。)
要約するとですね、科学的にこの世で起こることは
確定している事が説明できるという説です。
例えば・・・・
林檎を手に持って地面に落としたら、当然林檎は落下しますよね。
それは重力があり、手に持った林檎を離すという行為があり、
地面があるからです。
原因と結果、この世に起こる全ての現象は今も未来も
全てこれで説明できるっちゅーなんともぶっ飛んだ説なのです。
・・・・そんなばかなって?
まぁ自分も最初はそう思いましたよ。
ところがですね。信じる信じないは別としても、
なかなかどうして、これが面白いんです。
た・と・え・ば
タラちゃんが朝、道を歩いていて石につまづき、転んだとします。
「痛いですぅ~」
ここで勘違いのないよう断わっておきますが、
タラちゃんは、かの伝説的アニメ サ○エさんの登場人物とは
一切関係ありません。
「すりむいたですぅ~!うわぁ~ん」
心配そうに友達が見ています。
「はぁ~いぃ~」
断わっておきますが、
あえて名前を伏せられたこの友達は某魚介類卵の名称と
同じではありません。
・・・・こんなどこにでもある、日曜夜6時から放送されるような
日常の風景は一見、ただの偶然に見えます。
ただこの科学者によれば、この出来事も最初から、
もっと言うなら世界が始まった瞬間から
決まっていたことなのだということです。
まぁ宇宙開闢(うちゅうかいびゃく≪※宇宙が発生したとき≫)
から順を追って説明するのもあれですし、
タラちゃんがつまずいた原因が起こり始めたあたりから
わかりやすく説明しましょうか。
・・・・前日は風の強い日でした。
まぁもちろん風の強い日であったこと自体も、
気圧、季節、地球温暖化・・・などなど、
言い出したらきりがないほど原因があることもお忘れなく。
その日は風速30mというなんとも殺人的な風で、
当然ながら次の日の朝は道は荒れ放題。
早朝に近所のイササカのおじさんが道を掃除をしてくれましたが、
実はこのイササカさんが老衰によって目が弱く、
小さな小石がひとつ、道の真ん中に転がっている事を見逃していたのです。
・・・イササカさんは・・・まぁ名前はよしとしましょうか。
コンクリートの面は最近舗装されたばかり。
ちょうど今の市長が道の悪かった町内の舗装を実地するという
マニフェストのもと、選挙を勝ち取った事がきっかけでした。
先週ようやく工事が終わり、アスファルトができたての
あのベタベタした感触もなくなり、それはそれは滑らかな
歩き心地になっていました。
たいして、道に転がっていた小石、大昔、火山の噴火によって出来上がった
この土地の石は小さいと言ってもとりわけ硬く、
また長い年月によって削られてきた経緯もあって、
限りなく球に近い形をしていました。
さて、一方のタラちゃんは。。。。。。
・・・タラはその日ご機嫌だった。
何故なら近頃仲の悪かった両親が、
今日はめずらしく朝、同じ食卓に並んでいる。
いつもは良くてもトーストしか並ばない食卓には、
ご飯、味噌汁、焼き魚などが連なっていた。
・・・こんな光景はいったいどれくらい振りだろう。
タラは思った。
ベッドの脇で伏せられた両親の結婚式での写真はすでにホコリを被っており、
同じ部屋であるはずの両親が床を同じくすることはない。
・・・無理もない。毎夜遅く酔いどれて帰ってくる夫。
日に日にアルツハイマーが進む祖母。
仕事のストレスで髪がごっそり抜け落ちた祖父。
少ない給金で何とかやりくりしてきた生活の中で、
来年中学に上がる祖母の息子――といっても、タラからは叔父にあたるが、
(タラは皮肉をこめてこの成長のない中学生の叔父を兄ちゃんと呼んでいる)
―――は、成績が芳しくなく、学費の高い市立高校に
行くしかない状況である。母は家計のやりくりに頭を悩ませている。
・・・そんな家庭だからこそ、
タラはあえて子供らしく振舞った。
馬鹿をやり、わがままをいい、泣きわめく。
そしてどんな些細なことにも無邪気に笑う。
タラはこの年にして子供が子供らしく振舞うということの意味を悟っていた。
大人はそんな姿を見て、自らの責任を感じ、
時には癒される。子供が親を心配するべきではないのだ。
「親が最も悲しむのは子供に心配される時なのだ」、
タラはそれを悟っていた。
・・・時代なのかもしれない。
この世代の子供はみなそれぞれ、年を若くして
自分なりの社会性を持っている。
近所で付き合いのある友達
――といっても年の離れた赤子にも等しい子供だが、
年端もいかない彼ですら何に対しても「はぁい」、「はぁいー」と、
この国の社会性を反映して偉大なるイエスマンを貫いている。
彼もタラもわかっているのだ。
大人は完全ではない。
・・・彼らも守られるべき存在であるということを。
・・その朝、珍しく家族がそろって食卓を囲んだのは、
昨日の晩の出来事によるものだろう。
昨晩、相変わらず父は夜遅く酔って帰ってきた。
いつもならサランラップに包まれた冷えた食事が彼を待っているのだが、
その日は違っていた。
母は食事を先にとらず、父を待っていたのだ。
そして父もその日は違っていた。
・・・酔って帰ってきたことには違いないが。。。。
帰ってきた父の手には、普段持っているはずのない
女性ブランドの紙袋が下がっていたのである。
そう、その日は何度目かの結婚記念日だったのだ。
お互いに何度目だったかは忘れていた。
最初はお互いに祝い合っていた結婚記念日だが、
そのうちなんとなく、何もしなくなっていった。
・・・ただなんとなく、たまたま二人ともそれを思い出したのだろう。
意味など特にはない。ただの気まぐれ。。。
いや、もしかすると、お互いに無意識に感じていたのかもしれない。
このままではいけない、と・・・・・
そんな経緯があって今日もタラは朝からはしゃいだ。
いや、違う。
嬉しかったのだ。
忘れていた。
この気持ちを。
誰かに合わせる事だけに気を使い過ぎて、
久しく感じていなかった気持ち。
そう。
「うれしい」
そんな気持ちを。
・・・まだ諦めなくてもいいのかもしれない。
毎日、父と母が一緒に食卓を囲む。
そんな日々を過ごせるのかもしれない。
あのもっと小さかった頃のただの日常、しかしかけがえのない日常を。
「まだ諦めなくていいのですか?」
タラは天を仰いだ。
空はそれに応えるかのように、どこまでも青い空を貫いている。
タラは微笑した。
・・・ちょうど友達と待ち合わせの時間だ。
今日は友達とボーカルスクールMOVEに行く約束をしている。
いつのまにか家庭からの逃げるための場所となっていた、
友達と過ごす時間。
でも今日は違う。
普通に、ごく自然な子供のように、遊ぶんだ。
基本的に普段、人の前ではしゃいで見せるのもあって、
タラは一人の時はいつも下を向いて歩いていた。
でもそれも今日は違う。
タラは無償に高揚した気分になって、家からかけ出した。
空を見上げながら、ただ、走った。
「・・・大丈夫」
「きっと上手く行く。」
「僕も戻れるんだ!」
「子供らしい子供に」
・・・遠くに友人が手を振る姿が見える。
タラはスピードを上げた。
どこまでも先に続く空を見上げて。
・・・・そう、彼の希望にあふれる未来を見上げて。
・・・その時である。
・・・タラは石に躓いてコケた。
・・・
・・・・
・・・・・・と、まぁね!
こういった様々な原因と現象がさらなる原因を
生んでタラちゃんはコケたわけですよ。
そういった数珠つなぎの原因によって
未来は決まってるって事ですね!
だからあなたがこのブログを読むのも決まっていたってわけですよ。
そしてあなたがそれを読んでMOVEに興味を・・・・・
持たないですよね!
MOVE関係ないもんね!このブログ!
まぁでもあれですよ。
こう言う理論って逆にね、あなたが何かをしたことは
決して無駄にならないってことも言えると思うんですよ。
希望通りにいかなくても何かに影響を及ぼす。
それだけであなたの行動には価値があると思いませんか?
・・・なんてね。
まぁ磯野家の人々も・・・・
・・・・あ
磯野家って言っちゃった。
たまには・・・
今回は真面目なお話です。
「歌の力」。
皆さんは歌についていかがお考えでしょうか?
誰でも歌は聞きます。
J-POPからヒップホップまで。
そこで質問。
皆さんは歌で心震えた事がありますか?
僕にはあります。
感動する映画の主題歌、伝説的なバンドのDVD、生での歌手の歌声。
本当に歌に感動を覚える部分はとても少ないですが。。。
昔、「The rose」という曲を聞いて、それまで聞いたこともないし、言葉の意味もわからないのに
何故か無性に懐かしくなり、とても感動を受けた事があります。
今、自分は人よりむしろ音楽に多く触れる環境にいますが、
音楽で心うち震えるような感動を覚える事がむしろ少なくなったような気がします。
つくづく感じるようになりました。
人を感動させる歌、というのは本当に少ない事を。
では感動する歌とはなんでしょう?
音感があることでしょうか?
技術があることでしょうか?
高い音域が出せることでしょうか?
私はどれも違うと思います。
どんなに下手な歌でも人を感動させる事が出来るのです。
テレビ番組などで、どこかの国の子供たちや人々が
言葉のわからない言語で歌っている歌に感動を覚えたこと、ありませんか?
例えば多くの人が亡くなった事件で、市民が追悼で歌っている聖歌とか、
ワールドカップで歌われる国家とか・・・
彼らは歌の技術などだれからも習っていないでしょう。
また、決してうまくもない。
でも感動をしてしまいますよね?
この世で名曲と言われている歌は、必ずしも「上手い」歌ではありません。
音が取れていない、時にはかすれてしまっている歌ですら、
人は時に言いようのない感動を受けるのです。
感動させるツボはなんなのか?
きっとそれは誰にもわからないでしょう。
誰かにそれがわかっていたら、歌手はみんな売れるようになってしまうはずですから。
そういってしまうと、ボイストレーニングなんて意味ないのでは?
そう思われてしまうかもしれません。
でもそれは違うと思います。
歌に触れる機会が増えるというだけでも、
「人を感動させる歌とはなんなのか?」
それを自分の中で定義づける機会が増えるからです。
人を感動させる歌、私の中でのその結論は、
「どうしようもないほどに心を込めた歌」
であると思っています。
もちろん、歌唱力があれば人に感動を与える確率はあがるでしょうが・・・・
単にうまい、それだけの感動では、歌の本質とは違うものなのではないでしょうか?
本物の歌手と、ボイストレーナーとの違い。
それは多くの人を感動させ、時には救い、元気付けた歌を歌ってきた人間と、
あらゆる技術をもってその人間を歌のうまい人間にする人との違い。
ではないかと。
感動を覚える歌に多く触れる事で、きっとあなたは自分の中で
「人を感動させる歌ってこういうものなんだ」
と定義づける事ができると思います。
その定義にしたがって自分が常に歌うようにできれば・・・
万人を感動させるとはいかないまでも、
きっとあなたに近しい人や、あなたの心を理解してくれる人を感動させる歌が歌えるようになるんじゃないかと。
・・・・と、まぁだからボイトレに通ってくれって言ってるわけではないです。
所詮独断と偏見ですから。
ただ、自分が歌が下手だから、うまくなるはずがない、
人を感動させる歌なんて歌えるはずがない、
そう思ってる方。。。
一度でいい、歌をあきらめないで歌ってみる、
それをして欲しいです。
・・・・・と、まぁそんな事を思う、昼さがりのMOVEスタッフなのでした。
次回からまたふざけるでしょうが(笑)
今回は真面目なお話です。
「歌の力」。
皆さんは歌についていかがお考えでしょうか?
誰でも歌は聞きます。
J-POPからヒップホップまで。
そこで質問。
皆さんは歌で心震えた事がありますか?
僕にはあります。
感動する映画の主題歌、伝説的なバンドのDVD、生での歌手の歌声。
本当に歌に感動を覚える部分はとても少ないですが。。。
昔、「The rose」という曲を聞いて、それまで聞いたこともないし、言葉の意味もわからないのに
何故か無性に懐かしくなり、とても感動を受けた事があります。
今、自分は人よりむしろ音楽に多く触れる環境にいますが、
音楽で心うち震えるような感動を覚える事がむしろ少なくなったような気がします。
つくづく感じるようになりました。
人を感動させる歌、というのは本当に少ない事を。
では感動する歌とはなんでしょう?
音感があることでしょうか?
技術があることでしょうか?
高い音域が出せることでしょうか?
私はどれも違うと思います。
どんなに下手な歌でも人を感動させる事が出来るのです。
テレビ番組などで、どこかの国の子供たちや人々が
言葉のわからない言語で歌っている歌に感動を覚えたこと、ありませんか?
例えば多くの人が亡くなった事件で、市民が追悼で歌っている聖歌とか、
ワールドカップで歌われる国家とか・・・
彼らは歌の技術などだれからも習っていないでしょう。
また、決してうまくもない。
でも感動をしてしまいますよね?
この世で名曲と言われている歌は、必ずしも「上手い」歌ではありません。
音が取れていない、時にはかすれてしまっている歌ですら、
人は時に言いようのない感動を受けるのです。
感動させるツボはなんなのか?
きっとそれは誰にもわからないでしょう。
誰かにそれがわかっていたら、歌手はみんな売れるようになってしまうはずですから。
そういってしまうと、ボイストレーニングなんて意味ないのでは?
そう思われてしまうかもしれません。
でもそれは違うと思います。
歌に触れる機会が増えるというだけでも、
「人を感動させる歌とはなんなのか?」
それを自分の中で定義づける機会が増えるからです。
人を感動させる歌、私の中でのその結論は、
「どうしようもないほどに心を込めた歌」
であると思っています。
もちろん、歌唱力があれば人に感動を与える確率はあがるでしょうが・・・・
単にうまい、それだけの感動では、歌の本質とは違うものなのではないでしょうか?
本物の歌手と、ボイストレーナーとの違い。
それは多くの人を感動させ、時には救い、元気付けた歌を歌ってきた人間と、
あらゆる技術をもってその人間を歌のうまい人間にする人との違い。
ではないかと。
感動を覚える歌に多く触れる事で、きっとあなたは自分の中で
「人を感動させる歌ってこういうものなんだ」
と定義づける事ができると思います。
その定義にしたがって自分が常に歌うようにできれば・・・
万人を感動させるとはいかないまでも、
きっとあなたに近しい人や、あなたの心を理解してくれる人を感動させる歌が歌えるようになるんじゃないかと。
・・・・と、まぁだからボイトレに通ってくれって言ってるわけではないです。
所詮独断と偏見ですから。
ただ、自分が歌が下手だから、うまくなるはずがない、
人を感動させる歌なんて歌えるはずがない、
そう思ってる方。。。
一度でいい、歌をあきらめないで歌ってみる、
それをして欲しいです。
・・・・・と、まぁそんな事を思う、昼さがりのMOVEスタッフなのでした。
次回からまたふざけるでしょうが(笑)