『庭(畑)のクスノキ』
(※今冬のマイナス10度ぐらいの気温にも耐え、3年目、です。苗木で15cmぐらいから育てはじめ、まだ1mにも満たないですが、元気モリモリです)
世界の
「あのマンションの部屋の明かりの数だけここにも人生があり、俺らにも各々の人生がある。その人生の数だけ大なり小なりの歯車があり、その歯車によって世界軸が動かされている。今の無職な俺らの歯車にも立派に意味があるんだ」
と歩きタバコをする酔った先輩の呟きに「禁煙区域で喫煙を誤魔化してませんか」と思ったことのある皆さん、こんばにちは。望創家ノリです。
本日の大分県山間部は曇り。ここ最近の雨で芽吹き出す春が愛おしく、4月生まれの望創家を祝ってくれるような、そんな小さな拍手にも見える、何とも言えない日々を送らせていただいております。
皆さんの地域は如何でしょうか。
『何の花か分かりますか』
(※去年植えました。耐寒性が低いですが、根付近にワラを敷いてなんとか今冬を耐えてくれました)
(※答え:アーモンドの花です。夏に収穫できるか…取り敢えず枯らさないで育てようと思います。葉っぱが食べられやすいのと夏の水やりがまだ大変な成長時期であります)
さてはて、望創家は2024年3月15日(金)をもって、所属していた事業所を退職しました。
それから退職金の手続きやら離職証明書を取りに何度か事業所を訪れ、その後は役所に保険の切り替えや、ハローワークの管轄所(車で1時間の距離)に離職証明書を提出登録したり…、例の解体の資格取得に行ったりで3月はあっという間に過ぎました。
4月に入り漸く[春休み]な気分になり、心落ち着かせるために、家のまだ見ぬ完成なサクラダファミリアな予定で(本家は先の見通しがついたようですが)リフォーム活動を再開しました。
『レモンも無事に越冬できました』
(※実がなっても…小さいうちに鳥に食べられてしまうのであります。ネットを被せるか。今冬も越冬できたら完全に地植えしようと思います)
今では便利なインターネット生活。
[その当時]に聴いていたニューヨークとフィレンツェのネットラジオを気分で聴き分けながら望創家活動(ものづくり)をしています。
そこで思い出しました。
皆さんはどこまでの記憶をお持ちですが。
極論記憶とは曖昧で、想い出とは、そんな[記憶の捏造]とも言えると思っています。
今目の前で起こっていること、これ以外のことはもしかしたら、そんな捏造された記憶で脳によって書き換えられた記憶なのかもしれません。
その真意のほどは、私には解明できません。
そんなあやふやな記憶な望創家によって紡がれていくコトバで、自分自身が救われることが多々あります。[そのとき]のための備忘録としてもこのblogを書くことに決めました。
『庭のタンポポ』
(※こ…コレは!)
『ニホンタンポポを増やしてます』
(※若干西洋タンポポ入ってきてますかね。隣の田んぼは西洋タンポポです)
話は戻りますが、ネットラジオを聴いていると、脳が勝手に[当時]の思考やら雰囲気やらにシフトチェンジをしだし…
「ここは日本?」
「どこなの?」
「今、自分は何してるの?」
という不思議な感覚になります。
この状態を悪く言えば[現実逃避]、良く言えば[望創家人生]な[自分時間]です。
今日が平日だろうが週末だろうが、世の中がどう動こうが、己の歯車を己自身で回し続け、その速度も力加減も全て己の一挙手一投足で決められ、その結果世の中に何らかの影響があれば、やはりこれはこれで良くも悪くもいいわけで…。
『ボケの淡い色も好きです』
そんな自分時間を五感で感じた波照間島時代。
今から10年ちょっと前に波照間島と出逢いました。
『モウソウ-ハテルマを読めば、君も波照間通だね!』
有人島での日本の最南端の島。
そこでも勿論[社会]があり[現実]があり、沢山の人生がありました。その社会に入り、5年ほどお世話になりました。
とにかく島のボスの旦那様は[なんでも]自分でやっていました。そこで望創家自身もなんでももっと自分でできるようにと切磋琢磨した日々を過ごしました。
そんな[なんでもできるボスの旦那様]が唯一できなかったことが[ヤギをツブす(バラす、捌く)]ことでした。
(※お祝い時にヤギを潰して振る舞います。波照間島ヤギは格別です)
[血を見るのがダメ]な旦那様でした。そのギャップがまた素敵で、普段はスーパーマンな旦那様が…
「ノリ、ヤギ潰してこい」
と言い、[命の勉強]を波照間島でしました。
生き物は全て、生き物の命で命をつないでいく(育てていく)、それを学んだ波照間島生活でした。
その島生活で[生きる楽しさ]を学びました。それは望創家が望創家として生きていこうと決めたフィレンツェ時代(二十歳のとき)のあの日々を思い出させてくれました。
波照間島のキビ刈り生活は時給650円という生活でした。月に10万円ほどの[現金入りの封筒]を渡され…なんとも言えない有り難みを[重さ]で感じました。
雨が降ろうがカッパを着ながらキビ刈りは泥の中で続き、30度近い気温の中でも、サトウキビの毛に負けないようにとヤッケ上下で作業し…島全体がチームになって12月から4月まで静かに吹き荒れる風の音を聴きながら黙々と目の前のサトウキビを一本一本手で刈り続け…
「このサトウキビから黒糖がつくられ、都会のひとが健康食品として口にしてる姿を想像すると…このままでいいんだな」
と思え、結局最南端のその小さな島でつくりだす黒糖が、大きな世界にに通じているとモウソウすると、世界が一気にひらけ楽しさが広がり、やはり幸せを感じられました。
『ベニガクアジサイも新芽が』
(※葉が全て落ちて枯れたかと思うぐらい心配しました。去年から育てております)
この感覚を林業に置き換えると、命を懸けて倒す一本一本の木が、やがて製材され大工さんや住宅メーカーを通して、もしかしたら全く林業マンと接点のない人種な人々の家づくりに役立っていたら…やはりこの林業も物凄く価値があることで、広い世界に通ずる林業になるわけであります。
普段考えずに様々な人々が様々な己自身の事情で歯車を回し続けている限り、この広い世界の何かに作用し、その何かが持つ歯車を回す結果にもつながっているのかなと感じます。
望創家が、ここで一旦[社会]から離れ、ゆっくりと己の歯車を回すこの日々も、この日々によって動かされている歯車によって誰かの歯車を回しているのかなとも思うわけです。
『ハナズオウ』
(※この木の色から…神秘としか言いようがありません)
「他人と比べるな」
と昔母に言われました。
他人と比べることでしか自分自身の価値や[位置]を測れない、そんな世の中の尺度も大切ですが、それ以上に自分自身で自分の価値を認めてあげられる人になって欲しいという母の遺言なのか、そう思って生きてきました。
そんな母の晩年の5年に及ぶ介護生活(二十代)中でも同じように感じました。
テレビをつけたら[異世界]が映し出され、己の苛む心を感じ、介護生活初年度にして辛い日々を過ごしました。
社会から離れ[異世界]からも離れ、読書の虫になり、やがてインターネットの普及により外に出なくても(出られなくても)[外の人]とつながれるようになり、少しは心の葛藤から解放されたのを覚えています。
結局歯車の一つが通常業務をしなくなっても世の中は動くわけで、そこから「俺なんていなくても誰も困らない」と思うようになるかもですが、せめてこの世に生まれたからには、自分自身だけでも幸せに感じられる人生を送って欲しいと誰かは願うわけであります。
『キャワイイ!』
(※大好きなキンモクセイの新芽です)
正社員が偉いだとか、アルバイトや派遣社員はダメだとか、そんな大多数がつくりだした[社会形成]において、
「じゃぁ、そのダメだと思う人々を世の中から排除したら、そう思うアナタ方は生きていけますか。残ったアナタ方だけでこの社会を動かすことができますか」
という考えに行き着くわけであります。
ココに、望創家が退職した理由が凝縮されています。
『レンギョウ』
(※横に広げ中。綺麗な黄色ですよね)
どんな世界も[持ちつ持たれつの関係性]で動いていると思っています。
過去に長年属した接客業の飲食の世界。
当時は[キッチンが偉い]という風潮がありました。しかしそこも[フロア]がいなければ、その料理は表のお客様に提供できないわけで、双方のどちらかが欠けても利益が出ません。
林業の世界でいっても、現場向きのひと、事務向きなひと、人それぞれで分かれていくと思います。
適材適所であり、お互いにお互いのいいところを伸ばし合い尊重し合い、そして認め合い、協力して一つの仕事を完遂して、初めて利益になると思っていました。
まぁ、望創家の場合は、それは理想であって、実際は真逆でした。
『ユーカリも剪定しないと』
(※地植えして2年で5mぐらいに、横にドンドン増やしていきたいので上を切ろうと思います)
望創家は今林業以外にもいろいろ考えております。
昔からの夢のひとつの[買い付け業]。
フィレンツェ生活とニューヨーク生活を活かしての買い付けに。古美術商も活かして何か望創家の興味あるものを売ったり…
昔から好きだった木工作品づくりを復活させ…近所のフリマなどに出店して地元盛り上げ業をしたり…
またいつか日本を離れる前の[基点]づくりも勿論したり…
そんなこんなで最近は特にあれこれ模索し、日中は家づくりで、夜は[大分県、求人]で面白い仕事も探しております。
もしかしたら林業から離れるかもしれません。
この労災事故の足がかなり時限爆弾で困っています。それを加味して慎重に物事を決めていきたいと思っています。
しがないオヤジがやる田舎カフェもしたいなぁ…
生きていくことを考えると、あと何年もないのかなとも思います。
まずはあと10年。
その先は10年後の自分に考えさせたいと思っています。
さて、明日はどんな一日を送ろうかな。
それではまた次回お会いしましょう。
Ciao!
追記:
ネットでニュースを確認し世の中の動きは一応チェックしますが、あとは非常事態がない限り大金が出ていくことがなければ、取り敢えずは日々の生活費だけの消費なので、焦らず気負いせず明日を考えていこうとは思うのですが、やはり身体はウズウズするんですよね…「あぁ、チェンソー握りたい」と。
近所の旅館のサウナ用に薪割りの仕事の募集があったので、ちょっと気になっております。
(※車で30分圏内の移動であれば、沢山の宿があります。本当大分県最高!)
半日働いて午後から家ごとというリズムで生きていくには丁度いい仕事で。
少しでも山に関わっていきたいですね。
『今日は別府に行ってきました』
(※みんな、何を見てると思いますか)
『クロスな六機のブルーインパルスなショーでした』
(※ボランティア活動をしていた東松島市にはブルーインパルスの航空基地があった気が。なので復興祭な感謝祭で確か飛んでくれたのを思い出しました。今回望創家は空に挨拶して直ぐに帰りました)