森由 壱 - tune bride - -7ページ目

森由 壱 - tune bride -

... という 、夢を視ました 。



空の色が、川の面に反射しているだけなのに。
川に雪が敷かれているようにみえる。


石ころの大小に重なっているのが
白い鷺にみえる。

冬枯れした草木の佇む、
幽き川の景色も又、味だ。

眩しすぎて一瞬しか視られない
あの夕空の太陽も。

0.3秒直視して、瞼に焼き付いた残像に
くらりとしながら渡る横断歩道。

光のありがたさと共に、
そんな光を受け取る側の許容量を知る。


ほんの少しで、十分で。
それ以上受け取ると、
水晶体は焼き切れてしまうかもしれない、と。







喫茶 多聞さんにて、お会計コーナーにあった
趣のある水墨画?















愛も、関係性もまた、然り。

ごはん食べて、寝る。
お手洗い行って、歯を磨いて、
身支度して部屋を整えて、出る。

なんなら朝はストレッチや筋トレをしたい人も、
お弁当作りやらお洗濯やらをしなきゃいけない人もいる。

お仕事行ったり、予定をこなして。

お腹減ってお店入ったり、又は
スーパーやコンビニで買ったお食事で
済ませたり作ったり。

歯を磨いてお風呂に入って。
そんな日常のスキマ隙間に、何とか自分の
+アルファでやりたい事、だらだらしたい時間、
ぼぉっとできる時間、リラックスたいむ、
或いは勉強したい事、描きたい絵や夢、
ムフフな時間、観たい映画。
色んな"欲"を、満たそうとしてゆく。

ニンゲンって、ほんっとに忙しい。
だから、

ほんの少しだって、できたら十分で、
大成功、大満足なんだ。















いっぱいいっぱい、頑張る時だって、
いっぱいいっぱい、贅沢できる時だって、
あっていい。

だけど、大体のルーティンの中では、
どちらかというと、"サクッと息抜き"とか、
"気楽にごはん"とか、こまめにガス抜き、とか。

そんな小さな積み重ねをするだけでも、
だいぶん"楽になる"んだと思えてきた。








欲を我慢し過ぎるのでも、断つのでもなく、
溺れるのでもなく。

こまめに、小分けに満たしてゆくこと。
これがわりと、心身ともに
抵抗の少ない、
いい塩梅なんではないでしょうか。








胃のキャパシティに限界があるように、
そしてそれは人それぞれ違うように。

水やりの頻度や土の配合が
木の種類により違うように。

ぼくらにとっての"欲の満たし方"って、
ちょうどいい加減は人それぞれ違う。






たとえば大好きなマグロだって
三食毎日食べてしまうと、ある日突然
アナフィラキシー的に蕁麻疹になったり。

手の届かないキャビアを
食べて感動したからって、
リピート買いできたとして
2回目に同じ感動を味わえるとは限らない。






本当に本当に大好きな人と
結ばれたくって上手く行かない時に
手に届く範囲にある花を
ふらっと手折りそうになる時も。




































どうしても、話題として
"恋愛"とか、"関係性"とか、"人生"とか、
はたまた"デート"とか"お付き合い"とか
"プライベート"とか。

そういう"くくり"で仰々しく考えると
いくらでも構えてしまえて、それって
きっとヨロシクない。

気持ちよくないというか、
心地よくないというか、カタクルしい。
居心地が悪い。


だって、
おやつとか、ご褒美って、
"3時の〜"とか、"頑張った後の〜"とか、
制限やきっかけがあるから嬉しいのであって。

"おやつ食べなきゃ"とか、"ご褒美もらわなきゃ"
っていうテンションになると、
どこかトチ狂っちゃう。













だから、人間関係や、
例えば好きな人との日常も、
わりと"棚ぼた"的でいいのかもね。

そういうのって、何でも理性的に
計画的にしたい人からしたら
非合理的かもしれないけど、

さ、

そもそも、生命活動自体が神秘に満ちていて、
合理的に"しよう"とすれば、
何処か自然に抗う事になると思うんだよね。







人間関係って、
毎日のごはんのように、
自分の心体が求めるのであれば、

気まぐれで自由でいいと思うんだ。
赦されるならね。



















だからぼくは、
きみとの関係も、あの
雲がうっすら掛かってすら
眩しくて0.3秒しか直視できない太陽のように

時たま一緒に居られるだけで
超々ラッキーハッピー、
ミルクティー & ハニー♡

みたいな存在として満足していたいなって

最近、そう想うのであります。















ぼくはね、
"あったら、嬉しいナ"
って待ってる時間、わりと好き。

それを、"できなかったから残念" とか、
"今日もできなかった" なんて、
自分も相手も苦しめる材料には
絶対にしたくない。
















だって、中々咲かないな〜
もうダメかな〜って諦めていた木瓜の木に、
ぷくっぷくっと蕾が付き始めて
お花が咲き始めた時、とってもとっても
嬉しかったんだ。

それってさ、
気長〜に、ま、ダメでも仕方ないかって、
気楽〜に水をやったり、
見守ったりしていたご褒美だと思うんだよね。

まあ、木瓜の木はさ、
そんなの何にも考えないで、
生きているから咲いただけかもしれないんだけど。






結局、生きていたら咲くもんは咲くし、
その木がもし仮に御臨終してしまったとしても、
その枯れた木と土がある鉢に、着地した何かは
また芽吹くんだよね。

たとえそれが思わぬ雑草だったとしても、
それはそれで、春には違いないんだよね。
















ぼくはさ、ずぼらだし、気力体力ともに
わりと燃費の悪い方で、気まぐれだから。

ガーデニングのようなことは向いていない。
お気に入りの鉢を年に一つくらいゲッチュしたら、
あとは言われた頻度でお水をやって、
毎日顔を合わせたら赤ちゃん語で声をかける。

そんな感じだから、
買った時に咲いていたお花が、
来年も咲いてくれたらいいな、
程度の力量で十分満足なんだな。

例えばそれがうまくいかなくっても、
枯れたまんまの鉢も捨てずに並べていたりする。
今のところ、そこには一つ、雑草が芽生えている。

それでもいいんだ。
人生における人間関係とか、
"恋愛"とか"友愛"とか"家族"も、
そんな気楽で気長な延長線上で
いいのかもしれない。







木瓜の木のように、
蕾をつける直前まで、
これ、ほんとに枯れてるのかも?!
と、心配になるような木もあれば、

ほんとに枯れちゃうデリケートな草もある。

咲いたら咲いたで嬉しいし、
枯れて終わってしまっても、
短い間ありがとねと、その後の枯れ姿も
見守っている。

そんなスタンスで十分人生は温かいし、
ぼくはきみとの関係も、そんな風に
お互いが楽になれるように
築いてゆけたらなと、思う。



















ニンゲンってさ、
何事もなければ、何十年も生きる訳で、
それはもう
"まっさら"でスタートできるものなんて
生きている年数ごとに減るわけで。

そうすると、大抵何かを始める時も、
終わる時も、編み編みに、
ねじれたりよじれたり、こじらせたり解いたり
何とかかんとかしてゆくんだよね。

だから、棚ぼた的に"ふっ"と振ってくるものって
とてつもなく貴重だったりする。












イチローの4割が最強なんだから、
ぼくらの1割だってめちゃくちゃ貴重なんだ

みたいなことを、GACKTも云ってた。
いいこと云うよね笑











1割でも当たったらグッジョブなんだよ。
だから、
9回ダメでも、気長に、
欲することがあるならば、
続けてみればいいんだと思うよ。