土砂降りの雨に降られて
立ち往生。
何も考えたくない。
誰にも会いたくない。
身体が重い。動けない。
--
過去を思い出すと
Badに入って抜けられなくなる
自分の重さを痛感し
過去を考える選択肢を
無くそうと決めた
もう忘れよう
「お父さん、お母さん」
と呼んでいた日々
彼女が「あんたは死んだと思ってんねん」
といつしかわたしにぼやいたように
わたしもそろそろ
昇天された彼らを
共に生きていた日々を
忘れてしまおう
--
母である時間、父でいる時間は
子どもにとってとても大事な時間。
取り返しのつかない記憶の積み重ねは
できれば愛と安心が基盤であってほしいもの。
正解なんて誰にも分からないし
子育ても人生も、
全ての選択肢を試すことはできないから。
一つ一つ選んできた後から
振り返って感じる結果を噛み締めるしかない。
できればその時に
冷たいものより温かいものが残るよう
親は子に
できれば温かい日々を
提供してゆきたいものだと思う。
我が子だから、というだけで
焦りや不安や束縛や
所有物のような感覚に陷るならば
"預かりもの"と、割り切って、
他人として尊重できればいいのだろうと思う。
立場もステージも違う子どもの成育に
そのような客観視をできる余裕が
生まれるものかは分からないが
理想を語るなら
そうなんだろうなとは
思う。
--
寂しい時に、
誰かに傍に居て欲しいと願うことの
何が悪いんだろう
寂しいから恋人を"作る"
そんなもんだよ動物は
と思ってしまう
でもそれが"できない""人種"も居る
ぼくみたいに、或いは
"しない"人たちも。
冷められたり、
冷めたりしながら、
自身のことに打ち込んでゆく。
その過程で埋まらない"寂しさ"を
不特定とまではゆかずとも
ある程度好いている人物"たち"の"誰か"に
誰でもいいから埋めてほしいと願うことは
そんなに悪いことなのだろうか。
そんなもんでしょう、
動物もニンゲンも、
命が命の温かさを欲するのは
万物共通の本能ではないのかと
思ってしまう。
若くてかわいい子がごはんをモリモリ食べる
見心地のよさと、
素敵な"カップル"が素敵な愛を見せてくれる時の
自分の中の羨望心と。
そういうものを鑑みて思った。
他人とごはんを食べたいと欲すること。
好きな人に愛されたいと欲すること。ないしは
誰か素敵な人と愛を育みたいと欲すること。
この選択肢をなくそうと。
だけどそれって
この先に続くであろう残り長い人生を
とてつもなく暗くするなと。
若さもなく
美しさや香りの良さや
みずみずしさや生命力
そういったものが失われてゆく自分を
携えながら
報われない欲を
捨てる場所も見つけられぬまま
奥へ奥へと押し込んでゆく
使い物にならなくなった無精卵を
消化の悪い小腸に溜め込んでゆくような感覚
ぼくが死ぬのが先か
無精卵が朽ちるのが先か
最近読んだ本の影響で
そんな事を考えている。
その本は、結末が気に入らなくて
読むのを止めてしまった。
男なんてくだらない、
と、やさぐれる。
深夜に起きていては
ろくなことを考えない。
早く寝てしまおう。
どんなに睡眠が足りていても
疲れた顔に視える時が増えた
とても醜いと思う自分が9割で
たまにとても美しい、捨てたもんじゃないなと
自分自身に見惚れる時は
ほんの1割程度で、そんな時に限って
眠る前か、予定のない昼下がりだったりする。
そうして出かける頃にはまた
出かけた先ではまた
疲れた表情に早変わりしてしまうのである。
3分ポッキリ、ウルトラマン
的なぼくの"生命力"
そんな状態でこの先
どうやって"戦って"ゆくんでしょうね笑
ああ眠た。
性欲を強制的に無くされた、
去勢済、或いは避妊手術済の猫さんたち。
彼らは変わらず可愛く視えるが
彼ら自身、どんな気持ちなのだろうか
辛くてあまり考えたくはない。
彼らは、ペットとして生きているのだろうか。
それとも、命として生きているのだろうか。
ぼくは、
性のエネルギーはそのまま
その命の生命力に直結していると
感じている。
性を根こそぎ"取られた"猫たちと、
性を一生、発動できない侭朽ちるぼくと。
或いは少しは
同じような気持ちを分かち合えるのではないかと
勝手に推し量る不眠の明け方前であった。
こんな時に
あの人が居てくれたらな
と、ふと浮かぶ面々。
都合よく会えたりして
少しばかり心が打ち解けた錯覚に陥ったなら
ぼくはふらっと
ほろっと
都合よくそちらにゆくんだろうな。
弱いぼくである。
芯のなく、
どんなに恵まれていても
どんなに食べても呑んでも
我利我利のぼくである。
ぼくの心には、身体には
子どもの頃から埋まることの恐らくない
巨きな巨きな
虚ろな穴が口を開けている。
虎視眈々と
ぼくの崩落を
舌舐めずって待っている。
神よ。どうか
ぼくに優しくしてください。
できるならぼくに
素敵な"愛"の時間を。
尊く生々しい
"動物としての幸せ"の時間を。
与え給へ。
これほど贅沢な願いはないと思いつつ。
究極なことを云うと
ぼくの子宮をだいじにしてくれる人に
ぼくの心体を預けたい。
そんなことを云えるのはたぶん
"美しい""女"だけだろうとは思いつつ。
腹減ったわ
忘己利他
他利忘己
「もう、こりた」と云えるくらい、
他の人の益になるように心を遣い、
己を忘れること。
母が赤子を育て上げる過程は、
上手く行けばこれに似ている。
阿闍梨何とかの壮絶な修行を終えた
有名な高僧が、茶器に刻んだ言葉。
忘己利他。
そう思えるくらい、
色んな物事、人々に、
めげずに楽しく向き合ってゆきたい。
「心技体」になぞらえて
内臓の代表として心臓
神経系統の代表として脳
生命力の核として生殖器
を挙げるならば
「心」の「し」の周りにある三点は
上記の三つなのではないか。
もっと云うと
「心」とは、心臓と脳と生殖器
三つのグルーブが巴になって織りなす
魂の模様なのではないか。
内臓も、脳みそも、生殖器も、
水分が大部分を占めているそうな。
魚も水の中に住む。
卵も精子も、液体に守られている。
「心 水の如し」とは
よく云ったものぞ。












