めちゃくちゃ"上手"だからって
感動するとは限らない。
すっごく高級で匠なフレンチだからって
大大大満足するとは限らない。
全然できてなくても
かわいらしく踊る稚児の舞に
感動したり。
音が外れていても
一所懸命弾く演奏家の曲に
乗せられて涙が流れたり。
しがない街の一角で出される
たった1枚のホクホクのチーズトーストに
心身ともにほっこりしたり。
古い筈の建物が可愛らしく温かく
デコレートされて、
ピカピカに磨き上げられたお手洗いに感動したり。
感動、心が動く要素は
実は観る人、聴く人の心に在って。
目の前で演奏したり舞ったりするアーティストは
ただ、その鍵を空けているに過ぎない。
その"鍵を開ける"行為が、エンターテイナーの
究極のコミュニケーションなのかもしれない。
その"鍵"となる為に、
日夜、彼ら彼女らの心体を磨き、
作品に没頭し、
技を磨き見聞を広め、
その世界を究め、
"好き"のパワーを具現化してゆく必要があるのかもしれない。
"鍵"と"鍵穴"がコネクトする時、
観衆と演者は一体になる。
心と心が呼応する瞬間を生み出すこと、
これが、エンターテイメントの
究極の目的なのかもしれない。
実は、演奏者は自分の楽器を弾いているようでいて
ひとさまの心にある楽器も奏でている。
目の前の聴衆全員が
触れざる"楽器"であり
奏者の奏でる楽器を通して
間接的に聴衆の"心を奏でて"いるのかもしれない。
人々はみな
潜在的に"楽器"であり、"ダンサー"であり
"キャンバス"であり、"フィルム"であり。
我々は互いに己のできる才能で補完し合い
互いを"響かせ""描き""踊り"合っているのかもしれない。
