森由 壱 - tune bride - -2ページ目

森由 壱 - tune bride -

... という 、夢を視ました 。



半月の架かる夜空に
振り向けば 星一点の
光る夕空

零れさうで
零れない夕空の涙哉

水が戻ると書いて涙
何処に戻るの?

たぶん地球
我々は地球の分身なんだろね









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分からなくなったら
無駄なものを削ぎ落としたらいいね

考えたくなかったら
寝て起きて残る感情で
動いたらいいね

比べられると疲れてしまう環境なら
一旦おやすみして旅に出たらいいね







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夜の晩夏の川面は
きらきらと
白い波礫 転がしていた

ひたひたと 
ぼくの哀しみを
潤していた

灰色に馴染む鷺さんが
つい〜と こちらに飛んできた

目が合った
歌舞伎座の舞台袖から出てきた勘九郎さんに
咳を我慢して死にかけている自分を
見られている時のようだった

ぼくの弱い部分を
ふと見てくれた気がして

死にかけながらちょっと嬉しかった
涙が少し
溢れそうになる前に引いていった







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わたしは
女で居させてくれる人に
安心するみたい














そのまま
がんばらなくて
ちょっとクタッて
なれる人が好きみたい
















そんな人って
そんなシチュエーションで出会える人って

極稀なんだよね









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ずっと女で居られたらいいんだろな

















でもそんなの
実生活とは
きっとかけ離れているんだろな
















そういう時のぼくは
呼吸がうまくできていないみたいで

吐くことを意識してみてくださいね、とか
上を向いて両手を広げて肩甲骨を寄せて吸う、
とか

そんな事を、教えてくれる
ぼくを女で居させてくれる人は
好きだ









人と競わなくていい
人と「うまく」やらなくていい

ただの「人体」「女」として
大切に安らがせてくれる

そんな男性を
ぼくは求めているのかもしれない

















あの白鷺さんは
いつもヒトリで川を上ったり下ったり
しているけれど

寂しくはないのかしらん

ぼくと目が合ったら
必ずぼくが手を振るものだから
なんだか認知してくれているような
表情でぼくを見つめてくれるようになった


だいぶ前に(去年の暮れくらい)
高速道路で丸まってる白鷺さんを
助け出した夢を視て以来

勝手にぼくは"おともだっち"だと
認定している

あの白鷺さんが
一匹なのか
毎回違うヒトなのかは
ぼくの目では判別はつかないけれど








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ぼくは恐らく一昨年くらいから
喉がつかえやすくなって
誤嚥だとか後鼻漏だとか
逆流性による弊害だとか

色々相まって昨日ついに
気管支の悪いものを出そうとした咳で噎せて
歌舞伎座の観劇中のクライマックスに
中村七之助さんの大立ち回りの目の前で
死にそうになったんだけど

その咳で死にそうになるのを
憤怒の顔で抑えつけながら拝観する
七之助さんの女盗賊の姿は
神々しかった..







七之助さんの姿に
お稲荷さんのような
神様の気配を感じた








それを見たからか
翌日のお昼過ぎ
川に向かって
「日本の伝統芸能を"背負って立つ"存在になれるように精進いたします」
だとか
夕方おうちに帰って
裸でご先祖さまの遺影に跪いて
「"芸"でお返しいたします」
と云いながら落涙したりだとか

ちょっと調子が変わったみたい
とち狂ったのか
スピってしまったのか

とにかく
"心にもない"と思っていた事を祈ってしまった







推し活の力って、しゅごいね笑
















背負って立つってなんだろね
芸ってなんだろね
















ぼく責任とか、努力とか
そういうのから程遠い"気概"で
のんびり"ただ、生きている"んだけど

歌舞伎座の七之助さんの女盗賊の
お稲荷さんのオーラに当てられて
勢いでそう神様に云っちゃったからには

少なくともそれに向かって
"がんばってるフリ"はしなきゃいかん
かもしれにゃい..
















ニンゲンってそうやって
何かにお尻を叩かれて動く瞬間も
あっていいのかもね






小さい目標と
できないくらいの大きな目標と

たぶん両方あったら
人生、飽きないのかもね


同じ商いをするなら、
飽きない方がええもんね笑
















商いでなくても
営み? として
生まれ故郷の伝統に馴染んでゆくのは
素敵なことかもしれないね









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芸 ってさ
草が云うって書くじゃん


魂はさ
鬼を云うって書くって
玉三郎さんがレッドチェアーで
おっしゃってたけどさ


草が云うって
なんかシンプルで
かつ
神秘的だよな







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玉さんがさ
才能も努力も愛情も
"芸"に対して鬼のように注いで
やっと名実ともにその名と姿を
この世に轟かせたように

そんなことをできるのは
ほんの一握りどころか
ほんのひとつまみ

この大きな地球に対して
"塩少々"的な数の人たちだけかもしんない

だけど

"芸"が、"草が云う"と書くからには
そんな大スターになれなくても
小さな小さな"何でもない者たち"
の試みや営みも

立派な"芸"なのかもしれない

田を耕しながら歌う農民の歌
離島の田舎の外れに響く
体の不自由な人が奏でる三線
わたいがお手洗いで歌う
気晴らしと気"遣い"の塊の鼻歌..


みんな草のように集まって
誰となく耳にとまって
或いは耳を塞がれて..笑








「伝統芸能」という立派なものの
トップのスター方だけではなくて

そういった
日常の小さな"芸"たちも
立派な伝導者に、図らずも
なっているのかもしれない







ちょっと朝方で
不眠で何云ってるか
分からなくなってきますた笑


寝ます
おやしゅみ










追記

背負っ立つってさ
言葉づらは大袈裟だけど

小さな草々や木々の営みが
自然と自然を豊かにしているように

小さな者たちが集まることで
背負えるものもあるのかもね



神輿になれなくてもね
神輿を担ぐ大勢の
小さな一員になることだって

立派な"背負って立つ"
大事な存在だと云える、かもね