アイは時に誰かを傷つけるから
温めておくべきなんだ
名前のない生理食塩水のような感情の方が
時に人と人とをつなぐ時もある
ぼくたちは所詮"いのち"なんだ
動植物と何も変わらない
いい事も悪い事も突然に起こり
コントロールできない中に生かされている
だから
役割を果たそうと努めればいいんだと思ってきた
それは何か責任が伴う事とか
忍耐強くとか
そんな大袈裟な事ではなくても
ただ其処にいて
その出来事を体験すればいいし
その中で選択して生きてゆけばいいのだと
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お役御免となっても
きみとぼくのフェーズが変わっても
ただ川が山から海へと流れてゆくように
互いに見送ればいいのだと思う
ご縁があればまた
同じ地に雨となって振り立つこともあれば
一生一度きりだったとしても
二度と会えなかったからって
ご縁が無かったことにはならない
一度会っただけで奇跡なのさ
ぼくらは皆、袖振り合うも奇跡なのさ
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補助輪が要る時期を終えて
自分で漕ぎ出す頃には
補助輪を外す
大人に支えてもらって
一輪車を漕ぐ練習をして
慣れてきたら一人で漕ぎ出す
お役目を終えても外れない補助輪は
ただの障害さ
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ぼくは
アイが強すぎて
理想や執着が凄すぎて
ぼくにとっては刃でしかなかった
自分の母親のアイのようには
なりたくないのさ
口で云うのは簡単さ
カタチの無い関係、名前の無い感情
口で云うのはとっても簡単さ
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いとも簡単に切れてゆく関係と命
儚いからこそ 後悔しないように
日々をだいじに過ごすの
ぼくがおそらく一番執着しているであろう
"アイを得る事"を人生で達成するには
それと同じ重量で"アイを手放す覚悟"を
意識する必要があるのだと思ってる
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人のことは考えても考えても
結局のところ、分からない
あの時なぜ母が
お腹を痛めてアイする父との間に産んだわたしに
あんな事を云えてあんな事ができたのか
父も父で
なぜそんな大変な母に
自分のかつての恋人であり妻に
暴力を振るえたのか
なぜ彼らは受験期のぼくを
クローゼットの前に追い詰めて平気で
蹴ったり脅したりできたのか
なぜぼくの賃貸マンションのドアを
思い切り何度も蹴ってドアを凹ませられたのか
どんな気持ちでそれをしたのか
その歪んだ母親像とかけはなれた
ふつうに優しく心配性な母と
母の手料理と
その暴力的な父親の晩年に見せた
ぼくへの"心配"と"感謝"と
ぼくの知らない母がいる
ぼくの分からない父がいる
まだまだぼくには
分からない
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結局のところ
アイがその温度によって
いかようにでも変化するように
ぼくの中にも母のように 父のように
たくさんの矛盾したぼくたちがいるのだろう
母がその時の環境や感情によって
ぼくに対していかようにでも変化したように
ぼくも、ぼく自身をだいじにできないと
大切な人に対しても
いかようにでも変化してしまうのだろうし
それは全ての人たちの関係性に於いても
云えるのかもしれない
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三日月の下に
ポロリと光る金星
その背景の夕暮れは
淡い桃色から朱桃色、薄水色、そして
藍色に泥む暮色へと変わる。
変化って、そういうもの。
眺めているぼくにはとっても
美しく視える。
そう在るべき、当たり前の姿に視える。
そうでないと、不自然さ。
貼り付けたように、
あの三日月が三日月のまんまで
桃色がいつまでたっても夜色にならず、
ずっと夕暮れのままだったら...
その下で暮らすぼくたちは、いや、
あくまでもぼくは
気が狂ってしまうかもしれない。
三日月と金星や空、本人たちは
どう思っているんだろうね。
ぼくがインタビューできるなら、
出向いて聞いてみたいものだ。
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画像引用 : pngtree.com
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近くになるほど
人は喧嘩したり違和感を感じたりするものだ
あれが気に入らない、これが気に入らない
それは、関わる頻度が多いから
見えすぎるから
匂いもそう
音もそう
香水の匂い、口臭の匂い
コオロギの声、蝉の声
一階のカフェに地鳴りするように響く
地下のクラブの爆音
遠いほどに憧れる
エベレスト、月、スター、
三島由紀夫にマイケル・ジャクソン
釈尊にお釈迦様にブッダにアッラー
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それでもぼくたちは
トイレットペーパーが無いとうんちやおしっこを拭けないし
箱ティッシュが無ければ安心して号泣もできない
手で拭かないといけない状況では
うんちもおしっこもさぞ出難かろう
垂れ流すしかない状況では
鼻水混じりの涙はさぞみっともなかろう
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コンビニですぐに買えて
便利に使われる雨傘も
強風や豪雨にボキボキにされたら
お役御免で捨てられる
トイレットペーパーと変わらない
儚い"人生”
それでも
自由に使える傘はありがたいんだ
便利に使える傘はありがたいんだ
すぐに流せるペーパーは必須なんだ
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ぼくの今果たしている役割が
たとえ誰かにとってそんな風でも
今ではいいと思えるようになってきた
かもしれない
自信を持っては言い切れない
そう言い切る事は自分を軽視することだから
だけど、お花を視ていて思うんだ
一所懸命、何の欲もなく(恐らく)生きている
たくさんの人々の目に留まっては愛でられて
そんなことも知らないのかもしれない
だからこそある日突然切り取られて
根差した土地から離れた所で
短い命を終えたりする
長いか短いかの違いで、
役割を、命を果たしていることに変わりはない
トイレットペーパーもお花も同じで
それとぼくたちの命も、同じさ
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排水溝からどこかに溶け出た
うんちまみれのトイレットペーパーたちや
涙と鼻水だらけのティッシュペーパーたちは
最後に何処に行き着くんだろね
ボキボキに折れた安い雨傘たちは
そして
いつか誰かにとっての
"お役御免"になったぼくは
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ぼくが枯れた植木をそのままにしてしまうのは
枯れたちっこい球根をそのまま捨てられないのは
心に巣食うそんな感傷の現れなのかもしれない
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親が、先生が、
子や生徒にとっての踏み台なように
親が弓なら子が矢のように
種に養分を与えて枯れてゆく花のように
交尾を終えた鮭が死んでゆくように
繁栄しすぎたニンゲン達が滅びてゆくように
アイを交換しつくした男女が冷めてゆくように
温めてとろけたマシュマロが
ただの砂糖の角質になるように
感謝の後には反抗が起こり..
言い出せばキリがないね笑
このへんで終わりにしよう
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粒ではなく、波になるんだそうな
自己の小さな世界に執着するのではなく
大きな波の中の粒として、自分を捉える
そうすると、いいそうな..
やってみるよ
ぼくが恐らく執着しているであろう
"アイを得る事"
この小さな世界、限りないegoを
ぼくという粒から解放して
世界に、大きな波の一員として
生きられるように
素敵な波の一粒になれるように
やってみるよ
美し過ぎるものが消えやすいなら
生き残る程度に醜く生きたい
醜すぎるものが生きづらいなら
生きられる程度に美しく在りたい


