父の旅立ちまでの備忘録②11/1-11/30-携帯のメモ帳に記していた父とのやりとりの記録から- | 森由 壱 - tune bride -

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... という 、夢を視ました 。

 

 

11/1 水 はじめて面会行かず。映画「福田村事件」を観た。

 

11/2 木 18時前着 面会

認定員さん朝一できた、Mmさん対応 右首リンパ腫れ、熱、様子見て悪化したら 月曜日に耳鼻科 カルテは先生まち わたしが毎日砂肝食べてる話したら、「胃がもたれへんか」と心配してくれる。水をストローで呑むのも咽せたりなかなか大変な父 大変な体になったなあとこぼす。電気消して水かえてコップ洗って出た。 

 

11/3 金 16時すぎ? 

歯磨き手伝ってあげた ほんとは車椅子で机まで移動してやろうとしたけど、左腕の点滴の線が心配でナースコールしたら、看護師さんにベッドでして下さいとお願いされ、父、しばらく目を見開いて憤怒か何かの表情。看護師さん立ったあと、それ何の表情?と聞いたら、「(看護師産が)いじわるや」と。 運動もかねて車椅子で足動かしたかったん?ときくと、色んな意味でな、と(もしかしたら、いつまでこうして居られるのかわからないから、わたしがわざわざ面会に来た時くらい、洗面所まで行く時間くらいわたしと一緒に過ごしたかったのかもしれない。言葉には出さないから分からない)。一回歯磨きひと段落したおもたら、もう一回したいと。 背中起こす時、強く力入れて支えてと、珍しくオーダー。 めっちゃ重くて大変で汗かいた。(バイトの)交通費はちゃんと遠慮せんと、往復もらいやと心配してくれた。ありがとうと。電気消してでた。 

 

11/4 土 13時15-45 

父、いびき、わたしの声に少し反応。(前好きと言っていた)田中屋の柿の葉寿司(持ってきたでというと)、いらんと言ったので、持ち帰り。刻んだ柿はレーゾーコにあるからと 念押したらうんと ありがとうと。(この日夜、新幹線でバイトのため東京に行く)

 

11/5 日 20時

仕事終わり、わたしからおとさんに電話のみ(記載なしなので、不在着信になったかも) 

20時半Mmさん

血圧さがり 脈拍あがり 意識はある。何が起こったかわからない 16時ころ 熱は三十七度くらいの微熱。血液検査 crp30-32 どこかで炎症、感染が起こって血圧下がったか、脱水か。本人は重篤感ない。最悪のことも想定されるとの事。胸の肺の炎症おこしてるかも。誤嚥かも。点滴で水分入れてる。心臓マッサージはいらないとお伝えした。脳幹なので呼吸しんどくなりそうなら呼吸器はお願いした。  22時50分Mmさん経過報告くれる。

 

11/6 月 7時半 

お父さんから電話 「(わたしの名)に伝えたいことはな 落ち着いてようきいて (わたしの名)はそこ(東京)におっていいから お父さん一人で退院する 電話かけたら心配するから迷ったけど (わたしの名)に言っとこうと思って。今日何日?12日?火曜日?」と。わたし、6日で月曜日やでと。水曜夜まで待って、算段するからと父に言うと、「自分でできる。お父さん自分でS先生に伝えるから、H医大、早々に退院する、今日退院する」と。 途中聞き取れなくて、わたしが「うん、うん..わかれへん、死ぬの?」と聞くと、「そう簡単に死んでたまるか!」と。追加治療一切なし、放射線、ステロイド、テモダール中止、レントゲンなし、すぐ帰るとの事。「(わたしの名)は東京おったらいい、看護師言ってもきいてくれへんから」と。「呼吸器つけますね〜」との看護師の声に、わたしへ電話で「そういうことや」とぼそっと諦めたように言う。おとさん、いじわるでつけられてるとおもてる。おとさん「自分でS先生に言うから」と。「切るで」と。

受付にかけたらStさんから婦長Nmさん? Smさん? 放射線、テモダール、治療系は全てやめると分かってくれた。栄養点滴の鼻からと酸素マスク、水分は続けないと死ぬのを放置することになるからと言うので、それはお願いした。婦長さんからおとさんに、「あとは帰ってくるまで待っといてね」と伝えてくれとお願いした。

夜18時36 包括のKiさんに電話つながる。退院に向けて、介護認定の進捗と訪問介護実費でもいけるか病院と確認して明日動いてくれはると。 

 

11/7 9時30

おとさんに電話つながる。栄養、呼吸はいじわるじゃないから 頑張ってと伝える。木曜にいくまで頑張ってと了解をとる。S先生がきて、今日明日まで様子見ようと言われたみたいな旨。のちに放射線のことだとわかる。後に看護師さんにStさん? ふくよかな方、同じ年のお父様いると話してくれた。放射線は7日から本格的に打ち切りの旨決。おとさんが「木曜、面会来なくていいよ」と言うので、いやいやわたしが来たいんやと押す。ほなねと。 

 

11/8 水 

7時36におとさん不在着信あり。昼に気づく。自分で計画した仕事の為、茨城のど田舎の宿で寝てた。11時過ぎチェックアウトしながら電話。「S先生に今日明日退院すると言っても言うこときいてくれへんと。(わたしの名)から言ってくれ」というので、退院に向けてみんな一丸となって動いてるから、来週いっぱいまで待ってと強めにお願いしたら、「そんな待たれへん、今日退院する」と。 わたしが「在宅医療や訪問介護の準備してるから」といったら、「そんなんいらんねん、お父さん一人で生活できる」と。わたし面倒臭すぎて半ギレになりながら、「一人じゃお父さん支えきれへんから!」と言ったら、「支えなんかいらん」と。そんなん言ったかて、お父さん今ものも食べられへんから栄養点滴も水分もいれなあかんし、呼吸器もつけなあかんし、それないと死ぬねんでと言ったら、「(わたしの名)までそんなこと言うんか」と。明日面会行くまで待っててよとお願いすると、「面会なんか来ていらんねん、 もうええ、きるで!」と。たまらず、一緒にいた知り合いに「自分のお父さんがわがまま言ったらどう思う?」と聞くと、「え、うざいなって思う」と。それはそれでと思いつつ、そうやんね、とホッとした。朝から清々しい気持ちが台無しになった気持ちでやれやれと思いながら、電話中にもらった領収書はきっちり後で無くしてしまっていた(それも後から出てきた)。茨城のど田舎の日中は美しかった。空気もおいしく、田畑も広く、柿の木はたわわで、昨晩は真っ暗闇で怖かったが、昼は明るいので街並みが見張らせた。

夜22時半から25時頃までPちゃんとライン電話。彼女のおじいちゃん、おばあちゃんの話。男の人の方がごねるのかもと。大体みんな施設嫌がるけど、倒れ込むように最後は観念して入ったと。Kには親戚いたけど、Oは動かなかったので、Kの叔父が面倒みたけど、叔母叔父間は険悪になったと。 

 

11/9 木 13時頃 

ソーシャルワーカーのSさんから、 明日金曜日11/10に在宅医療の方に面会来ていただける旨、連絡あり。16時にいくと、約束取り付ける。 

 

11/10 金 16時

東京から直で Fi先生(S先生の助手)、看護師のmさん訪問看護のリブKさん、ケアマネAsy:Sさん 病棟でお会いする。

 

11/11 土 

お下の変え方 

 

11/12 日 

お下の変え方を教わる。退院日は14火曜日に決定と 

 

11/13 月 昼

H医大ソーシャルワーカーさんから。「今日15時半夕方退院に変更」と 退院からN先生、Sさん、Kさんたち。介護タクシー支払い。対応地獄。 

 

11/14 火 

STさんたんとり。KiさんSuさん、ひげそり。 

 

11/15 水 

STさんひげそり、お口ピカピカ、 

 

11/16 木 

咳痰ひどし STさん休みだが、父アイスと水食べたく、訪問看護Iさんにスプーンで。水から、アイスに移る際、何か喋ってしまい誤嚥。しばらく体おこしてやすむ。 食べたうちに入らんとぐちる父。 咳たんひどくなる。 訪問入浴キャンセル。ケアマネSuさんと書類かわし、葬儀の件相談。「亡くなったら脱力しちゃうから、今のうちから」と勧めてくれはる。

 

11/17 金

ST:Kさんきはる。寒いので手をつける為のお湯を桶で出したげた。いっぱいごっそり痰吸引。右が下で左肺が上がいいみたい。アンリシャルパンティエのフィナンシェを渡したら、昔バイトしてたと。

 

11/18 土 

一晩中咳たんだたので、急遽ルートキープではなく一回刺しでのカロナール、抗生剤を入れてもらえた。 左腕、なかなか逆血せずグッと抑えるのがんばた。なかなか流れず、角度を調整、キープしながら、お昼たべさせてもらいながらなんとかいけた。

16時半、Kさんスポイトで右横向きでお水とろみつき。少し咽せそうになるも、いけた。お水おいしいて言ってて涙が出た 夜 19時 Kiさん、痛み止め2本目 はじめたれなかったけど、徐々にポタポタスムーズに。全ておけ。 22時前までは無音で熟睡 22時からは無呼吸なしのクリアな寝息。 

 

11/19 日 1時ごろ

痰吸引 水飲みたいと、尿瓶ほしいと言う 水は看護師さんまとと説得 尿瓶は、バルーンあるからと。忘れてたみたい 2時半ごろ、痰吸引 3時半、痰吸引 右横に ちょっと痰のねばつき強く、絡まって呼吸しにくそう 4時50 いびき始まる 痰からまりつつ 5時50 痰取りごそ 痛そう 7時40. 痰取り2チューブぶんごそ 痛そう右肺下 

 

11/20 月 

 

11/21 火 昼

睡眠0限界、父の我儘全開、錯乱あり ペットボトルで水飲めず、 左ローテーブルの水入りコップへ水っ水!と頭を突進させる様子は父ではない別の生き物のようだった 落ち着かせられず、スポンジで吸う様子もなんだか飢えた何かのようだった 飲んだ気にならへんと顔を顰め、お決まりのしっしっコースに疲弊 トイレへうんちいこうと起き上がりたくてできず暴れそうに 食べたいもの、飲みたいもの、したいことをさせてあげられない苦しみを、父は知らずにわたしへ雑にあたる Iさん15時、16時まで出かけていいですよと言ってくれる 鍵ポストへと 限界、パンク、はるのうたで号泣 父をケアしてくれル人は沢山いるが、わたしをケアする人は誰もいない 一緒懸命に父を世話しても、結果がこの態度かと 死に際にすら、こんな思いにさせられるのが悔しく 寝られない、苦しい痰をききながらの食事、臭い中での生活、 死んでほしい、と、苦しませたくない、楽しい思い出を残してほしいがセットの裏腹な気持ち、 17時40分

ST:Kさんと同時に帰宅、おとさん、心配してた顔 東京へ行くと告げ いいよと 赤いポーチどこと渡してあげる 電話番号070きいてくる 少し待ってと。 僕だったらできない、よくやってはると思いますよと。娘さんいないとねと 口腔内、汚れ一つなかったと なかなかできないと 言ってくれる 涙出たらおとさん花粉かと。 明日は何時とST:Kさんにきく ベッドころころしてくれる 深夜、父に、カフェでないてんでと、0時ごろたんとるときに恨みごと言ったら、おとさん後悔してると、しおらしく返してくれたようにきこえた 22時半、N先生に痰をとめる薬がないか聞いた ないと。スチームあてるボラノールはあるが今からはむりだから、加湿器をと 2階で苦しむ父に何もできず号泣してしまった 食べられない呑めない点滴も入りにくい それでも咳は何とか止められたのに 痰だけはどうしても止められない 点滴をやめればやめるで 痰が詰まりやすくなる 出る方がいいという 自分で出せず吸引もできず苦しんだとしてもである なんでこんなに最後まで苦しまなければならないのかと 泣くのはもっと後と決めていたのに無理だった 2時半、5時半、7時半と痰とりした 

 

11/22 水 

いいふーふの日とKiさん教えてくれる ST:Kさんから連絡入ってたと 和解したけど月曜日日帰りで行くと伝える ヘルパーさんうまくはさめばと。 おとさん、出かけしな一瞥、今まで見せたことのない、寂しそうな哀しげな表情だった 何となく、このまま亡くなる気がした けど、だからと言ってべったりはりつくのも、いやだし、そんな気が幾度もして今日まできた。今日も大丈夫だし、 たまには悲しんでもらわないと困ると思ってイェローの並木で死灰色を振り落としてはるのうたへ。 おとさんの為に、今までどんだけ涙を流してきたか。 そのことばが胸にループした。 少しは悲しんでもらわないと割に合わないと。 このままいくとしても、今までお互いようがんばったから、もうこれ以上がんばらんでもええやんと。 介護対象者やからて、健常者の生活と心を破壊してまで生きていいわけはないんやでと いつも口論になると自分から強制終了するけど、それはずるいでと 心でおとさんにぶつけながら並木をくぐりぬけた。 M川を渡る黄色い笹船が、三途の川をいづれ渡る父のようだった 並走して小さな光の粒が見守るように、追いつけ追い越し、付かず離れず流れていた 滞留して止まってしまった 次に流れるのは雨の日か風の日か 三途を渡りきるのも運とタイミング 鴨が二匹、一匹は陽の当たる方、もう片方は橋の下の影に、干渉するわけでもなくめいめいに浮かんでいた 最後の父の哀しげな一瞥、死んだような静かな呼吸が、前日の、全く死前とは思えぬ、通常のような安らかないびきと比較されて お父さんは元気になるかもしれへんけど、わたしはぼろぼろになってってんねんで そのことを忘れんと生きてなと 心にふとよぎった イェローの並木をくぐったあとは、いつも帰りたくなくなる このままずっと、並木のこちら側でいたいとぼーっとして、今亡くなっているかもしれない、それでいいじゃないかとぼとぼとかえる。 安らかなうちに死になさいと、死ではなく、次のフェーズにいくのだと、いつまでもしがみつくんじゃないよと、 いつもそう心で父に呼びかけながら、 並木道を帰ってゆく 今日死んでるかもしれない 明日死んでるかもしれない 今日も生きてる 明日も生きてる そんな不安定な時間を 生きていてほしい 安らかに死んでほしい こんなんならはやく死んでしまえ そんな不安定な気持ちでゆらぎ葛藤しながら生きなければならない日々をどう思う? そう、心で父に恨み言をいう 13時すぎ、一旦かえると 死んだように寝息をほとんどたてず寝ていた 口を潤して はるのうたで猫の絵の展示、クロックムッシュなかた、みたいな話をした 父はうんうんと聞くのみで、話そうとはしなかった Hちゃんとこいてくる、この時間こむけどね、、でまたうんうんと。 舌の動きだけ見ていたら、からだを別に取り替えたら生き返るんちゃうかとおもうわと、いうといた。 出かけしな、確認した。寝息をほとんど立てなくなった。 安らかに口をあいていた しゃべるのを諦めた父に、可哀想だと思うけど、可哀想と思うことが余計可哀想だから、思わないようにする 死んでも、生きていてもらっても、辛いという辛さ 死んでも、生きていてもらっても、辛いという辛さが、看取りにはある。 苦しまれて生きられるくらいなら、安らかに亡くなってゆく方が、心は平安である。 安らかに死を迎えさせようというわたしの思いと、元気になりたいという父の思いが裏腹に交差する 15時半、ST:Kさん 奇跡が起きた 父の声がはっきり出た ふるさとを、3人で歌えた なんかわからないオペラかジャズを歌う父 当たり前やん声楽科やでと 20時 Miさん リハビリ気持ちよさそうに その前に水飲ましたら、 ごっくんが早くなってたし、 ほら見てみ、結構簡単にできるねんと、 今まで見せたことのない 笑顔を、呑めてびっくりしているわたしに 見せて来た 印象的だった 夜は一度深夜2時半ごろ、吸引少ししたあと、大量に痰を自力で出せたが、また次から次へたまるみたい。 出したあとは、きれいな発声できていた すごい 

 

11/23 木 朝9時

おとさん起きてて、「(わたしの名)寝てる時に痰だそうとしたり動いたりしてみようと自分でしてみるけど、やっぱり(わたしの名)の言うとおりやな、中々動けへんわ。困ったもんやな」というので、「当たり前やんおとさん、今そうやって喋れててわたしに伝わってるだけで奇跡なんやで、明日死ぬて言われててんで、 今そうやって普通にあれやりたいこれやりたいってなってるだけで奇跡やねん、そんな簡単に一朝一夕でよくなるかいな、ちょっとずつ、ST:Kさんとか来た時に動いてみよ」と、 励ますと、「そうか」と。 水も、Kiさんくるまでに普通のん飲みたいというから、横向いて、横向く為に真ん中じりじり寄ってというと、「ただ水のみたいて言うてるねんやんか!」と、お決まりの寝起き機嫌悪いモード。おとさん勝手に飲んだりしないからな、そこに水おいといてと。絶対のむやんと、いなす。Kiさん点滴 T家で牛丼E03贅沢させてもらい、13時半に帰ると、おとさんローゲンマイヤーのフレッシュオレJとカレーパン買ってきてと。ここの部屋気持ちいいからずっと寝てられると。食べるのはST:Kさんきた時に相談しよと言うと、こんな寝てばかりで何も楽しみないとごねる。16時、点滴まだゆっくりだたので、Kiさん一旦帰る。17時a:Sさん、ヘルパーさん来はる、ピアノの部屋で契約書。「娘さんえらい、頑張ってはる」と、すごいちやほやしてくださる。うれしみ。話も聞いてくれて。介護保険黄色のを、Sさんへお渡し。ヘルパーさん来るたび、携帯の模様。17時半パナソニック訪問入浴、イリュージョン みんな全員大集合! 気持ちよささう お菓子全部渡して返す。お父さん、これ気持ちいいけど、隣の人うるいんちゃう?と心配。大丈夫大丈夫一軒家やし、ドラムぱんぱん叩いてるわけでもないしといなす。おとさん、もちょと早い時間がいいと、17時半ではなく17時がいいと。 20時半 22時半痰チェック

 

11/24 金

24時半たん吸引不発、右側臥いで、あーで出してもらい太いほうで吸引。 7時、同上で吸引。 おとさん「にしむら珈琲行ってみよ」と言うから、「わかた、車椅子でいけるようリハビリしよか」と言うと「車椅子のるんじゃ意味ないねん、歩いてな、今日天気ええからな、散歩がてら」と言う。ST:Kさん明日来るから聞いてみよといったら、明日か、と。 今日行きたそうな感じ。後で来はるから、ちょとずつみんなとやてみよと。それを目下の目標にしよと。11時12時、Iさん抗生剤入るも栄養点滴入らず、15時また来ると。 N先生に唇と水虫の薬処方してもらう。右足の赤い斑点気になる。Miさんリハビリ。みんな帰ったあと、水呑むと。気いつけてゆっくり飲みやというと、もう呑めたでと言うけど、のめてない声。氷シロップのみたいと。 スーパー系ならどこでも売ってると。今日も晩飯はなしかと。「食べてへんから点滴せなあかんのとちゃう?」ときくので、嚥下ができないから、この前肺炎苦しかったやろ? というと、そうか、そやたと。ST:Kさんたちと、嚥下できるようがんばろと。にしむら珈琲いくのが目標ねと。並木 イェローが桜のように散っていって、からからと薄蒼い空、アスファルトに渦を巻いていた。はるのうたにて 何となくおとさんが、わたしの東京に日帰りで立つ月曜日に、召されるのではないかと思った。もう少し楽しい時間を過ごしてほしいから月曜日までは持ち堪えてほしいと思いつつ、 お別れとはそういうもので、いつも何か心残りがある方が、いいのかもしれないとも思った。ST:Kさんに、みかんゼリー食べさせてもらえたらいいな。死ぬのなら、その前に、好きなものをワフワフ食べさせてあげたい。15時40 Iさん 栄養点滴なんとか入る。夜中つけておくと。直角に起こして気道内たん吸引。痛がったら、やめてなと念押すも、やめないから、おとさん3度目さすがにわたしをうるさがるのと痛いのとでオコ。リハビリでMiさんにされた時、左脛下を痛めたみたいで、少しゆるめると。実費でもいいから、リハビリMIさんと嚥下ST:Kさんで、ダブルで入ってもらえなかいか、Kiさんに相談してもらうことに。月の葉のお菓子あげてたら、 どんなお菓子、食べへんから(見せて)と言うので、渡すと手にとって裏面をしげしげと見る。カプライスの向こうの(前にテリーヌを買ってきて喧嘩して帰った時の)お店やろ?と聞くので、ちゃうねん反対方向やでと。はるのうたの向こうやねんと。 今度いこねと。

20時15 ヘルパーさんはペケ、男の人がいいと。明日キャンセルする。

22時 痰吸引できず、出せず 何か痛いねんと。顔をしかめる。どこか当たってる?ときくと、そういう痛みやないねんと。痛み止めはってもらおなというと、痛み止めなんかいらんとごねる。 明日ST:Kさんにオレンジジュースのましてもらおな、うん、と。

23時 24時 25時痰チェック

心臓痛い寝られないゲロゲロ気持ち悪いうるさいトラウマ、寝られないストレス睡眠薬ほしいイライラマックスいつまでこの生活っづくねん 

25時36分

静かすぎて心配でおりたら、ちょうど吐き出してとれた 寝られない。つらい。 

 

11/25 土曜日 

おとさんが痰吸引いやがり爆発。 15時Iさん中ねる 16時過ぎ起きたらST:Kさんすでに髭剃りおわてた。みかんジュース10口のめた。その後とろみ水で(飲み込めずに残っているであろうみかんジュースを)流す。鼻から栄養の方向で月曜日N先生に相談、調整。 

 

11/26 日 夜

おとさんの痰か口からの腐った海水のような匂いきつい 朝7時、おとさん、痰で死にそうやた、出しても出してもシャボン玉みたいに出てくると 8時Iさん 16時、リハビリMiさんKiさん 車椅子のれた! Kiさんは胸静脈カテーテル推し。夜間現状必要なしで、ヘルパーさんに慣れてと。わたしが指導で入れたら入るからと。ヘルパーさんは足湯もできる。おとさん芦屋温泉いきたいと。20時、21時、22時、24時、痰チェック。 

 

11/27 月 

4時、5時半とチェックするも、安らかにいびき。6時30分 痰で苦しんだ模様はなく、逆に心配。ふと、先週木曜日頃に、わたしが東京へ行く月曜日に召される気がしたことを思い出した。でも、それはそれでいいかもしれぬ。ぐんぐん良くなってきて、明日はこうしよう、今度はこうしてみようと、本人もみんなも希望にあふれ、苦痛のない安らかな状態。そんな楽しく安らかな中でふっと召されることができたら、それこそ願ったり叶ったり。ST:Kさんに会えなくなるのが寂しいけれど。8時半、ゴミ出しで水変えてメモして家でる。ヘルパーさんやることなくてヒマそうやたら、爪でも切ってもらうんやで、と言ったら、フッとわらてた笑 おむつ、パット交換してほしいと。それは当たり前のようにしてくれるけど、言っとくと言っといた。Hちゃんさんとこに行くと、おとさん車椅子のれたと言ったら喜んでた。ブルーの服がよく似合てた。13時過ぎ、Rポストに着、Kiさんから電話「バルーン外れ、シートに濡れあり、衣服交換済み」とのこと。N医院のN先生もその後訪問に来た際にお電話をくれて、強い栄養点滴の方法について提案あり。「点滴、胸ポート、腕カテーテル、胃ろう、鼻チューブがあるが、そのうち胸ポートか胃ろう、が現実的で、胸ポートの方が負担が軽いかと。料金この時わからずでN先生帰る。18時40頃、追加の電話で「日帰り2万2千円」と教えてくれた。16時過ぎ、Y屋のPさんが話を聞いてくれた。「こんな事いっちゃなんだけどポックリいってもらった方が楽だろうね」と、先回りして私が人に言えない事を言ってくれたので、「逆にでも〜」と美辞麗句を言えて"いい人"でいられた。神。知り合いのPの話。第三者必要ねで一致。プリンの値段の話。Pさんの奥さんが、「今が一番幸せ」と言っていて、Pさんが正解な気がしてきた話。Cマンの話したら、「お前も悪い」と。まあ、Lとしてみてもらえてよかったと。「トイレのうんちと一緒に流したら綺麗さっぱり忘れて二度と思い出すな」と。例えが面白過ぎてトイレ流しながらわらた笑

 

11/28 火 17時半

ST:Kさん バニラアイスあかんかって、ちょっと残念そうに考えこんでた。わたしには冷たかったように感じてしまった。 

 

11/29 水 0時46 

肺炎再来の兆候あり 9時半Kiさん しっかり口腔とってくださる おしっこ800以上 熱なし、脈拍はやし 15時40分ST:Kさん 37度、心拍98 時々しゃっくりしてた 足けり2回目の際、 こんだけ動いたら今日のばんめしは ステーキかというおとさん 肉汁味わうだけならとST:Kさん 竹園ホテルで肉買ってこななとわたい。 病院の時牛肉コロッケこの前買ってきたけど、食べられへんかたもんなと。 ST:Kさんは、子どもの頃よく竹園ホテルのメンチカツを買ってたべさせてもらてたと。 帰り際、風邪気をつけてと言ってくれた いつもは、洗剤の匂いなのに、今日はコロンの匂いがした やりたいこと、食べたいものを叶えてあげられない、食べさせてあげられないということが、どれだけ辛いかを、身に沁みて感じる日々。 19時Kiさん 36.2 帰り際、おとさんがしゃっくりとあくびした。久々にみた。 ステーキ、土曜ST:Kさんに肉汁味わわせてもらおなというと、そんなんやあかんとごねるから、 ジャズでも段階をへるやろ、スケールやって、スケールの前に音出しやいうと Kiさんとスケールとはの話になり、ジャズはアメリカの話や、近くのライブハウスでしてた話やおとさん東京で活動したかた話もしたり キーボード偽物つかまされた話、Kiさんの知人も、背中かきできひんやつ500円でつかまされた話 舌ブラシいるねの話 走りに行く時涙が出た 月が今日は独特な黄色で、舞台に美術で当てこんだような、かすみがかった薄ピンクをまとった黄色だた 触るとあたたかそうな月 ぼーっと、ほんわり 内側がピンク、外側が水色 中はクリームイエロー 乱視の影響で月が曼荼羅のように 実物の2倍ほどの直径にぼやけて見えた 曼荼羅が、楕円になったり。6角形になったりした いのちが終わるのを知っていて、それを言わずに、まだ続きがある体で励ましつづけるのは、どんなに自分を他で癒してきても、やはり辛い。 帰りに寄ったウェルシアのお手洗いが秀逸過ぎて感心した。"オストなんとか"という、バリアフリートイレで、バルーン(尿のバッグの名称)の人にも対応。めっちゃお礼を言って出た。

 

11/30 木 24時

たんとり、過呼吸 。