死に際の父へ | 森由 壱 - tune bride -

森由 壱 - tune bride -

... という 、夢を視ました 。



ひとの生をこんなにも喜べない自分が
嫌だった

そんな気持ちにさせた
父の終わり際が憎かった

わたしの心を汚くしないでと
心で罵った

何の得にもならない父の道楽に
付き合っては汚い顔と我儘で
ちゃぶ台返しをしてくる父に
途方もない徒労を感じた














唯一の肉親の最期くらい
精一杯やさしく労わりたかった

楽に死なせようと、楽に生きさせようと
父の願望を負担なく叶えるにはと
工夫すればするほど

父は毛虫の湧いたように猛烈に
不機嫌をぶつけてきた




心臓も痛くなり
身も心も崩れ
小一時間おきの医療行為に値する痰吸引で
ささくれた手指と張り付いたトラウマ
手から床からシーツから
絡みつく半分死者の痰
流したらつまる痰の滝壺と化した排水溝
様々な痰のえづらと吐く音と匂いとで
おかしくなった食欲と催すもらい痰
慢性的な寝不足とカロリー過多の栄養不足で
人相が死人のようになった自分を見て

父から物理的にも離れる決意をした







もういいだろう
父よ

観念せよ

振り回してもいいのは
その分お返しができる人までに
しておきなさい













それでも
お返しができるのは
その人が健全に生きていてこそで

貴方の我儘で潰していいひとの心体なんて
ないのですよ













観念せよ
一人で生きられなくなったのは
貴方のせいでも誰のせいでもない

貴方も悲しい、辛い
わたしも、みんなも同じく辛い

だけど
寿命なんてそんなもんで
しょうがないでしょう













観念せよ
貴方も言っていたではないか
死んだら死んだでそれも運命と

それなら
死に際くらい
ひとに我儘をぶつけず

老いては子に従え
みなに労わってもらえるうちに
してもらってる分だけ感謝して
振り回さずに過ごしたらいかがなものか












観念せよ
周りを振り回すな

唯一の我が子を蝕むな













貴方は自由を奪われているのではない
自由を奪われた貴方の体に
皆から少しずつ
今ある生を分け与えてもらっているのだ

感謝せよ
文句を言うな
それ以上を望むな

周りを蝕むな












観念せよ
安らかに準備せよ

死に際くらい
醜い感情を振り撒くな













死にゆく枯れ木に
生きた花びらの血を吸わせる

その意味がわかるか












父はわたしに纏わりつく
死神のようだった

心を痛めながら慈しむように見下ろす
父の頭は世の中の死を凝縮したような色で
ガサガサと虚な生欲にあがき

生気を取り戻す毎に
わたしへの不満を喚き立てた













父はわたしを
一番残酷な状態にした

自分の死を虎視眈々と待つだけの
冷ややかな娘にした













そうせざるを得ない程の
洗っても洗っても流しても流しても取れない
痰のような憎しみを

この短い最期の時に無限にわたしへ
植えつけた

父にそのつもりがないのなら
それが父とわたしの生まれ持つ
天性の相性だったのだろう












こんな最期を過ごすのは
父としても不本意だろう

どんなにうんちを投げつけられても
にこにことマザーテレサのように
我が子をあやすように
無償の慈愛を注げるほど
わたしの心身は強くはなかった













非情になるよりほか
今生きているわたしを殺さないで
生きる手段はわたしにはなかった



唯一の肉親の最期ですら
そんな風にしか過ごせなかったという事実が

わたしの人生の存在価値を
悉く否定した









コンビニエンスストアにデカデカと貼られた
クリスマスチキン 2個で50円引き
というチラシが何枚も何枚も
わたしの頭を鈍器で殴りつけてきた


ひとときの鬱晴らしを期待して
駆け込んだ月曜日の夜の喫茶店で
がなり立てるように鳴っていた
クリスマスソング

うすら笑いでごまかして
小説に没頭した










人生で一番
無意味なクリスマス期間だ




 



一旦こころを閉ざしてしまえば
その後非情になり続けるのは
造作なかった




距離を置けば少しは慈しめるかと
思って置いてみた距離

置いても置いても父に会うたび
開始5秒で我儘爆弾を投げつけて
発狂させてきたりした

子どもの頃から
今 父が寝たきりになってさえ

家はわたしにとって
いつ爆発するか分からない地雷が植っている
心臓に悪いだけの場所だった







父のことで心を痛めるというブレーカーの
スイッチをバチコンと落としてからは
見る見るうちにわたしの体は
回復していった

それと反比例するかのように
なだらかに父の容態に影が落ちても
もうそのブレーカーのスイッチを
上げる気にはなれなかった

父が突然倒れてから
毎日欠かさずつけていた父についての
スマホのメモ帳
3日に一度くらいにまとめて書くようになり
ある日突然全く書かなくなってしまった

人間の心身は
そんなに長期の 先の見えない痛みに
耐えられる程強くはないことを
死に損なう父が見事に証明してくれた

戦争の災禍の中
死に悶える肉片を無気力にかき分けて
歩く生存者のように

介護者もまた 自らを生かす為には
死にゆく人と同じようには
苦しんでいられないのである










一時は父の苦しみを取る為に
血眼でフラフラになりながら奔走していた
わたしの見事な変わりように 引いたような
怪訝そうな訪問看護師の視線を尻目に
わたしは快活な笑顔で
カフェへと出かけてゆく
わたしを守るシェルターへと




「寿司が食べたい、玉子焼きでもいいな」
と言っていたと、看護師が書いてくれた"おとさん日記"を読む。












シェルターへと帰る道すがら、左手に出来たてのたこ焼きを引っ提げながらそれを思い出して。

少しでも思いを馳せようとすると、忘れていた心臓の痛みがたちまち扉を叩いた。

その痛みのしつこさが、わたしの体内から出ているわたしを守るモルヒネの量を知らしめた。









今は、これでいいんだ。

そう何度も言い聞かせて、また心のブレーカーに触れようとした手を振り払って、父への思いから離れた。



それでも、気がゆるんで父とのツーショットを見返したりすると、涙の方が瞼を叩いてきて「いかん、泣いてまう」と目を強く抑えた。

たこ焼きを食べられなくなるからと、涙を必死で扉の奥にしまい込んだ。


涙が出そうになるのは、父への憎しみが綺麗にはけた証拠で、もうこれ以上同じ繰り返しはしたくなかった。このくらいでちょうどいいんだ。

これで後悔が残ったとしても
もう父にこれ以上
殺意を抱きたくはなかった

たこ焼きを無事食べ終わったら、急に何かの拍子に先程押し込んだ涙が10倍になって開かない筈の扉から堰を切ったように噴水してくる時もあった。


一度人の苦しむ姿に心を閉ざした人間が
もう一度人の痛みに心を開けるだろうか













大崎善生の「アジアンタムブルー」になぞらえると、わたしはある日突然、スパンと前触れもなく変わってしまった。

一度粉砕骨折した足が元には戻らないように、わたしのこの心も、もう元の状態には戻らないのだろう。


わたしが一番ひと知れず取り柄としていた、誇りに思っていた"感受性"の根幹が、恐らく壊死した。

裏を返せばその程度の"感受性"だったのだろう。その事実にわたしのこの先の人生が、失色してゆくのを感じた。


この先の人生を、裏側を知りすぎて尚しがみつかなければいけない目が死んだ傀儡と化したTVタレントのように、

わたしも又、死んだ心をそのまま写したこの淀み腐った目で、これからの半生、醜い姿を撒き散らしながらしがみついてゆくのだろうか。




一度殺人を犯した人間のように、わたしも、"冷酷な"人間としてこれからも、造作なく生きていけてしまうのだろう。




死に損なう親の苦しみと不満を前にして、
自分の命と父の命を守るサイコパスになるか、それとも暴走する殺意をギリギリで抑えながら自分の健康な生を死に際の父に蝕ませて"優しい天使"でいるかの2択になった時に、

わたしはサイコパスになることを選んだ。



休みなく寝ずに3年踏ん張れる吉本若手芸人のような魂はわたしにはなく、3日で逃げるADのように、わたしは父の介護から離脱したと共に、自分の人生に於いて最も大切にしたかった"心"からも離脱してしまった。










親との最期って
もう少しは美しいと思っていた
思いたかった






鳴かなくなった猫は
かわいいだろうか




健気な娘になれなくてごめんよ







何に対しての涙なのか分からない涙が
流れても
もうそれが何に対しての涙なのかなんて
どうでもよくなってしまった

心と体が壊れて倒れるまでやらないと
それはやったとは云えないみたいな
暗黙の圧迫感を冷ややかに感じて
ぼくの離脱は孤独だった

死に際の人間に生を吸い取らせる事が
正義なような空間から逃れた代償に

ぼくはぼくの孤独をさらに
冷ややかなものにした

ぼくと父の現状を控えめに吐露する言葉が
悉くすり抜けるリハビリ看護師の横顔の遠さが

ぼくにはもう人間としての存在価値すら
無いことを
暗に 明白に示していると感じて

それが絶望と涙となって流れた

多少の被害妄想的に書けば
父に声をかける者は一日に何度も訪れたが
わたしに声をかける者はその中にはいなかった

父を必要とする者は多数きても
わたしを必要とする者はその中にはいなかった






自分で生きられなくなった時用に
毒になる何か
自死に相当する手段を探しながら
壊死した心をせめてカバーするよう
肉体か何か、具体的なものを磨いて
生きていければと思う












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追記

父がはじめて涙を流した
「(わたしの名)が帰ってきてくれて嬉しいんや。」と。

少しわたしも動揺して、「ごめんごめん心配やった?」と聞くと、

「そらそうや、こんな寒い中(わたしの名)どこほっつき歩いてるんやと思て」

と眉間に涙を滲ませながら言うのでわたしも少し真剣にティッシュを父の目頭にホイホイと当てがいながら、

「大丈夫大丈夫、案外これで結構しぶとく生きてるねん、ちゃんとマンスリーマンション帰ってるし、」

と言うと父、

「そのしぶとさはお父さんも見習わなあかんな」

と言うので、

「ちゃうで、お父さんの血ぃ引いてんねんで」と言っておいた。

ちょっとほっとした表情で、そうかと。
「だけど用心深さはお父さんの方があるやろ?」と言うので、「たしかに、それは言えてるわ」というところで落ちた。

一通り痰を2玉程吸ったり、看護師が強引に痰吸引するのが意地悪やというぼやきを聞いたり、開頭手術をした病院へのぼやきや、CVポート点滴をやめて、全てを承知の上で自分の思うように生きてみたい話、その間終始苦しそうな咳が込み上げそうになる度にさすったりしながら、

家から少し離れた商店街の突き当たりにあるちょっと具合の悪いおじいちゃんのたこ焼き屋がおいしい話、てこ屋のたこ焼きもおいしいで意見一致したくだり、

色々話して、最後に「(わたしの名)どうもありがとう」と、握手してくれた。

人生で初めて、この長い冷戦を経てようやっと、よくある映画のワンシーンみたいな、"父子の最期"みたいな状況を経験できて、

あぁ、この距離かあ

と思った。

右手に、いつもより二つ多い8個入りのたこ焼きを下げて、極寒の中歩いていても、初めて見た父の涙と、父の本心からの心配、本音が胸に染みて、久々にじんわりあったかかった。



それでも、居住を別にした事は間違いではなかったと、少しの罪悪感がにじりよりそうになる心に言い聞かせた。

父の痰の絡んだ弱々しい低い声や、扉を閉めたりわたしが聞こえない場所に移動してさへとめどなく緩慢につづくぼやきや話、看護師の記録によると朝、自分で起きたくてベッドから半分ずり落ちていた話や、久々に痰を吸引した一部始終の煩わしさを思い返して、

あの場所にずっと居ては心身がおかしくなる事を、再認識できた。











この距離かぁ。



やっと経験できた、一度でいいから経験してみたかった"美しい"親との最期が、実現できるにはこのくらい距離がいるんだと、

切なくはなった。

でもいいんだ。
やっと見つけたこの距離、答え。











親子って切ない。
家族になるってこういう事なんだって、
未来にできたとしたらのパートナーとの距離感にも思いを馳せた。

ケンカしてもブチ切れても、平気でお互いへ残酷になれる、自己中心的に振る舞える、すぐ距離を置けるくらいでないと、怖くて家族になんかなれないのかな。

大事すぎて、壊したく無さすぎるような愛しい相手とは、

未来にこんな残酷な現実になるかもしれない、いや確実になるであろう家族にはならない方がいいのかな。

どこかの誰かが、有名な海外作品に"結婚生活とはお互いにいじわるな他人になる事"、という記述があると本に書いていた。

いじわるになり合える程度の適当な相手でないと、パートナーとしてはダメなのかな。

だとしたら人って、永遠に大好きな人とは結ばれないじゃんと、大崎善生の「パイロットフィッシュ」シリーズや「九月の四分の一」などを想起して軽く絶望して暖房ギャンギャンの部屋に帰った。












「CVポートの点滴を外すってことは、死ぬって事やねん..で?」と父に言うと、「こんなん言ったらまた(わたしの名)怒るかもしれへんけど、それもやってみなわからん、な?」と微笑み返す父。

(わたしの名)が言う通り、死ぬかもしれへんし、(わたしの名)が50、60になるまで案外生きてるかもわからんやんか、と。

内心、(それはそれで怖い怖い)と突っ込みながら。

わたしを安心させようとしてるのか、それとも本気でそう思っているのか。







ぼくに「パイロットフィッシュ」からの大崎善生作品に出会わせてくれたカフェと、取り寄せた大崎善生作品の数々がぼくの強力なシェルターとなった。

ぼくに、父の死に引きずり込まれている時間は無い、集中できる場所に行かなきゃと、行動するきっかけを与えてくれたこのシェルター達に感謝している。


父の涙を見ると初めて、もうちょっと側に居てあげたいと思ったけど、そうやってちょっと後悔を残しながら名残惜しんで帰るくらいの方が、ちょうどよくて綺麗なんだと、そう学んでる。


マンスリーマンションは_月いっぱいの当初の希望を変更して_月末までにしたけど、父のCVポートで延々生きてたらまた再契約かと頭をもたげていた。けど、案外CVポート外してこの様子なら、もしかしたらいい判断だったのかもとか、クリスマス、年越しが佳境かもとか、冷静で非情なほど合理的だったり、面倒くさがったりしている自分がいる。



泥のように眠った翌朝目覚めて、医師から外しに行く旨のメールを見る。

目の前で安らかに語らっている父を前にして、「もうこれ外したら死ぬねんで」とは言い難く、澱み澱み言ったのを思い出す。

訪問看護師の、「またつけたくなったら再開できますので」が救いだった。

看護師曰くCVポートをつけて父は元気になったようだとの事で、当初はわたしもそう思った。

だがしばらく家を空けるようになり(と言ってもちょこちょこは様子を見に行くのだが)、父の肺炎の前兆のような咳は再来し、痰の多さはわたしが居なくなって更に増え、出せなかった痰が中で溜まり、それが体力を奪っているように見えた。

リハビリを続けるために付けたCVポートを以てしても、肝心の痰が抑えられず、嚥下機能も回復せず呑ませてもらったカレールーやらみかんゼリーやらとろみつきの水のおそらく大部分は肺に誤嚥されてゆく。

食べたいものも食べられず、ベッドから動きたくても動けず、栄養点滴だけに命をつながれ、入れ替わり立ち替わり他人におむつを覗かれる。

娘とはケンカし、娘は呆れ疲れ果てて家を出る。生きている限り、楽に生きるには常時痰の世話としもの世話をしてもらわなければならない。

誤嚥したもので肺炎のような咳は日増しにひどくなる。微熱も出る。

そんな状態で命を永らえる日々が、どんなに辛く退屈で悔しいか、わたしにも分かる。



父の言う「思うように生きたい」とは、現世で、あの世で、のどちらを意味しているのだろう。

将棋の好きな父である。
案外父も、言外に自分の意思を散りばめていたりするのだろうか。



いずれにせよ、確実に死を待つという状態が父とわたしを取り囲み、たたみかけるようなクリスマスや年越しのイベントがなんだか宇宙人か何か、知らない生物の催し物みたいに他人事に思えた。

わたしと父に、クリスマスも年越しもなかった。否、父にはあるかもしれない。時々、もうすぐ大晦日?と聞いてきたりしたから。

だけど、わたしにしてみたらしんどすぎてダル過ぎて、日常にカフェというシェルターがあるだけで十分で、逆にそれ以外いらなかった。

こんなに無意味なハロウィンとクリスマスと年越しは初めてだし、恐らく来年の夏頃までのイベントは、わたしには暫く灰色なんだろうな。


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