岐阜県あるあるネタを投稿しよまい!
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ごめんなさい。『閉店セール』始めたんだけど、また商売っ気が出てきて延々と続けていますが何か 状態です
突然ですが、私、織田信長公 が好きです。
今からふた昔以上も前のはなし、中学生 の夏休みの自由研究で織田信長公をテーマにして、ちょっとした賞を戴いた事もあります。
那古屋城跡、清須城跡、桶狭間古戦場跡、墨俣城跡、岐阜城、姉川古戦場跡、安土城跡…。所縁の地を巡ってまとめました。
私が織田信長公が好きなのは私が岐阜県人だから…というのも少なからずあると思います。
…そう、岐阜県人は織田信長公が好きです。
『信長は侵略者だ 嫌いだ 』…って方も、なかにはいるかもしれません…が一応続けますよ。
織田信長公は1534年(天文3年)、尾張の勝幡城で生まれ、後に那古野城で育ちました。
その後、1567年(永禄10年)には斉藤家の居城、稲葉山城を攻略し、城主となりました。
織田信長は「井の口」と呼ばれていた地名を中国の故事にならい「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。(信長公以前からギフと呼ばれていた…なんて説もありますが…)
1579年(天正7年)に信長公は近江の安土に居城を移します。
それまでの間、「天下布武」の朱印を用いて天下統一の志をかかげ、城下町の復興に力を注ぎました。
「楽市楽座」の保護など、当時としては斬新な政策により岐阜城下は大変な賑わいでした。
信長公が岐阜にいたのは12年間です。
その証拠がこちら
県都・岐阜市の玄関口、JR岐阜駅の前に立つ黄金の織田信長公の像を立てちゃいました。
この黄金の信長公像、岐阜市制120周年を記念し、2009に市民の寄附によりJR岐阜駅北口前広場に建立されました。
台座までの高さは約8m、像の高さは約3m。マントを羽織り、右手には火縄銃、左手には西洋兜を持っています。
全部で8種類の絵柄があり、信長公以外にも濃姫バージョンもあります。
毎年10月には武者行列、火縄銃演武で盛り上がる信長まつりが開催されます。
数年前、信長役としてを岐阜県出身の伊藤英明さんが演じた時はとても盛り上がりました。
岐阜市内のお土産屋には信長公のイラストが描かれた商品がたくさん。
飛騨の民芸品としてお土産の定番であるさるぼぼ。
そのさるぼぼと織田信長公のコラボ。マントには織田木瓜が描かれています。
ここまでくると飛騨と信長公のコラボ。飛騨=岐阜県なのでありといえばありです。…が悪意に満ちた言い方をすれば形振り構わない、節操が無い…と揶揄されそうですね…。
しかし、やっぱり岐阜県人は信長公が好きなんですよ。