心の感覚とのつながりが再開されると起こること | 夢が実現するしくみがわかれば、私たちはもっと自由になる  君塚由佳

夢が実現するしくみがわかれば、私たちはもっと自由になる  君塚由佳

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豊かに幸せに 最高の人生を創りましょ

鈍っていた体の感覚が回復するにつれて


心の感覚もゆっくり回復し

「窓から飛び降りたい」と 大泣きしたり

尊敬する著者さんの本に感動して また大泣き

そんな感じで
心の振れ幅も ポジティブにも ネガティブにも  ぐいんぐいんと大きく豊かになっていったわけですが。

そうなると次は魂の感覚がですね!とまで なんかスピ的なもの発言までブッこかせていただいた君塚由佳です。

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↑コスプレするなら衣装作ってあげる❤︎とありがたくも 冗談抜きで迷惑なお申し出をいただいてる
映画ドクター・ストレンジに登場する お師匠さま。




その歩みは

一進一退というより
いきなり三歩進んで 大喜びしていたら まさかの二歩下がる感じでして。

体調やバイオリズム的なものも関係しているのかもしれないけども


昨日 ちょっと舌の感覚が戻ってきたかな?
うわー おいしい!おいしい!!
全部食べれちゃうかも!とか言ってたのに


翌日は まさかの苦味しか感じれないという罰ゲーム
(味噌汁って意外と苦いって 初めて知ったわよ!ビックリよ!!)


明日の味覚はどうなるか…乞うご期待( ;´Д`)





そんな感じで 体も心も魂も

あら?
昨日キャッチできたものが
今日は…

あり?
感じてますよね?そのまんま神経に伝えていただいてよろしくてよー?!
へっぴり腰ではありますが、味わう準備はできてますし!

あれ?
もしもーーーし!


という感じです。




まー、特にね
心の感覚には 手を焼いたわー
(なにせ激しいので)


感情ってさ、ちゃんと自分の感情を味わってると、
人の感情もしっかり味わえる。


でも、私の今日の味覚みたいに
自分の感情しか味がしない日もある。





「早く帰ってきて」という旦那の言葉に

そんなこと言われても期待に応えられない自分が悲しくて

でも、だからって 「やったー!嫁がいない間はパラダーーーイス!鬼のいぬ間になんとやらだぜーーー!」 とか言われるより  ぜんぜんいいし、嬉しいのよ。



悲しい。
だけど嬉しい。


で、
ぐちゃぐちゃになったあげく



「は?そんなこと言われても帰れませんけど?それは知ってるよね?私にどうしろっつーのよ⁈」と悪態ついたり

どうしていいのか  わからなくなって 「そんなこと言われてたってー」と泣く。




書いてて やっぱり激しいな、私。
(我ながら冷や汗ものですぜー)




まあ、どっちも 私の正直な気持ちなんですよ。
で、どっちもやりました。
悪態ついて、泣きました。


めんどくせえ嫁だよなー
うちの夫婦、ほんっと旦那さまの忍耐力と物忘れの激しさだけでもってるわ。

旦那さん  マジ神ってるにもほどがある。




40にして迷わずって誰が言ったんでしょうね?
迷いまくりですけども。



で、それは 旦那さまの感情まで味わえていない時にやってしまう。


旦那さまを 全く尊重できてなくて
感情をぶつけてボコボコにしちゃってるんだな。


しかも、そんなことを自分にさせるなんて  結果的に 自分も尊重してないってことよ。

自分らしさと ひとりよがりは違うでショ?


偉大な私としたことが。
まあ、なんということでしょう。






尊重って 思いやりってこと。


嫌われないように 顔色うかがう 話じゃないよ。

気を使いましょう、空気読みましょう、がまんしましょう、夫婦とはそういうものです  
そういう話でもない。





大切な自分を大切に扱うように
大切な人を大切に扱いませんか?

ケンカしてもいいけど、2人でよりよくなるための  仲良くケンカにできませんかね?




できない時もあるかもしれないけれど
そうある努力は続けましょう

っていう話です。






でね、うちの旦那さん
なにせ 超人的な忍耐力と 全米が泣くレベルの物忘れの激しさですんで


暴言吐いたり 泣いて困らせた私に
「早く帰ってきて」って また
面会に来れなかった日は LINEでよこすんです。



なんという打たれ強さ。
マジ神。



でも やっぱり私の心は「は?(怒)」と「そんなこと言われても(泣)」なんです。


そんなときに いただいたお守りを握るのね。
「私も神様で、あの人も神様。しかも貧乏神でも厄病神でもない。思い出せ。」



そしたらね、
「いっしょにいたい。さびしい」って  旦那さんの 心の感覚の味が かすかにする
(ような気がする)


結婚してもうじき25年。育った家より 赤の他人のこの人と同じ家に帰る年月の方が長くなってしまった。

それでも 飽きることなく(たまに飽きてるらしいけど)いっしょにいたいと言ってもらえるなんて。


私を怒らせたいわけでもなく
意地悪しているわけでもないのは 見ればわかるし
実はまあ そんな深い意味はなくて  あいさつ代わりに言ってるだけかもしれない。




旦那さんの「早く帰ってきて」に
「帰れる日を楽しみに待っててね」と返事ができたときは

大きな怒りと混乱を抱えつつ、それを
大切な人を大切にする強い力に変えられる自分が嬉しい。


明日はできるかどうかわからんけどね。
できても できなくても 粛々と取り組みたい。
そうやって気高く生きたい。




「アンガーマネジメント(怒りの感情の仲良くなるためのトレーニング)では 怒りの感情が湧いてきたら  反射的に怒りをぶちまけるのではなく 4秒待て」

という教えがあるのですけど



心を沈めて耐えるためのメソッドではなくて
4秒間だけでもも怒りを味わった後に それからどうするか考えようということ。



自分の偉大さを思い出した上で
感情のエネルギーをどう使うか もう一度自分に問い直すことだと 私は理解しているのですよん。





今日は静かな雨の日ですね。

やっぱり、窓の外の景色を眺めていると  鍵のところに目が行く時がある。
ジッと見たまま 目がそらせなくなったりもする。


私に対しても 私を大切に思ってくれている人に対して 申し訳ないことだけど、
それでも、どうしても。


寿命は自分で決められないとわかってても
だからって 絶対に死にたくない。
がめつい根性だと思うけれども。


7年前の大病の時も  お姑さまたちを見送った時も、そしてそのほかの時も。この気持ちは何度か登場したんだよね。


でも「終わらせてしまいたい」も「死にたくない」も
どっちも まだ 味わいつくせてなくて
(だって どうしたって美味しくはないじゃんね)

だから、消化できてないし、今はまだ血肉になってない。



しっかり私の一部になったら、間違いなく「自殺を選んでしまいそうな人」そして、ほんとうに「自殺してしまった人」の味方になれると思う。

死にたくて 自殺する人なんているんだろうか。苦しくて 苦しくて追い詰められてただその苦しみを止めたいだけ。

これは、この心の感覚を一度でも味わった栄光ある経験をした人にしかわからないことだから。

気合いを入れて「命は大事!自殺はしない!絶対!」という決意は 役に立たないのは 今までで経験済み。
だって「大切な私の苦しみを止めたい」のも心からの願いなんだもの。



とりあえず私は そんな時は
(また怖い夢を見てしまうかもしれないけれど)とにかくゆっくり寝て、
(美味しく感じれないかもしれないけれど) 好きなものを少しでも食べて、排泄して。
大好きな人にハグをしてもらって。
そうやって体を休めることで 力づくでも呼吸をゆるめてきた。


ヒリヒリして
心が感じているものを蓋して やり過ごしている部分もあるかもしれないけれど
それでも 感じてしまう自分を責めないように。







「置かれた場所で咲きなさい」を書いた 渡辺和子さんも 50歳にして 鬱病を発症しています。
信仰を得て30年、修道生活を送り始めてから20年目の出来事。
入院と投薬を含めた苦しい治療中、敬虔なクリスチャンである彼女ですら何度も自殺を考えたそうです。


渡辺和子さんとは感じるものは違うかもしれないけれど  私には彼女と同じようなものが見えてる。

大きな真っ黒い穴と
そして、真っ白な希望が。

しんどいのが これからも続く深い絶望と
誰かの味方になれる素晴らしい希望。



たくさん絶望しよう
たくさん歓喜しよう

たくさん  たくさん
どれも全部味わって、吸収して、私の一部になって 私を支えてもらおう。


だって、私はそれにふさわしい
偉大な存在なのだから。






明日、旦那さんが仕事が終わったら会いに来てくれるそうだ。

部屋に飾るお花を持って来てくれるそうだ。






だから、無菌室には 生花持ち込めないって 
先月も看護師さんに叱られたよね⁈(怒)

※無菌室って けっこう持ち込めないもの多いんです…




ほんっと人の話を聞いちゃいねェな!
旦那さんに絶望しながら

今日も お守り握って眠ろう…