自分というギフトを生きる  君塚由佳

自分というギフトを生きる  君塚由佳

お金のこと 仕事のこと 暮らしのこと
豊かに幸せに 最高の人生を創りましょ

挑戦することって大事だ。




だけど、挑戦すること自体が目的になってしまっているのなら
ただ刺激を求めているだけだ。



深い癒しは感動そのものだ。
全身が震え、心が喜びでいっぱいになる。

だけど、癒しの感動を味わうために
「私も本当は傷ついていたのに なかったことにしていたと気付きました!」とか言い出して傷んでもない傷をほじくり返したり
わざわざ過酷な状況に身を置いて 深く自分を傷つけたりもする



オリンピックに出るようなスキージャンプの選手が
テレビで「50センチの段差が怖くて飛び降りれない」と話してた。

これって真理だと思う。

50センチの段差が怖い人だから バカ高いジャンプをバランスを保ったまま安全に飛べるんだ。
怖いもの知らずは ただの刺激中毒で 
そんなのは破滅に向かう ゆるやかな自殺だもの。



 
「そうだったのか」
「私は間違っていなかったんだ」
「無駄なことなんて一つもなかったんだ」と気付くことがある

大きな安心感、そして見落としていたことの発見。
それは 大きな感動を引き起こす。

そんな「気付き」ばかりを求め、新しそうで奇抜な情報を探す人がとても増えてるなって。
「”パッカーンしました”って言いたいだけやんけ族」ってヤツですね。







自分の感情が大切。
自分の感覚に集中すること。


っていうのは 確かにそうなんだけども。
気付きって 外からの刺激で得られる物で、それだけでは ぜんぜん学べないものなんだよね。





たとえば、

「こんな道端に花が咲いているだなんて、はじめて気付いた」

とは言うけれど、

「こんな道端に花が咲いているだなんて、はじめて学んだ」

とは言わないでショ?


「気付き」は受け身で 他人や外から与えられるもの。
それに比べて「学ぶ」とは、経験したり勉強して身に付けること。主体性がカギになってくる。





気付きで、自分の中に一つ 一つの点が作られ 
学ぶことで 点が線となってつながって 線が集まって面となり、面が立体になっていく。







講演のご依頼をいただくこともあって ついこの間も打ち合わせをしたんだけど
「君塚さんの講演を聞いて、働くことは何かを学んでもらいたい」と言われたので

「私の講演を聴いても、気付き(きっかけ)しか得られません。参加者の皆さんが学ぶかどうかは、その後の行動にかかっています。参加者さんたちの行動を促進するサポートをお願いします」とお答えしたところです。






「何を食べるかよりも 誰と食べるか」が大事で
そもそも おうちごはんが何よりうまいと思っている人なので

おいしいお店とか おいしいスイーツに興味が薄いんだけど



でも とりあえず
長時間並ばないと買えないお菓子とか 予約が取れないレストラン、ネットでしか買えない限定品や はやりのものは ひととおり知っておきたい。


贈ってくれた人の想いをちゃんと受け取りたいと思うから。



「贈るほうは わざわざ かけた労力を言わないし そういうのを察する力も教養だよ」
あまりにも何も知らない私を 先輩が叱ってくれたことがあったから。

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この世は 想いとか 祈りであふれてる 
そういう豊かさに 敏感でいたいなあ 

● 自分を完璧にする方法



私の祖母が、すごく世話好きだったので、「人が好きなの?」と聞いたことがあります

帰ってきた言葉は

「おばあちゃんの好きな映画に『あなたが私を完璧にする』っていうセリフがあるのよ。人に親切にしていると、そのセリフを思い出すの。それだけなのよ。」でした。
$人の目が気になる人のための 幸せな自分をはじめる おつきあい術  
「人に親切にすることは 自分を完璧にしてもらうこと」という考え方にしびれるくらい感動しました。

そのセリフが出てくる おばあちゃんの好きな映画って なんだったのか そんなことがどうでもよくなるくらいに。

今日、あなたは 自分を完璧にしてくれる何人の人に出会えるでしょうね?



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以前 朝9時から夕方4時まで ZOOMで自由に出入りできる「オフィス君塚一般開放日」を立ち上げました。



常時10人前後の方が遊びに来てくれて 質問したり 相談したり。
長時間だったのもあって 私も途中で中座したりしましたが

用意してた昼食も結局口にすることもなく。


ま、話の中で私の過去の話をしたんだけど

チームのメンバーに総スカンくらって 仕事が空中分解したこと
「君塚さんがいるんでやめます」と名指して退職していった後輩のこと

私の人格に問題があるんじゃないか 性格的にアウトなんじゃないかって 消えてしまい気持ちで悩み続けていたこと
今でも思い出すだけで 心臓がバクバクすることがある。



「また誰もいなくなっちゃうんじゃないかって不安は抱えてるんだよ」って話しながら 胃がキリキリした。
話し終わったら少し 気持ち悪くなって吐いたりも( ゚Д゚)


そのころの私と 今の私何も変わってなくて 言ってることもやってることもほとんど変わらない。
似たような仕事を続けているし 付き合っている友人も同じ顔ぶれで。 

だけど状況は何もかもが違う。それは どうしてか そんな希望の話だったんだけど。



こうやって 痛みが誰かの希望になることがある

しかも仕事になることもある



人のリソース・・資源って底知れないものがあるし
なんでも売り物になる(実際これで企業研修 何回やったかなあ)


難しく 複雑にしてないで

何でも売ってみればいいんだと思うのよねん



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言いたいけど言えなかったこと
がまんしてきたことを口にできるのはいいことだと思う



でもさ、それがただの文句とか
「どうして●●してくれないの」
「●●くらい してくれたっていいじゃない」っていう 

ただただ相手を追い詰めるだけの罵倒なら




そんなどうでもいいこと 
一生お口にチャックしていればいいのにって思うよな




そんなことより 
もっと本当に言いたいことを言えばいいのに。