私がセミナーや コンサルで一番言っていることは
「反省禁止!
自分を責めていいことなんてひとつもない!!」ということ。
おもわしくない結果があったとしたら 原因を探すよりも 責めて罰するよりも
それよりも しっかり今起こっていることを分析して どうにかする工夫をすること。
そりゃあ 裁いたり 罰したら 気持ちはスッキリするかもしれないけれど
そんなの一時的だし 思わしくない結果は何も変わらない。
それに 間違えたくて 間違える人なんていないのですもの。
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心屋式カウンセラーさをりんこと 田中 佐緒利さんがFacebookでこんなことを書いていました
自己否定が強くて
罪悪感にまみれていた頃は
これが、自己否定で
これが、罪悪感なんだって
気づいていませんでした。
だって、それが当時の標準の私だったから。
自己否定して当たり前⬅︎そもそも自己否定していることに気づいていない。
罪悪感で当たり前⬅︎そもそも罪悪感を感じていることすら気づいていない。
我慢して当たり前⬅︎そもそも本当に欲しいものがわかっていないし、自分の欲しいを言ってるつもりだから我慢してる意識がない。我慢が足らんくらいに思ってた。
で!
今、なんかしんどい人は、
ぢんさんのブログとか私のブログとかカウンセラーや心理系のブログとかに出会って
「自己否定」「罪悪感」「我慢」って言葉を見て
「私、そんなのないわ…」って感じる人もいるんやと思うんです。
「こんなの自己否定に入らないわ」
「こんなの罪悪感って言わないわ」
「こんなの我慢の内に入らないわ」ってなってる人もいるんやと思うんです。
てか、私がそうだったから、
たぶん同じような人もいると思うねん。
でも、なんかしんどい。
なーんか、しんどい。
笑ってても楽しくない。
好きなことしてるはずなのに楽しくない。
もしかしたら
何か我慢してるのかなぁ?
はたと気づいたら
いっぱいあふれてきて
こんなに苦しいなら
気づかなきゃよかった…って思うけど、
気づいてくれてありがとう(´༎ຶོρ༎ຶོ`)って泣いてるんだよ。
・・・・・
自己否定は 自分を裁いて責めているっていうこと。
私も 自己否定が本当に強くて
それが耐えられなくなると人を責めていいた時期が長くありました。
関 晴美さんの かっさで全身のデトックスを受けたとき
とどこおっているところをグリグリ流してもらうんだけど
顔とか 足とかはわかるのよ。
毎日触っているし 見てるから
足だって 疲れ痛くなる前に「なんだかだるい」「重い」って気が付く
顔もひきつる前に「むくみそう」「くすんでるなあ」って気が付く。
かっさをやってもらう前から わかるっていうか「ここは反応出ると思うのよね」って。
でも、見えない 自分じゃ触れない 背中とかはもー ぜんぜんダメ。
「これ痛くないですか?もっとやさしくしましょうか?痛いはずですよ」
って言われても
「??? そんなことないよ?平気だよ?」
観てない 触れないところは 感覚がサビついてマヒするのです思い起こせば 心も同じですね。
20代から40歳手前まで 原因究明の 犯人探しをしていて 罰を与えたかった。
「私は虐待された。辛かった。あやまってほしい」と 母に詰め寄ったり
「あなたは人として最低だ。あなたのようにだけは絶対にならない」と父にかみついたりした。
(母は本当にまともな人で 私がいくら責めてもあやまりませんでした。
父ににいたっては 何年も姿を消して音信不通になって私が責めたくてもこれ以上責められないようにしてくれました。
おかげで共依存地獄に落ちずにすみました本当にまともな人たちで助かりましたわ)
父も母も 結果的に「安心して過ごせる家庭」は作れなかったけれど
絶え間ない努力を惜しまず 最善を尽くし 何一つ悪いことはしていなかった。
もちろん それは私も同じで
今になってみれば愚かなことだと思うけれど それでもその時にできる限りの精一杯ギリギリを休んだことはなかった。
誰も悪くなかったの。
誰も 何も悪くないのに それでもこんなにもつらいなんて 納得できなかった
でも
私がしなくてはいけなかったのは 納得するかしないかじゃなくて
ただ悲しむこと 苦しむこと 喜ぶこと 傷つくこと
心をしっかり観て 味わって 感じることだったのでした
そんなことしたら死んでしまうときっと思っていたんだろう
人や自分や誰かのせいにして逃げたかったんだろう
人や自分や誰かのせいにして とにかく感じることだけは勘弁してもらいたかったんだろう
「抑え込んだ感情を解放する」「本当の気持ちを伝える」という大義名分で誰かを罵倒して
瞑想したり 断食したり セミナー受けたり 気付いたり 学んだりして
逃げ足だけを鍛え続けないと 自分がすぐに追いついてくる。
それでも 誰のせいにもしないで ただ ただ味わうなんて そんなの 絶対にイヤで。
そうやって心を観ないで 触れないで
そんなことばかりをやっていたら 自分自身がマヒしてしまったんだよね
生きながら死ぬ ゾンビみたいに
ガッチリ苦しむことが こんなに満ち足りるなんて
泣き叫ぶことが こんなに力を与えてくれるなんて
傷つくことで こんなに強さが輝くなんて
罰せず 裁かないことでしかたどりつけない 深い幸福があるなんてねそんなもんだよ
そういうもんだよ
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