君塚由佳さん 窓から飛び降りたいってよ | 夢が実現するしくみがわかれば、私たちはもっと自由になる  君塚由佳

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「なんか おでこのシミが ビンディ(インドの方が額につける印みたいなの)ぽくて
神々しくなーい?」

「別に」

と一撃で息子にかまってもらえなかった君塚由佳です。


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6月に緊急入院したとき

はっきり起きている時間は1日の中でも数時間だけでした。

眠っていたり、起きて目を開けていても ぼんやりしていて。

頭はからっぽ。
心は動かないまま すごく静かで。
まるで深い深い瞑想をしているよう。



話かけられたら 普通に受け答えはするし
ブログもほとんど毎日書いておりました。

旦那さまや 母にイラついたり なじみの看護師さんと仲良くなったり、感じるものはあるものの、とっても心地よく 穏やかで。

看護師さんの看護は手厚いし
先生も信じられないくらい親切。
何も不満もないし、苦しくもない。
この病院に入院できて よかった。
もう「ありがとう」しかない。


ちょっとよくわからなかったのは
旦那さまに頭をなでられると涙が止まらなくなること。
母や息子ではそんなことないのに、旦那さまだと もうダメ。


それもね、悔しいとか 嬉しいとかの涙って、鼻水ズルズル まぶたは腫れるし 目も真っ赤になる そりゃあ そりゃあ ぶちゃいくになる塩気の強い涙ではなく


理由もわからないまま こぼれ落ちる
サラサラと流れる涙。



「なんだこれ、なんだこれ」といいながら頭をなでられておりました。





ブログを見返してみても なんか妙に悟ってるというか 達観したような 意味のわからないことを書いていたり。


心とか 肉の器である体を通り越して  むき出しの霊性のところから出ているような。


なんというか、人でないような。




「あまり悟って先に行かないでね。置いて行かないでね」

「なんか、手の届かないところまで行っちゃったなあ」とか 知人からメールをもらったりもして

「死にかかってるからかもよー?」と 笑ったり。



いったん 退院しても、またすぐ再入院になるのだし 外出もしなかったので 静かでおだやかなお盆を過ごしたのでした。




そんなこんなで 次の治療のために  再入院いたしまして。


1人きりでポツンと暮らしている無菌室ですが。

朝・昼・晩の検温
必要なら採血など
点滴の交換
シーツと病衣の交換
清掃業者のそうじ

3度の食事とおやつの配膳
主治医の診察が 毎日朝と夕に2回
お風呂に入れないので毎日の清拭
(温かいタオルで全身を拭いてもらう)
週に1度の薬剤師の調剤と説明
週に一度、点滴の管を全部新しいものに交換

その他に私の場合  経過観察で 耳鼻科、婦人科、歯科の先生が ちょこちょこ部屋まで出向いてくれます


そんな感じで 実はけっこう人の出入りはあるし
これに 家族の面会も加わると ぼんやりしている時間はなくて  なんだかんだ忙しいです。



そんな中、歯を磨くときは 小さな木の椅子に腰かけて、窓から外を見ながら ゆっくり磨いておりました。

すぐ下の保育園は楽しかったし、風に揺れる木々の枝。
稲刈りが始まった田んぼとか、羽田空港に向かう飛行機を数えたり、
遠くに見える工場地帯は 夜になると とてもきれい。


テレビは見る気にならないし、持って来た本もなんとなく手にとることなく
それよりも  けっこうな時間、窓のそばに腰かけて ずっと外を見ていました。




それがね、さらに なんかやたらと 看護師さんが絡んで来る回数が増えたことがあって。

「君塚さん  洗髪しません?」
「この坊主頭で 洗髪?」
「寝たままでできるし、ね。やりましょう」
「いや、確かに前の入院の時は起きれなくて髪もあったしお願いしたけど。
もう寝たきりじゃないし、洗面台で自分で何回か洗ってるし」
「いいじゃないですかー  久しぶりじゃないですかー。やりましょうよー。じゃあ、今日の午後ね、はい、決まり!」



とか



「君塚さん、足浴って知ってます?お風呂入れないから、せめて足だけでも、ね」
「毎日 体ふいてもらってるし、そんなのあるの初めて聞きましたわ。」
「じゃあ、用意するんで。10分後に」
「え、今からなの?」

とか。



ありがたいんだけどね。



夜の見回りで ふと目がさめることもあるんだけど
なんか、多くない?
何回見回ってるの?

私が今まで気がつかなかっただけ?



足浴なんて 1日おきに定着しちゃって 自然とスケジュールに組み込まれてた。

いや、いろいろしてくれて
本当に ほんとうに  ありがたいのだけども。

忙しいなあ…。



そんな日が何日が続いておりました。




で、いつもの主治医の先生の回診で。
確か、聞こえにくくなってる耳の話をした後だったと思う。

「ところで、君塚さん よく窓のところにいるんだってねー」
「そうですねぇ、いろいろ見えるし」
「ずっと 窓の鍵のところを見てるでしょう」
「そんなことないですよ?」
「鍵はあるけど、鍵自体にロックがかかっているのと、無菌室だから窓は開けられないんだけどね」
「そりゃあそうですよね」
「窓開けたい?」
「いえ、別に。」
「窓が開いたら 何かしたいこと、あったりしますか?」




「……ここから飛び降りたい。」





うわっ、と思った。

自分の口から出た言葉にザワザワした。



あとから あとから
ブワーーーッと涙が出て来る。



「よくあることなんだけども、体は元気になって来るタイミングに心はついて来ないもんね。
治療、大変だもんね」

「話を聞いてほしくなったら、僕でも看護師でも誰を捕まえてもいですよ」

「とりあえず、今日も 足浴と洗髪はしましょうね」



そうか、気付いてくれてて
やたらと絡んでくれていたのか。




その日は
ずっと 布団かぶって泣いてた。


心が血を噴き出していること
いっぱいアザがでいていること
温かいところもあるけど 
冷たく冷えているところもある

それに気づけるくらい 心も回復してきている。
それどころじゃなかった間は  命をつなぐことを優先して ちゃんと心の感覚を遮断していたんだね。
体がある程度力を取り戻すまで、ずっと待っていてくれたんだね。



人間って 神秘だ。ほんとうにすごいな。




辛いのと 悲しいのと
苦しいのと 情けないのと
気がついてもらえて ありがたいのと 
優しくしてもらえてうれしいのと

もう、いろいろ全部。



そのまま 夕方と、翌朝の回診も 泣きっぱなし。
体温計渡されても、血圧測ってもらっても泣く。


なんか恥ずかしくて
「すいません すいません」と言ってると

「泣いている人より 泣いてない人の方が心配なんですよ。
泣けないって 相当だから。もう、君塚さんはだいじょうぶ」

と慰められて また泣く。




いっぱい泣いて、落ち着いたら
紙にだだ だだ書いて吐き出した。
(私は誰かに話を聞いてもらうより、このやり方の方がやりやすい。そのことに関しては また別の機会に)




なんで私がこんな目にあうんだろう

仕事ちゃんと復帰できるのかな

事務員さんにお給料払えるのかな

1年も会えなくて 友達にあいそつかされないかな

また再発したらどうしよう

注射ヤダ。大嫌い。

こんな大変なのもうやだ。こんなことなら助かるんじゃなかった。

死にたくない







「うわー  ベタだ。ベタな愚痴だあ」と冷めたことを考えながらも とにかくペンを走らせる。



頭はからっぽにして 
書く
書く
書く
そうやって手に考えさせる。


そして急にいろいろ怖くなって
震えながら  毛布をかぶって ひとしきり泣いて


そして また書いて。そうやって 自分の心にあるものを全部言葉にして  


言葉にならないものを抱えて それが苦しくてまた泣いて。



泣き疲れて 眠って 悪夢を見て飛び起きて

眠いけど 寝たら怖い夢の続きを見そうで  それが恐ろしくて また泣いて。



置き去りになっていた 心が 私の芯の部分とつながっていく。



よく 「感情は感じきると 消えていく」と言うけれど

消えてお空の星になるわけじゃないと 個人的に思う。


感じきり、味わいつくして 消化された「気持ち」は、五臓六腑にしみわたって 私の血と肉と骨になるのだと思う。



「こんな気持ちになるなんてイヤだ」と、思わしくない感情を消すために感情に向き合う人もいるけれど 
それはけっきょく 臭いものはさっさと水洗トイレに流して視界から葬りたいたいだけのこと。
自分の体から出た排泄物なのに。




渡辺和子さんの名著「置かれた場所で咲きなさい」の中に こんな一文がある。

「人の命も、ものも、両手でいただきなさい」

ありがたいもの、良いものだけでなく 拒否したい、突き返したいようなものが差し出された時に、受け止めるだけでなく 両手でいただく心でありなさい







心地よさ、喜びだけを糧にするのではなく
痛みも苦しみや、大きな傷も 感じたものは 両手でいただき もれなく血肉とする。



酸いも甘いもかぎわけて  いろんなものを内包した 豊かな感性は、深みのある輝きとして現れることも多いよね。

その人の内にあるものや生きざまが  顔つきや しぐさに出るのはそういうことだと思うのです。



「なにがあったかは知らないけれど、いろんなことを乗り越えて来たんだなぁ」そんな  成熟したマダムになりたい。


逃げ足ばかり鍛えて その場しのぎを重ねて うまいことやってきた人には 深みを感じないし、魅力を感じないから。




もともと、私は生来の気質として 激しい気性の持ち主です。
闘争心も強く、じっとしていられない。

小さい頃は ほんっとに大変だったそうで、
気にくわないことがあると ひっくり返って何時間でも泣きわめく  典型的な「手のつけられない 育てにくい子」だったようで

小学校の時には 泣き暴れた拍子に 自分の腕を叩き折ってしまって 骨折までしています。

祖母は 私をつれて「かんの虫封じ」のご祈祷に お寺や神社を渡り歩いたとか。




それは大人になったからといって 消えるものでもなく

「面会ですよ」と言われて 旦那さまかと思っていっぱい喜んだら 来たのは母で それでブンむくれてベッドにこもったり。

おやつがバナナケーキだった時は 1日ハイテンションだったのに 
おせんべい1枚だった時はフテ寝。

たまたま友人がくれたメールにカチンと来て、わざわざ電話して猛抗議。

旦那さまがマッサージしてくれたところがアザになって びっくりして大泣き。

尊敬している人の本を眺めては 感動して泣き、こんな文章書ける文章力に メラメラと嫉妬がこみあげ 気持ちがおさまらなくて 歩き回ったり。




悟った仏の君塚由佳は消え失せて
「そうよねぇ、母さん、激しい人だったよねぇ」と 息子に失笑されるまでに。


感じていた心と、それを受け止めきれる力を取り戻した肉の器の神経が つながっていく。



泣いて 感動して  笑って
わめいて、感謝して 恐れおののいて
それが血と肉と骨となって 私のエネルギーになっていく。


エネルギーをまき散らすことしかできなかった幼い私だったけれど

育っていく中で、いろんな人が辛抱強く
生き方の気高さや 節度ある態度をしつけてくれた。
それは 他人への思いやりの深さにちゃんと現れることも教えてもらった。



だから、もう一度 私が私をしつけて、膨大なエネルギーの使い方を教えよう。



「何がしたい?」
「今日 1日でどうなりたい?」
それも、毎日 手帳に書いていく。

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旦那さまいわく
「目に力が出てきた」そうな。


「無菌室、部屋番号見なくても どこだかわかるよ。
『あ、いる』って  ドアの向こうから わかるんだよね」とも。


励ましてくれているのかもしれないけれど、
もしかしたら、私が統合し始めたのだったらうれしいな。



実はこれ
ここ10日間の最近の話。