救済が始まるとき | 夢が実現するしくみがわかれば、私たちはもっと自由になる  君塚由佳

夢が実現するしくみがわかれば、私たちはもっと自由になる  君塚由佳

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「夜はぼうず頭が冷えるから、厚手のタオルが欲しいな」と母にお願いしたら

ピンクのヒョウ柄が来たYO!


いやっふーーー
君塚由佳です。
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私の説明不足?のせいか  うちの次男と同じように
「え、もうホントに大丈夫なの?」とご心配いただいていた方も多かったみたいで…

ごめんねー
そして  ありがとうねー



大丈夫なんですよ。病気としては。

無菌室にいて 輸血とかしてるから 説得力がありませんが。


急性白血病ってね、急に悪くなるけど 治るのも急というか…
最初の入院の 寛解導入療法が成功しまして 白血病細胞は2パーセントまで落ちました。
(5パーセント以下で寛解)

もう血を吹き出したり 出血が止まらなくなるようなことはないです。

入院時は 血液の9割以上がおかしなものになっていて ま、血液だから全身巡ってるしね。
全身アザができて 私の場合は大腸からも出血したのでした。

もうそうなったらね、一回リセットかけるしかないんだわ。
一週間かけて 血液にリセットかけて、白血病細胞を叩きのめしまして。

↓一回目の入院のときの 君塚さんの腕。
激闘のあとー
体中にこういうアザができてたんだわさ
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↓今回の入院中です
ま、採血の跡はどうしてもできるけど
もう あんなひどいことにはならないわね
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おかげさまで  寛解しましたー(((o(*゜▽゜*)o)))
イエーーーーイ!







まあ、助かったけども  いい細胞も悪い細胞も根絶やしになるわけね。
白血球は平均値の1/10くらいまで、血小板もほとんどなくなるから 
無防備になる間、無菌室に長期入院することになる。
髪だけじゃなくて 全身の体毛が抜け落ちる。しばらく吐き気とはお友達。
そんな強い抗ガン剤使ったわけで。

焼け野原になった血液の中で、ゆっくり ゆっくり正常な細胞が作られていく。
血液の中でも 数値が戻りにくい血小板は 輸血の力も借りて。


今、寛解後の 維持・強化の治療に入ってます。
まあ どうするかっていうと

もう一度 強い抗ガン剤で血液にリセットかけて 焼け野原にする。
しかも3~4回も。



再発の可能性が高いとはいえ、再発しないかもしれないのに
こんなに強い薬を何度も使うことや、毎回 長期の入院になると 生活が壊れてしまう。

そこで 寛解が成功した時点で
自然療法や代替え医療に踏み切る人もいると聞いています。



まー、気持ちはわかるわー。



私は、主治医の先生をパートナーとして選んだので
このまま現代医療の力をお借りすることにしましたが。

だから来年の初夏くらいまでは入退院を繰り返すし、外出もほとんどできないかな。



で、ここまでやるのに 人生変わったか?  変わんないっス。と
なかなかの絶望的な(笑)お話が前回。




うん、今回も  この治療が終わっても
私の人生は変わらないかもしれない。


実は 7年前の大病の時は 人生が大きく変わったんだけど。
それは 人生を変えるつもりなんてなかったからなのかもしれない。

変えたい、変えようとしている時は 変わらないもの。
矛盾しているかもしれないけれど、そういうものかもね。



で、ガンになると言われる あるあるなんだけど
(ガンになったことある人とは すごくよく盛り上がるネタ)

「ガンコな人がガンになるんだよ」
「あなたが自分を責めているからそうなるんだよ」




まあ、自分を大切にしてないとか
謙虚さが足りないから的な。



こういうのって、上司とか 親から
お小言としていただくことはあるけれども
もー、会う人 会う人 すべからく浴びせられるっていうのはスゴかった。

自分でも 言われてみれば思い当たることもあるし
「そうですよね」「これを機に 改めます」「この経験から学びます」とか もちろん反省はするのだけど



7年前は  私もまだ30代。いろんな人に心配かけたくなかったし、おおごとにするのもなんなので
親にも話さず 仕事で直接影響が出そうな人だけに知らせた  大病でしたが。

病気がわかる少し前、徹夜もして  精いっぱいがんばったモデル事務所の仕事で
まだ契約期間が半分くらいあるのに 「もう来なくていい」とスタッフを外された。


そこにきて、これ。





こらえ性のない
君塚さん  臨界点超えました。

なにせ  人として アレなので(笑)






「確かに  私はできてませんけども。それは問題なんでしょうか?」


まあ、大問題よね。

それで病気になったり 仕事クビになったり
イロイロとどこおっていたり、私自身もつらい思いをしているのなら(笑)


ま、そうなんだけど

「そんなささいなこと」と  ブッ飛んでしまったといいますか。




チャンスをつかんで  うまくいっていた仕事も  
どんなに努力しても なかなか叶わない夢も
私をぜんぜんわかってくれない旦那のことも
かわいいっちゃ かわいいけど、「やっぱり子どもが苦手」を思い知ることも多い育児も
うらやましいを通り越して ねたましくなってきたあの人も
少ない友達なのに なんか最近いっしょにいると疲れてしまう友人も
交流は持ててないけど 断絶しているわけでもない 中途ハンパな実家のことも


全部「そんな ささいなこと」
に なってしまって。





投げやりになってるのかな?
落ち着け、私よ おーちーつーけー!!と 何度も説得したけれども。


私が止まらなかったと言いますか。




企業相手のフリーランスの仕事を清算し、個人向けへ。
フルマラソンにも参画していたランニングチームを辞退。
日課だったランニングもストップ。
ブログを本格的に始め、メルマガも刊行。
コーチングのトレーナー職を辞退、コーチングの資格も更新停止。
あれだけ通ったセミナーを全てキャンセル、セミナースタッフとして参画していたものも辞退
自己啓発やビジネス書を全て処分。本棚は絵本だけに。
母や兄弟のことを考える時間がウソみたいになくなり
「ベターじゃダメなの。ベストを尽くそう!」なんて口グセがなくなった。


何か強い意志でもって決断したとか
勇気を振り絞ってバンジー飛んだとか
「もう ここじゃない」と内なるナントカの声に従った気もしない


ちょいと 散歩に出かけるような 軽い感じで
(でも 内心はドキドキどころの騒ぎじゃない)
大きなことを終わらせて 大きなことを始めたのでした。

さんざん目をかけてくれた人や
いっぱいめんどう見てくれていた人からは
「何があったの?不満とかあったの?」と いっぱい連絡もらったけれど


何があったのか 今でもわからない。
でも、引き返せないくらい、感覚がぜんぜん変わってしまって。


たとえば「君塚さんは 女性ですよね?」と聞かれたら
「え?なんでそんなこと聞かれるんだろう。男性に見えたりするのかしら」とビックリするように

「君塚さんは 偉大ですよね?」と聞かれたら
やっぱり「え?なんでそんなこと聞かれるんだろう」とビックリする。

そんな感覚になってしまったのでした。


何月何日からそうなってしまったのかも よくわからないけれど。
7年前、この大病気の前後あたりから 私の常識が変わってしまいました。



それから
私の感覚に合わせるように、周りも
当たり前に私を偉大な人として接してくれるようになりました。
それも一夜にして変わったのではなく、私の変化とダンスをするように ゆっくり、ゆっくり、軽やかに変わっていったのだけど。


クビになったモデル事務所からは 再度声がかかって
もちろん メンタルサポートスタッフとしては使い物にならないのはわかっているので(笑)
マネジメント業務を請け負うことに。
全てのプロジェクトを円滑に回す管理職になりました。


ブログも時間はかかったけれど  手をかけたら手をかけたぶんだけ 育ち平均アクセスが毎日4000くらいになり、
メールマガジンもなかなか書けなくて うなりながらも書き続けていたら 読者さまが2500人を超えた。

苦労という苦労もなく 割とあっさりと軌道に乗って、
ご存知の通り、おかげ様でいま楽しく仕事をしています。



もしかしたら、私は
時間をかけて焼け野原になって
そのあと ゆっくり ゆっくり 私が顔を出してきたのかもしれないね。


焼けてしまった私も
顔を出した私も どれも本当の私なんだけども。



そして、今回。

白血病の1度目の入院は 6月の終わりに突然始まったのだけど。あまりにも治療に苦痛がなくて驚いた。
なんというか、化学療法って 壮絶なものじゃなかったのかしら
髪こそ抜けたけど 吐き気もなんにもない。 抗ガン剤って こんなに副作用がないものなのかしら。


寛解したかどうかの結果が出るまで一時退院をして
落ちてしまった体力も回復、みるみる元気になって
セッションも再開できたし、家事もちょこちょこやれた。



で、病院に戻ったら 前回フツーにこなせた 何もかもにいちいち大騒ぎ。
「いたああああい!採血って こんなに痛かったっけ?」と
「麻酔使ってくれてるけどー でも脊椎に針刺さってるって!骨髄検査ってすげー怖いい !!」
「吐くほどじゃないけど…胸と胃がむかつく…寝れない…吐き気止め追加してくださいいい」
「先生…私、錠剤飲むのほんっと苦手で…ほんっと今日はムリ。今日は頑張れないデス…」


どれも大したことじゃない。
でも、痛いし  怖いし しんどいわ!


人間ってすごいね。
本当にヤバい時って、感覚を遮断するんだね。
ウソみたいに痛くないし、辛くないから 快適だとすら感じてたのに。


元気になってくると ちゃんと痛みも疲れも だるさも感じる。
で、快適以上の快楽も感じるようになってきた。
ポジティブもネガティブも感度の振れ幅が大きくなってきている。



そうやって体の感覚がゆっくり戻ってきています
痛みや苦しみのない快適な毎日から

痛くて 胃がもたれて 味覚や聴覚を失っているのがわかる 
そんな「しんどいけれども 快楽もある毎日」に。


なんでもそろってる。
すごい豊かだ。



今なら言える。いくら上げ膳据え膳 お姫様扱いでも
入院生活 やっぱいろいろしんどい!
そこのところは 楽しめないよ。私、痛がりだし!だから痛がらせてもらってる。

んでもって、いろんな人間ドラマが交差する。関わってくれる人がたくさんいるってそういうことだもんな。
ほんっとに  いろいろおもしろい!




実はね、私、今  舌の感覚がなくなってるの。
鼻に抜ける風味とか 食感やのど越しでも味は感じているから
なんとなく ぼやけた味?みたいのはするんだけど。

なにせ  はしが進まない。

おやつのプリンもゼリーも同じ。
味がしないチョコって あのねっとりとした食感が気持ち悪いだけ。

もう吐き気の副作用はおさまって、胃は軽くて スッキリしているんだけど
がんばっても半分も食べられない。


味覚の異常は
使っている抗ガン剤の代表的な副作用で 
最初の入院でも起きていたはずなのに 全く気がつかなかった。


病院のごはんって やっぱり薄味だなあとは思っていたけど
舌からは何も感じていない自分には気がつかなかった。

一時退院の時に自宅で食べていた食事はしっかり味はしていたから
これも、ゆっくりゆっくり戻っていって
次の一時退院の頃には おいしくごはんを食べられるのでしょう



こういう変化に気がつけるようになったんだねぇ
元気になってきてるねぇ、私の体。
体が神経を通じていろんな情報を届けてくれているのをキャッチできてる。
しっかりつながってて、体の声が聞こえている。
うんうん、順調だ。私、えらいねぇ。




で、また次の抗ガン剤で 味覚を失い  取り戻し
胃もたれと胸焼けの日々を過ごして また ひゃースッキリーー!に戻るんだろう。




右耳があんまり聞こえてない。
ほとんど聞こえない日と、割と聞こえている日がある。
突発性難聴だそうで、抗ガン剤の治療を優先するために 経過観察だけで耳鼻科の先生からは見守っていただいております
。 
これも日にちが薬となって また戻るかもね。



一度失って
そして また手の中に戻ってくる この繰り返し。

いろんなことができなくなって
またできるようになっていく

その体の感覚が  わかるようになってきた。


できればやっぱり嬉しいし
できなくなると そりゃ凹むけれど


人体の神秘だー
すごいなー 私の体。
40代も後半に近づいてきて いやいや それでも この年齢になっても 人体の神秘に感嘆する。


うまくできてる。
人ってすごい。
私、すごい。
そればっかり。


私の幸せは
思い通りになることでも
イライラしないことでもないし
落ち込まないことでもないのよね


どんな私でも 私から尊敬されること。
それが 呼吸するように 当たり前になされていること。

つまり、自分が偉大であるという当たり前のことを
当たり前に知っていること。
全てをそこから始めることができること。


この「幸せの定義」は私の個人的なものだから、どの人にも当てはまるかは わからない。

ただ、この幸せに  私 自身が救われたというか。
「救済」「祝福」という言葉がピッタリでした。

私が私の幸せを貪欲に追求すればするほど 
私の存在そのものが救われて癒される。
震えるほど喜んでいるのがわかる。

ありがたすぎて 涙が出てくるほど。





さてさて、今日は長くなったけど 白血病を発病したこの2ヶ月で
ぶった斬れていた体の感覚を取り戻しつつある私の 近況報告ね。



次は 心の感覚。
これは体よりも少し遅れて来た。

マヒした心が繋がりを取り戻した時(これは何度か経験しているんだけど)
どんなことを経験していくのか。


次回「君塚さん、あなた自殺しようとしてますよ(笑)」です。