応援は“愛情 “を含んでいるから嬉しい。 | 生きづらさを手放して、「ちょうどいい毎日」をつくろう

生きづらさを手放して、「ちょうどいい毎日」をつくろう

本当は、ただ静かに話を聞いてほしいだけなのに、
「それは甘えだよ」「ポジティブに考えて」
そんな言葉に、余計に心を閉ざしてしまうことってありませんか。

このブログでは、そんな私が見つけた
“ちょうどよく生きる”ための考え方や日々の工夫をつづっています。

 

子どもの頃、

勉強するときに大切なことは何でしょうか。 
僕は2つのことを思います。 

・目標に向かい、達成感の喜びを味わうこと 
・頑張る姿を応援してくれる人がいることの喜びを味わうこと 

本屋さんで、親子の話してい
ました。 

■子『(参考書を持って来て)高いで。1270円もするで』  
■親『でも、しゃーないやん。頑張ってするんやで』 

子どもが

『結果を出そう』『期待に応えよう』と思っていること“ではなく、
 “そのやり取り自体”に胸打たれました。 

親子の関係で、『応援する・される関係』は、

見ていると、胸打たれます。 
運動会は、まさにそうです。 
順位でなく、最後までやり抜くということの大切さを教えているのだと思います。 
『応援してくれる人』がいると、負けていても、

最後までやり抜こうと思うものです。 


中学の頃、球技大会がありました。 
その年の種目はサッカーで、僕のクラスは、

強いクラスと戦っていました。 
審判(サッカー部)の判定に納得がいかず僕は、
途中で試合を諦めました。 

審判が笛を鳴らして、

僕らが一時中断しているときに、

相手のクラスは得点を取ったのです。 
そのとき、同じクラスの1人の人(キーパー)が

僕の名前を叫びました。 
名前、ひと言です。 
僕の諦めていた姿を見て、

名前を言ったのでしょう。 
『最後までやろうぜ』という意味だったのです。 
これも、1つの応援だと思いました。 

 

相手にやる気を出させること、

すべてが応援です。

相手のやる気をなくさせるのは、簡単です。

でも、やる気を出させるには、

人それぞれにやり方を変えなければならないので、難しいです。

いかに、その人に合った言葉をかけられるかが大事なのです。

 

 

 

◆応援する側も、

 される側も、

 嬉しい。