私が愚痴よりも嫌いなものは、悪口です。
最近、それよりも嫌いなものが出てきました。
それは、『説教』と『周りの人を何人も褒めること』です。
愚痴を聞くときは、
相手のたまっているものを掃除機のように吸い取っていきます。
「ああ、たまっているな」と思いながら聞きます。
僕としては、それを解決したいと思うのですが、
愚痴に対してはただ聞くことの方がいいようです。
相談には、解決策を提案すればいいのでしょう。
1人の人が長く話をする場合、
・楽しい話(テンションが上がって長くなる)
・相談
・愚痴
・説教
になると思います。
説教は、必ず長くなります。
短ければ、それは説教とは思わないはずです。
説教は、相手が言い返さないことが前提です。
相手がどんどん話しを聞いていると、
感情が高ぶるのは当然です。
説教する側は「ああ、スッキリした」で終わり、
説教される側は「ああ、長かった」で終わります。
説教されたという事実だけ残り、
内容は何も覚えていないのです。
説教という言葉でイメージするのは、
「サザエさんで波兵がカツオを正座させて叱るシーン」、
「ドラえもんでのび太がママに叱られるシーン」です。
どちらも長いです。
説教が長くなる理由として、
それ以外のことも叱るようになるからです。
怒っているうちに、
相手に対してムカムカしてきて、
他のことも気になってくるのです。
『坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い』です。
説教する側は、説教することによって、
自分が偉くなったような気分になれます。
自分の考えを相手に無理やり押し付けることによって、
「私は正しいのだ」と思えるのです。
周りの人を何人も褒めるというのは、
目の前にいる人以外を褒めるということです。
1人や2人なら、許せることもあります。
想像しやすいように言うと、学校の先生が個人面談のときに、
『君の友達の○○君は算数ができる』『△△君は、絵がうまい』
『□□さんは、歌がうまくて、字が綺麗』と言われることです。
目の前の生徒に『あなたは悪い』とは言っていませんが、
そう言われているような気になるのです。
他の人が同じ場所にいるときに、
その人が誰かに褒められると自分が怒られていると感じられ、
他の人が怒られると自分が褒められているように
感じることと同じです。
周りの人を何人も褒めることは、
その周りの人の評価している=自分はできる
ということを確認したいということと、
目の前の人けなしているということなのです。
◆周りの人を褒めるなら、短い時間で、二人まで。