内容的には、おとといの記事からの続きとなります。
おとといの記事の⑨にて、欅坂46の映画のタイトル(表題)の謎に触れました。
どうやら『僕たちの嘘と真実』という映画の表題は、命名者は、秋元康氏でもなく、映画監督の高橋栄樹氏でもないみたいだということを指摘しました。
おそらく(たぶん)、運営トップの今野氏か、もしくはその周辺の方の命名ではないかとも考察しました。
では、なぜ彼らはこういうタイトルを付けたのか
今日は、その謎について考えてみたいと思います。
最初に結論から言うと、運営トップの今野氏とその周辺の人たちにとっての”後悔と贖罪”の想いを表現したのがこのタイトルなのだろうな、と私は考えます。
すなわち、「我々運営は、ビジネスのためとはいえ平手友梨奈に関して虚像を作ってしまった。それが結果的に彼女を苦しめ、離脱につながったので後悔するし、ファンの皆様ゴメンなさい。この映画で真実を明らかにすることで、その虚像のベールをはぎます」という意味かと。
簡潔に箇条書きにすると、
一、”僕たち”というのは一人称だから、タイトルの命名者自身のこと。つまり運営のこと。
二、”嘘”とは、運営が作ってきた、平手友梨奈に関する実際よりもふくらませたイメージのこと。
三、”真実”とは、平手友梨奈の裏側。もろさと弱さも持った等身大の彼女のこと。
というわけです。
”嘘”は、運営がついてきた嘘、という意味でしょうね...
運営が、セールス上(営業上)、平手さんをどのように位置づけていたかというと、こんな情報があります。
2018年9月19日のラジオ『オールナイトニッポン』で、「事務所の上の人から、『お前はゴジラみたいなものだ』と言われた」(平手)というエピソードが紹介されていました。
この情報は、今野氏とその周辺は、営業のための幹部会議や業務計画のなかで彼女をそのように位置づけて仕事の計画を立てていたことを指し示しています。
要は、平手友梨奈を怪獣ゴジラに見立て、このゴジラ平手を主人公にした特撮ものを作っていく、というのがソニーミュージックとSeed&Flower社の業務計画であり、マーケティング戦略だったのでしょう。
そしてこの設定と戦略は、秋元康氏の絶妙のプロデュースによって実際に実現し、マスコミや芸能人がこれにうまく引っかかりもし、さらにファンの大勢も巻き込んで具現化していった...
つまり、ビジネス上の戦略としては大成功をおさめた...
欅坂46は、それまでにないアイドル(というより、何か特殊なコンテンツ?)として、売れに売れた...
しかし、その一方で、平手さん自身は、「もうそういうのうんざりなんだよ」,「僕はイヤだ!」とずっと内心では思ってた。
今年1月に発売された雑誌『Numero』(2020年3月号)のなかのインタビュー記事で、「エゴサはしないけど、スマホを開くとすぐ自分の名前が見えてしまうのがイヤ」だと語っていますし、ドキュメンタリー映画のなかでは「自分だけが目立ってしまうのがイヤ」だと漏らす様子が描かれていました。
過去にさかのぼると、映画『響』関連でテレビに出た際も、「ネットの声がキツイ」(『TOKIOカケル』(2018年9月19日放送回))と漏らしています。
以上のことは、平手さんがネットをときどき見ているということと、ネットで自分だけが目立ってしまっているのがイヤだったという2つの事実を示しています。
つまり、平手さんにとっては、アンチの声だけでなく、自分を過度に(オーバーに)賞賛する人たちの声もイヤだった...
しかし、グループのためと思ってずっと耐え続けていた...
けれども、運営スタッフやマスコミやファンだけでなく、しだいにメンバーすらも平手さんのことを特別扱いするようになっていった...
ドキュメンタリー映画には、そのこと(身近なメンバーですらも平手さんを特別扱いしているシーン)がしっかりと写されていました。
平手さんのほうも、そのことを敏感に察知し、メンバーとしだいに距離を置くようになってゆき、孤独化していきます。
「二度ほど写し出される平手友梨奈の後ろ姿が印象的だった。メンバーから離れて、ポツンと座っている。その姿からはアイドルの孤独というありきたりの言葉とも違う何かが滲み出ていた」(評論家・野村正昭氏)
そして、それがとうとう限界を迎えることになり、グループを辞める(脱退する)ことになってしまった...
彼女は最後まで表向きには辞める理由を言わずに去りましたが(ラジオ『SOL』(2020年1月23日放送回)で「辞める理由は言いたくない」とコメント)、以上が平手友梨奈脱退の真相だった...
そう考えると、2019年おおみそかの紅白歌合戦における、悲痛な叫び声としか受け取れない「僕はイヤだ!」もスッキリと謎がとけます。
これはおそらく、「僕は、ゴジラ扱いなんて、ずっとずっとイヤだったんだー!」という意味でしょう。
彼女は、この欅坂メンバーとしての最後のパフォーマンスで、魂からの叫び声のつもりでおそらくそう言い放ったんでしょう。
運営やマスコミや多くのファンから、さらにはメンバーからも”怪物”扱いされて孤立・孤独化した状況が、心底、イヤだったんだ、と。
ただ、そんな平手さんでも、理解者はいたように思えます。
おととい(土曜日)のテレビ『JAPANCOUNTDOWN』でドキュメンタリー映画の特集が組まれていましたが、平手さんについてこう語られていました。
(出典元:まとめサイトの記事より)
映画のなかで、「私だけは他のメンバーとは平手に対する意見が違う」とも語っていた小林さんだけに、言葉に重みがありますね。
代理センターをもっとも頻繁につとめ(とくに2018年のレコ大と紅白)、また、おとといの記事に書いたように、唯一、いまのメンバーの中で平手依存症に最初からかかっていなかったと思われる小林さんだけは、平手さんの苦悩について一番よく理解をしていて、そこが映画のいちばんのポイントなんだと言いたいようです(と、私はテレビを見ていて思いました)。
もう森田@zkszkszks小林がセカアイMV撮影で平手のダンスシーンを涙流しながら見てたのも印象的だった。「平手にある表現力が自分には無い」と冷静に語っててパンフの一問一答でもQ欲しいものは?A才能、と答えてて多分絶望的なほど平手との差を感じながら横で表現… https://t.co/wa8hElUyY1
2020年09月05日 23:29
2人の関係性については、小林さんのほうは、雑誌『EX大衆』(2019年11月号)のインタビュー記事で、「黒い羊のパフォーマンスについて平手とよく話をし、そこからよく話すようになった」(小林由依)と語っている一方、平手さんの側でも、雑誌『ROCK'ON JAPAN』(2019年4月号)のインタビューのなかで、「小林にぜんぶ任せたほうがいいのかなと思ったときがあった」(平手友梨奈)と語っているくらいですので、互いに信頼し合える関係だったと思われます...
話しを元に戻しますと、平手さんはグループを辞めるにあたって、今野氏をはじめ運営の方たちに対して、”辞める理由”として以上のことをきっと伝えていたことでしょう。
もう、”怪物(モンスター)”のように扱われるのはイヤだ、と。
普通の人間として扱われたいんだよ、と。
だから、どうしても離脱したいんだ、と。
平手さんのそのメッセージを受け取った今野氏とその周辺の運営スタッフ幹部たちは、さすがに申し訳ないと思った...
それで映画のタイトルに、贖罪の意味で、『僕たち(=運営)の嘘、と真実』と付けたということなのでは?、と私は思います。
「いくら商売のためだとはいえ、ゴジラの着ぐるみを強制的に着せてすまなかった。最後にこの映画でその着ぐるみを取り除いてあげよう。どうかそれで楽になってね...」(今野義雄+アルファ)という意味なんでしょう。
最後になりますが、平手推しの人を含め、映画を見た多くのファンも申し訳ないと感じているようですね。
以下、ネットの声の一部を挙げておきたいと思います。
にー@kneee_capきっと申し訳なさみたいなものは感じるんだろうなぁとは最初の予告が出た時から思っていたけど思ってた以上に皆謝ってるね
2020年09月03日 22:41
にー@kneee_capなんだろな、平手推し皆が謝ってるのは、もともと持っていたけど蓋をしていた、「そこに立ち続けていて欲しい」と思ってしまうことへの罪悪感を想像以上の現実として直視させられたってことなんじゃないかなーと推測している。
2020年09月04日 00:54
YATAN(あと37日)@yatan7846ファンが作る嘘ってのは勝手なイメージとかかな。そういうものから生まれる重圧。共犯者だな俺もと思った。
2020年09月04日 01:51
せ@iw97fpw61w8もう誰鐘以前の欅坂の曲が聴けない、あれ見たら無邪気にグループを応援してた時期が自分にもあったことがひたすらしんどい、大人の責任は「見守ること」や「見続けること」ではなく間違った理不尽を子供に背負わせないこと、それを止めることです
2020年09月05日 23:07
ハム@hamu_te平手にとって"普通の友達"でいてくれたよねさんの存在って本当に大きかったんだなって映画見て改めて思った
2020年09月05日 21:21
ある意味、ファンも(特に平手信者も)、彼女を脱退に追い込んだ共犯(運営やマスコミとの共犯)だったんだなぁとあらためて思いました。
運営の戦略と秋元康氏の演出にのっかって、一緒になって神棚に祭り上げて”平手神”としてあがめることで、平手さんが本当はなりたかった”普通のパフォーマー”にはなれなくしたのだから...
しかし、それでも、私は、これまでの欅坂46の歩みは間違ってはいなかったと思います。
予告編には、「この物語には正解はない」と出てきますが...
わたしの答えとしては、
断じて、否
です...
ここまでの歩みのすべてこそが”欅坂46”だったんだ、と。
いまのこの状況は、”正しい答え”なんだよ、と。
そうじゃなかったなら”欅坂46”ではなかったんだよと、そう言いたい...
平手友梨奈という特異なキャラクターと、それを発掘した運営と秋元康氏、そして魅了されたファン、それから以上のすべてを尊重し、良きものを送り届けようとしたメンバーたちの結晶が、欅坂46の今までの歩みだったし、このグループの生き様であった...
すべてが必然であり、これ以外に答えなどなかったのだと思います。
ズキス@Calahan44いやー欅坂ドキュメンタリーいい映画だった!音のデカい映画館で観ないと損。自分の才能と多くの期待に苦しみながらもステージに立ち続けて感動を与えてくれた平手には感謝しかないし欅坂は綺麗に散ったとすら思えたわ。個人的には解散再スタートを前向きに捉えられる様になって観てすごいスッキリした
2020年09月04日 22:10
鏡祭月@kyousai826147臨む直前まで怯えながら奮起し全うする。その後は満身創痍になろうとも。先鋭化していった様でその実変わらないあの子と優しい彼女達やスタッフがいた。自己評価の希薄な彼女は例えば自責や謙虚さから作品としての体裁を敬遠したとしても。言葉の尺度の問題で大切にしたいものは変わらないと思える。
2020年09月05日 00:06
全握ミニライブ含め、これまで数十回の欅のライブに参戦してきた私の脳裏には、今でも色あせず、鮮明に彼女たちの姿が刻まれています。
平手友梨奈と欅坂46は間違いなく”伝説”になった...
あらためてそう思います
了