2017年3級受験レポート。会場は和歌山市。今回は文章長いから、休憩しながら読んでね。例によって、和歌山県ローカルネタと妄想? を含んでるのでお許しを。

 

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第1幕 パニック兄弟

 

 2017年10月15日の日曜日。

 全国手話検定試験3級試験当日の朝。天気、小雨。

 

04:00 起床。起きてすぐ、試験勉強。

05:30 朝飯。

06:10 新宮市から車で和歌山市の試験会場へ向かう。

09:00 試験会場到着。

      そして、ドラマの幕があがる……。

 

 試験会場は和歌山城近くの『あいあいセンター』という場所。車で会場に着くと、地下駐車場があったのでとりあえず入ってみた。狭いところで全部で10数台分のスペースは全て埋まってるように見えた。しかし、その時、奇跡のように柱の陰に1箇所だけ空いてるスペースがあった。しかも他の所と違い、マイクロバスがとめられるくらい広い。ここに停めてもいいのかな? 半信半疑のまま、とりあえず停めてみた。でもちょっと心配だったので、1階の受付に行き、おじさんに聞く。

 

「あのー、すいません。地下の駐車場で1台広いスペースの場所が空いてたんで車停めたんですが、大丈夫ですかね?」

 

「ああ、そこね。大丈夫ですよ。今日は混んでるんでね。ちょうど今、工事用車両の駐車スペースを開放したとこなんです」

 

 なんと運の良いこと。ちょうど空けてくれた直後に俺が入っていったわけだ。車に戻ると、気の毒なことに後から何台も車が入ってくるけどすでに満車。彼らは有料駐車場を探してさまようだろう……。

 

 

 俺は持ってる!!

 

 

 今日の俺は強運を持ってる! 勉強不足の俺だけど合格間違いなし。

 

 手話検定の受付は4階で9時半からで試験開始は10時から。まだかなり時間があるので車の中に戻り、9時40分頃まで車内でDVDを見て苦手のナ行の単語の復習に励んだ。そして時は来た。車を降り、エレベーターへと向かう。

 

(あっ、そうだ受験票を先に出しておこう)

 そう思って、手持ちのカバンのチャックを開けた。

(あれっ、ねえな。手帳に挟んだっけ?)

 手帳を確認、見当たらず。

(ジーパンの後ろポケットに入れたんだっけ?)

 ポケットを確認するが、見当たらず。

 

 ここでようやく事態の深刻さを感じ始める。車に落としたんだろうか。急いで車に戻り、全席をまさぐるがどこにもない。いや、そんなはずはないと、またカバンを確認→手帳を確認→ポケット確認→車の中確認。さらにもう一度全行程をリピート。

 

 

 俺は持ってなかった……。

 

 

 なんと一番大事な受験票を! 一気にパニック!!

 

 その頃、150㎞離れた新宮市の俺の散らかった机の上にそれは静かにたたずんでいた。

 

 

 

 思い起こせば2週間前。送られてきた受験票をみてこれだけはなくしたらダメだと、良く見えるところの壁に押しピンで貼り付けた。前日も決して忘れないように確実にカバンに入れたのに、なぜ、忘れたのか。

 

 実は、後から思い出した。家を出て出発しようと車に乗り込んで気がついた。そういえば会場の『あいあいセンター』ってどこっだっけ。それでカバンの中から受験票を出したんだ。そして、一度部屋にもどり、パソコンを立ち上げてグーグルの地図で会場を確認。よし、場所はわかった。これで全て完璧。安心して部屋を出た。一番大事な受験票を机に残したまま……。

 

 

 一体、どうすればいいのか。もう俺、パニック状態。受験票を持たずに行って、試験受けられるのか。

 

「そんな非常識な方は、試験を受けさせることはできません。どうぞお引き取りください」

 

 と追い返されるんじゃないか。それに、小学生や大人のレディも居るみんなの前で受験票を忘れましたと言うのか俺は。いくら正当な理由で受験票を忘れたとはいえ恥ずかしすぎる。ああ、神様はなんで俺にこんな試練を与えるのか。でもここまできたら行くしかない。

 

 エレベーターで4階に向かう中、思ってたのは、受付の人にこっそりと受験票を忘れたことを言おう。他の誰にもばれないようにこっそりと。そういう作戦を立てた。そしてダメだと言われたら、間違って会場に迷い込んだ人を装って最速で立ち去ろう。知り合いに会わないように。ブログでは身内に不幸があり、不本意だが受験できなかったことにすればバレることはないだろう。

 

 4階でエレベーターを降りたら、試験会場の部屋の外に受付があり女性が1人居るだけだった。よし、今ならいける! 誰にもばれないようにそーっと、そーっと近づいていったが、もう5メートル手前で受付女性に発見され、やけに張った声で

 

「受験票、お願いしまーす!」

 

 と。ああ、やばいみんなにバレてしまう。でも、仕方ない俺の犯した罪だ。その罰は甘んじて受けよう。勇気を振り絞って言った。

 

「す、すいません。あの、あの……、実は……受験票を忘れまして……」

 

「ああ、そうですか。そうしましたら、こちらの再発行手続きの用紙に必要事項書いてください」

 

「えっ! 試験受けられるんですか?」

 

「はい」

 

 

 なんだよ、試験受けられるのか。脅かしやがって。めっちゃ、ホッとしたよ。よく見たら、受付で応対してくれたのは、サ連(手話サークル連盟)の参謀、教育ママゴン(ごめんなさいυ)ではないか。さっきは緊張してたから分からなかっけど。それでちょっと気が緩んだので聞いてみた。

 

「こんな用紙があるってことは他にも受験票を忘れる人、ちょこちょこいるんでしょうね?」

 

「いません。あなただけです」

 

 即答だった。ああ、やっぱり、俺はとんでもないことしてしまったのか。俺の書き終えた書類を持って、なにやら慌ただしく行き交うスタッフ。そしたら、向こうの方からサ連の会長、四皇の尼将軍が歩いてくるじゃないの。俺は挨拶しようと思っていると先に向こうから

 

「あんた、アホちゃうか?」

 

 グサッとか弱い俺のハートに突き刺さる有り難いお言葉。そうか、もうスタッフみんなに受験票を忘れた者がいると知れ渡ってるんだな。スタッフルームではろう協の最高幹部達も来ていて、たぶんネイティヴの見えないスピードの手話で「まったく、いらない仕事作りやがって。どこのどいつだ」と会話してることだろう。ああ、やっぱり恥ずかしい。まだ試験前なのにかなりハンデを背負ってしまった……。

 

 そして時間になり、学科試験開始。ただ、この日の俺はやはり持っていた。ちょうど直前に覚えた単語たち(陸上競技、しょうが等)がことごとく問題に出て、満点の予感させつつ無事に学科試験終了。ちょっと、安心して、合間の時間に参加者に目をやる余裕もできた。参加者は33人、そのうち男性は9人、子ども3人だった。男の受験者が珍しく多いなと再度、数を数えていたら、自分の席から一番離れた場所に座っている男の横顔に目が止まった。

 

 

 あの男に似ている。

 

 

 あの男とは、4年前俺が手話を学びはじめて半年の頃、サ連の総会に行ったとき、俺にアドバイスしてくれた人。

 

「手話を表現するときはね、その場面を映像で頭にイメージして、それを伝えるようにしたらいいよ」

 

 そう教えてくれた。彼は当時、橋本市の巨大手話サークルの会長だった。風貌を例えて言うならイケメン政治家の「細野豪志」。細野がモナと浮き名を流したように彼もまたモテるだろう。そう、名付けるならモナ男(お)兄貴とでも呼ぼうか。でも待て、確か彼、モナ男兄貴はすでに手話通訳をこなしてるプロのはず、監督官でいるならわかるけど、まさか3級を受験? それはないな。モナ男がここにいるはずはねえ。『細野のそら似』ってやつか。細野系の顔は案外多いからね。そうその時は、他人だと思い、モナ男を意識から消した……。

 

 面接試験で呼ばれるまで、しばしの休憩となった。俺は緊張から解放され、隣に座っていたメガネ女子に余裕で声をかけた。

 

「試験できました? 俺、交通事故の読み取りの問題で自信がないとこあったんだけど、あそこ交差点でよかったのかな」

 

 すると、おとなしく見えていたメガネっ子が一気に言葉をまくし立ててきた。

 

「わたし、もうパニックになっちゃって、メチャクチャでした!!」

 

「ええっ? どうした? 何があったの?」

 

「実は……(後述)」

 

「そうか、確かにそれはきついな。パニックわかるよ。俺も受験票忘れてパニックだったから、パニック兄弟だな(笑)」

 

 

 ことの詳細はこうだ。全国手話検定3級の学科試験の内容は20問の単語と15問の読み取り問題となってる。全て、大きなスクリーンに3回づつ手話で映像が出てくるので、それを見て、順に回答用紙にマークシート方式で答を記入していく。解答用紙にはあらかじめ4つの選択肢が印刷されてるので、その中で一つを選ぶというもの。

 

 彼女は読み取り問題でやっちまった。例題1つにつき、2つ(7問めだけ3つ)の質問が書かれていたが、彼女は質問が2つあるとは気づかず、例題1つにつき、1問ずつしか答えてなかった。最後の例題7の時点で初めて質問が2つづつ書かれていたことに気づき、そこで頭真っ白、パニックになったという。もう考えて問題を解く時間はないので、全部カンで答えを埋めるだけでせいいっぱいだったって。

 

 各問題の配点がどうなっているのか分からないけど、合格ラインは得点70%以上なので、もし万一、7問全て間違えた場合、結果はどうなることか……。気休めに「大丈夫。案外、適当に書いたとこ当たってるかもしれないよ」と言ってみた。話したことで少し落ちついたんじゃないかな。ブログネタに書くことも許してくれた。紀三井寺のパニックガールよ、君に幸あれ。

 

 

 

第2幕 再会

 

 パニックガールとの話を終え、一人いると、肩を叩かれた。

「お久しぶりです」

 見ると、モナ男兄貴だった。やっぱりさっきの男は本人だった!

「どうしたの? プロの手話通訳者がこんなとこで?」

「実は、高校生の息子が3級受けてて、俺も手話検定受けたことないからついでに受けてみたのよ」

 

 手話通訳者や手話通訳士は手話検定をほとんど受けない。通訳のプロを目指す自分には手話検定は興味がないと言う。だが、手話を学ぶ者全員が通訳者を目指すわけじゃない。むしろ、通訳者を目指してない人の方が圧倒的に多い。そんな人達にとっては、自分の実力を試し、モチベーションを保つ方法の一つとして手話検定がある。だから、そういう人達を指導する立場にある通訳者たちこそ、手話検定を実際に自分で体験して、手話検定とはどういうものなのか完全に把握しておく必要があると俺は思う。だから、モナ男兄貴はすごいと思った。

 

 

 そして緊張の面接試験の時がきた。面接試験は階段を下りた3階の小部屋で行うことに。33人を3グループに分けて、各部屋に順番にそれぞれの誘導員に部屋のほうに案内される。名前を呼ばれるまではこの4階の大部屋での雑談が許されるが、名前を呼ばれたら誘導員に先導されて一緒に階段を降り、3階の面接部屋の前の椅子に座って、順番を待つ。3階に降りたら一切の私語、手話、スマホは禁止で静かに待たなければならないルール。

 

 そういう説明を聞いた後、最初の受験者を連れに誘導員の面々が部屋に入ってきた。まず目に入ったのはキッシーさん。俺がモナ男兄貴と初めて会った総会で俺の横に座っていた女性。俺が手話でまるっきり会話できないので、俺の発言を手話通訳してくれた優しい人。キッシーさん、あの折りのご恩はもとひこ、未だに忘れておりません。ありがとうございました。と、独り言を胸の中でつぶやいていたその時、キッシーさんの陰から出てきたもう一人の誘導員の女性。その女性を見て俺は震えた。

 

 

 なんであの人がここに居る!!

 

 

 あまりの事態に、思わず机に身を隠した。

 えっ、梅チュウかって、違う。ナイチン? 外れ。テキサス兄貴? それはない。あの人物だよ。ほら少し前の俺のブログに彗星のごとく現れたあの『シシ狩りよね子』だよ。

 

→シシ狩りよね子初登場回のブログ

 

 

 こういう再会ってあるんだな。でも向こうは俺に気づいてない。俺の番号は29番。誘導員は何人もいるのでまさか、シシ狩り本人に当たることもないだろ。そう思って名前が呼ばれるまで、パニックガールやモナオ兄貴と雑談していると

 

「29番の方!」

 

 やっと俺にお呼びがかかった。見ると、遠くで俺を呼んでいるのは、まさかのシシ狩りだった……。

 

 俺たちって縁がある!?

 

 彼女の後について階段を下りながら話しかけた。

「あの、もしかして、俺のブログ、読んだりしました?」

「……はい、読みました」

 くそー、やっぱり読んでたか。親分の梅チュウから聞いたんだな。あんなこと書いたから怒ってるだろうな。

「俺のこと、怒ってませんか?」

「ううん、……大丈夫ですよ♪」

(えっ、なにこの感触! もしかして好感もたれてる!?)

 横目でシシ狩りを見ると、今日は山から出てきたのでちゃんとした町娘スタイル。いまだ少女の面影を残す童顔に微笑をたたえ、花恥じらう乙女のように頬が少し赤くなっていた。

(むむ、いける! これはいける! またネタに書ける!!)

 

 階段を降りると、部屋の前の椅子に腰掛けるよう指示された。俺が座るとシシ狩りは斜め向かい3メートルの距離の位置に立った。しばし、二人を静寂が包む。俺はうつむいた振りをして、横目でシシ狩りをチラ見した。シシ狩りも落ち着かないのか、時折、無駄に動いていた。

 

(もしかして、俺を意識してる!?)

 

 そして、前の人の試験が終わり、人が出てきた。いよいよ俺の番だ。俺はシシ狩りに促され、立ち上がった。ひとときの妙な空気を断ち切って面接試験をうけるべく部屋に入っていった。

 

 

 部屋に入ると、向かって右手に面接官の和歌山県ろう協の大幹部・ミスター・ダンディーがいた。顔はよく知ってはいるが話したことはない。というか話せるほどの手話力が俺にはない。左手には通訳士の女性が座ってた。

 

 まず、ダンディーさんから受験番号と名前をいってくださいとゆっくりした手話で説明があった。この部分は横の通訳士が日本語で通訳してくれた。俺は『受験番号』という手話さえ覚えてなかったので(ほんまにアホです)、ダンディーさんの『受験番号』という手話表現を真似して、受験番号と名前を手話で表現した。その後、一枚の紙に書いた質問を見せられ、準備が出来たら始めてくれという。紙にはこんな内容が書かれてたと思う。

 

「あなたが今までで一番うれしかった想い出を話してください」

 

 でも急にそんなこと聞かれて、すぐに答えろなんてよく考えたら手話じゃなくても難しいよね。俺はまったく面接対策なしで行ったので、この質問には困った。んで、その時、ふと浮かんだことを話した。

 

「私は小さい頃、メンコという遊びが好きだった。小学校1年から6年になるまで遊んでた。めんこをやってるときが一番たのしかった。でも、私は強くなりすぎて、他の仲間に入れてもらえないこともあった」

 

 そんな内容を話した。実際、もし俺が過去に戻れるとしたら小学校の低学年に戻りたい。小学校低学年の学校の勉強なんて何にもしないで、ただ純粋に遊びだけを考えて生きればよかったあの頃に。あの時に戻り、完全燃焼できなかったメンコを思い残すことないほどやってみたい。まあ、このことまで手話で言えなかったけど。

 

 こっちの話が終わると、次は面接官が手話で話した内容について質問してきた。実はこの時、面接官の手話が読めなくて質問内容がよくわからなかった。でも聞き返す余裕がなくて、適当に答えを返してしまった。俺の返答は質問の内容に合ってなかったとかもしれない。意味が分からないときは、ちゃんと聞き返すことも大事だから減点されたかな。

 

 最後に通訳の方から「それ以外にうれしかったことは何かある?」という質問も受けたので、最近、海に潜りに行って、初めて海の中をビデオカメラで撮影したことを手話で表現した。これは内容は伝わったと思う。ここで時間となり、面接試験終了となった。

 

 部屋を出て、案内係のシシ狩りとキッシーさんに別れを告げ、エレベーターに乗った。これで今年の全国手話検定3級受験は完全に終了だ。今年は何か盛りだくさんの内容だった。

(第2幕 完)

 

 

 

 

 

 

 

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第3幕 苦い思い出

 

 検定試験終わって、地下の駐車場に戻った俺。まだ昼前。最近の和歌山県立美術館は俺の好みの展覧会やってないし、今日は早く帰ろうと思って車をだした。が、気が変わった。そうだ、御園町の『はーとつうはんど』に行って和歌山盲ろう者友の会の会費を払ってこよう。そう思って和歌山市駅を目指す。近くの有料駐車場に車を入れ、美園商店街でお店を探す。ようやく店の前に到着するもシャッターが降りてて休み。う〜ん、時間とガソリンと駐車場代が無駄になったなあと思いつつ、でもこういうときは、誰か知ってる人に会うかもとか考えながら駅前まで歩いて見たけど何もなし。仕方ねえ、素直に帰るか。そう思って、国体道路沿いの歩道に出ると、白杖をついた年配の一人の男性が目に映った。小雨の中、長靴を履いていて、その足で点字ブロックを確かめながら歩いていた。

 

(へえー、全盲の人みたいだな。やっぱ都会では介助もなしに一人で歩いてるんだ)

 

 俺は立ち止まって、その人の歩く後ろ姿を見ていた。たぶん慣れてるから一人で歩いているんだろうけど、なんかたどたどしい足取りしてる。見てると、歩道の真ん中辺りの点字ブロックから左に逸れて、近くのマンションの駐車場の方へ歩いて行く。

 

(ここが目的地なのかな?)

 

 すると、駐車場の金網のフェンスに突き当たり、間違っていたのか手探りでフェンス伝いに歩道の方へ戻ってきた。その時、停めてあったバイクに軽く身体をぶつけたようだった。

 

(うわー、危ない。どうしよう。でも、声かけて断られたら嫌だしなぁ)

 

 気になりつつ、遠ざかる男性を見ていると、今度は歩道を横切る小さな通りの信号にさしかかった。信号は赤だった。

 

(まさか、赤信号で行かないだろな。あっ、駄目だ渡っちゃ!)

 

 その男性は赤信号を普通に歩いていった。幸い通りから車が出てこなかったからよかったけど。もう、俺はそこで走り出した。追い着いて横から話しかけた。

 

「こんにちは。あの僕の声は聞こえますか」

 万一、場所柄、盲ろう者の可能性もあるので。

「はい。聞こえますよ」

「あの、よかったら手引きしますけど」

「そうですか、お願いします」

 

 その男性は素直に申し出を受けてくれた。右手の肘辺りを持ってもらって歩きはじめた。それから、相手を安心させるために自分は何者で、なんでここにいるかを説明した。

 

「こっちにもたまに手話のイベントでふれ愛センターに来るんですよ」

「そうですか。実は今からふれ愛センターに行くとこなんですよ」

「へえー、じゃあ、僕も案内できます」

 

 それから少し、道中で会話した。彼は地元の人で、25歳の時から目が見えなくなったって。普段はもっとしゃんと歩いてるんだけど、雨の日は雨音もあり、感じが違うから歩きづらいらしい。そりゃそうだよね。足下は滑りやすいし、雨があると車の騒音も普段と違ってるし。

 

 それで歩いて行くと、大きな交差点にさしかかった。和歌山ラーメンで有名な『井出商店』の近くの交差点。片側2車線かな。かなり交通量が多く、横断歩道を渡る距離も長い。

 

 

 

「この交差点がねえ、僕らには最大の難関なんですよ」

 

 そう男性は言った。信号機が青になると流れる音を聞いて、渡るタイミングをはかってるらしいんだけど、横断歩道の上には点字ブロックないよね。もし、長い横断歩道で歩く方向が少しずれたら車道に行っちゃう危険もある。実はこの時、信号が青に変わったんだけど男性は音が違うと行こうとしない。再度、促すと

 

「あっ、いいのかこの音で。失礼しました」

 

 と行って歩を進めた。やはり雨で普段の感じと違うんだろうね。もし、音を聞き間違えて車道に歩き出したらと思うと、健常者にはなんでもないただの歩行が命取りになる。

 

 信号越えてしばらく行くと、俺の停めた駐車場を聞かれたので過ぎましたと答えたら、ここまでででいいよと言ってくれた。俺は暇だから目的地まで大丈夫だと言ったんだけど、ひどく遠慮されるのでそこで別れた。断っているのにしつこく最後まで付いていくというのはダメだと思うので。

 

 男性を見送ってから俺は大きな間違いを犯してたことに気がついた。最初に彼を見かけて、危うい足取りだなと思ったときにすぐに行くべきだった。ついつい俺は「大丈夫かな?」と思いつつ、見てしまって赤信号まで渡らせてしまった。もし、あの時、通りから車が出てきて彼が事故に遭っていたら、俺は一生後悔することになっただろう。こういう場合は、すぐに動かないと、怪我させてからじゃ遅すぎる。

 

 そして、このことで俺はしばらく忘れてた30年前の出来事を思い出した。もしかしたら、そのことを思い出させるために俺はこの場所に来たのかもしれない。当時、忘れちゃいけないと強く思ったのに、やっぱり忘れて同じ轍を踏むとこだった。

 

 俺が23歳の時の話。当時、東京に住んでて中野区の引っ越し専門の運送屋でバイトしてた。その時、運ちゃんと引っ越し荷物を運んでいて、トラックで移動中だった。都心の新橋の繁華街だったと思う。人通りの多い交差点の一番前で、信号待ちとなった。交差する信号が青になって左右から長い横断歩道を歩行者がたくさん歩いてきた。トラックの助手席に座っていた俺は何の気なしに右方向から歩いてくるばあさんに目がいった。どこか田舎から出てきたような服装のばあさんだった。ちょうど交差点の真ん中まで歩いてきたときにそのばあさんがつまずいて転んだ。額の辺りを地面にガツンと強くぶつける様子を俺はみた。

 

(わあ、頭まともにぶつけたぞ。だいじょうぶなのか)

 

 内心、びっくりしたけど俺は運ちゃんに話すこともなくばあさんを見ていた。ばあさんはぴくりとも動かない。

 

(おい、誰か助けろよ。ばあさん、倒れてるぞ。おまえら見えないのかよ)

 

 通行人はたくさんいたのに、誰一人助け起こそうとしない。俺はもうドキドキして車を降りて助けに行きたいと思ったけど、少し強面の運ちゃんが何も言わないのと、今、俺が降りていって助けたら、信号変わったときに迷惑がかかると思って、動けなかった。すると、歩行者側の信号が点滅し始めた。

 

(わー、誰か早く起こしてやれよ。信号変わっちゃう)

 

 ハラハラしてみてたらばあさんようやく自力で起きてきた。額を手で押さえながらふらふらしながら自分で横断歩道を渡りきった。信号が変わって車が走り出した時、俺はばあさんが気になって信号機の下に座り込んでるばあさんを見た。その表情は今も頭に焼き付いてる。だって、ばあさん泣いてたんだよ。一人で顔くしゃくしゃにして子どものように。あの時のばあさんの気持ちを考えると今でも泣けてくるし、目の前で見ていながら何も動かなかった自分が情けなく、申し訳ない。ばあさんは痛みだけで泣いていたのと違うと思う。まわりに大勢の人がいたのに誰にも助けてもらえなかった。それが辛かったんだと思う。

 

 たぶん、良識ある人なら読んで許せないはず。俺も許せない。でも、自分も見殺しにした側だ。車を停めて、渋滞させたからってなんだっていうんだよ。人の命の方が大事なのに。ああ、本当に情けねえ。あの時の自分に腹がたつ。

 

 2度と同じ事はしちゃいけない。緊急時にはすぐに動こうと思っていたのに今回も見てしまった。これを機会に、次は迷うことなく行動できるよう心に刻んでおきたい。

 

 

↓ こういう信号機。

  田舎にはないけど、和歌山市にはありました。

 

 

 

 お年寄りや白杖を持った人が信号待ちしてたら、迷わず押してあげよう。

 

 

 

 最後まで読んでくれた方。ありがとうございます。

 君に幸あれ♫