『無上の町Ⅲ』(P-7) | 光の天地 《新しい文明の創造に向けて》

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現代文明の危機的な状況に対して、新たな社会、新たな文明の創造の
必要性を問う。

【新しい文明のビジョン(小説編)(P-7)】
 
                                  『無上の町』(第3巻)
                                       真珠の飾りを着けた都の果てに
 
                                                 《連載第 7 回》
 
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ミサが終わった後も、まだ教会内には十数人の信者が残っていて、礼拝堂の片隅にたむろする数
名ほどのグループが、周囲を窺うように、ひそひそと押し殺した声で話を交わしていた。
 神父は説教が終わるとすぐに、小学校校長の篠原と、商工会会長の笠間の姿を認めて、二人の
もとへやって来た。
「今日の神父さんの説教のテーマは、『科学と信仰』という、よく問題になるテーマでしたが、興味深
く聞かせていただきました・・・・」
 紺色のスリーピースのスーツを着た笠間が、顔をほころばせながら、隣の長椅子の端に座った神
父に会釈をした。
「確かに現代文明というのは、科学文明と言っても過言ではないでしょうな・・・・」
 笠間は今までほとんど教会に足を運ぶことはなかったが、町長主催の諮問会議のメンバーになっ
て、神父と言葉を交わすようになってからは、篠原と連れ立って、日曜日のミサにもちょくちょく顔を
出すようになり、ミサの後は神父と暫し歓談の時をもつのが通例になっていた。
「神父さんのおっしゃる通り、人間は今まで獲得してきた科学の進歩だけで、生きられると錯覚した
ことは、事実ですな・・・・」
「しかし、一方、科学は人間を強くもしましたね。科学は神の存在を否定しますが、それが人間の独
立心や自立心を促すものであれば、それもあながち否定すべきものではないかもしれません。その
一方で、信仰は弱いものが、神に救いを求める依存性として受け取られることもまた否めません」
 神父は教会の出口から頭を下げて出て行こうとする人々に気づいて、微笑みながら会釈を返した。
「宗教とは、弱者救済だと信じている人が、結構いますからなあ・・・・」
「いやいや、そういうことはありませんよ、笠間さん・・・・」
 隣に座っている篠原が、苦虫を嚙み潰したような表情で、笠間を制した。
「たしかに、そういう面もありますが、それだけではないですね・・・・」
 神父が礼拝堂の回りを見回しながら、和やかな眼差しを笠間の方に向けた。
「神様にお祈りすれば、願い事をかなえてくれると思っている人が、沢山いるでしょうからな・・・・」
「古代文明社会の人々がそうですね。科学が発達していない昔の時代は、良いことも、悪いことも、
すべてが神のせいだと思っていたことでしょうね」
「神様にお祈りするのは、災いを避ける意味もありますな」
「でも、笠間さん、もし、そういう時代の人が、科学の発達した今の時代に生まれて、科学の力で何
でも願い事がかなうとわかったとしたら、その人はそれでもまだ神に祈るでしょうか・・・・」
「祈らんでしょうな。しかし、今の世の中でも、すべてが科学の力でかなうわけではありませんから、
その分だけは祈るかもしれませんな・・・・」
 笠間は周囲の様子を気にするように、辺りを見回した。
「そういった人は、願い事がかなった時は、神に感謝するかもしれませんが、願いがかなうどころか、
災害のような苦しみに遭った場合は、逆に神を恨むことになかもしれないですね」
「しかし、今のような科学が発展した時代では、そういうことは起こらんのじゃないですか。災害は神
のせいというより、自然界の法則でそうなるわけですから・・・・」
「果たして、そうでしょうか・・・・」
「えっ、ちがうんですか?・・・・」
「笠間さん、神父さんは、信仰をもっている人のことを言っておられるのですよ・・・・」
 篠原は前の長椅子の背に手をかけながら、足元を見つめた。
「信仰ですか・・・・」
「今日の神父さんのお話は、科学と信仰というテーマでしょう・・・・」
「ああ、そうでしたな・・・・」
「古代社会の人は、崖から人が落ちて死んだとしても、神のせいだと思うでしょう。しかし、現代の社
会の人は、そうは思いませんね」
 神父が微笑みながら笠間の顔を見つめた。
「引力のせいですな・・・・」
「もし、崖から落ちたのが、まだ幼い自分の子供だったらどうでしょう?」
「それも、やはり、自分が目を離したすきに崖から落ちたわけですから、自分のせいだと思うのでは
ないですか?」
「もしこれが、たまたまひとに頼まれた仕事や、奉仕活動などをしていて、ほんのわずかなすきに起
った出来事だとしたらどうでしょう。自分は何も悪いことをしていないのに、なぜこういうことが起こっ
たのか、疑問に感じるのではないでしょうか・・・・」
「そうですな・・・・確かに疑問に感じるでしょうな。しかし、これが誰かに突き落とされたのなら、その
人を恨むこともできますが、まだ幼い子供であれば、子供のせいにするわけにもいきませんし、結
局、親である自分を責めるしかないんじゃないですか・・・・」
「笠間さん、神父さんは、信仰をもっている人のことを言っておられるのですよ・・・・」
「私は信仰をもっているわけではないので、そこまではよくわかりませんが・・・・」
「災害などの場合も同じです。たとえ自分が災害に遭わなくても、もし、災害に遭った人が、品行方
正で誰からも慕われるような人であった場合は、どうしてあんなに良い人がこんな目に遭わなけれ
ばならないのか、疑問に感じるのではないでしょうか・・・・」
「それは私も感じますな・・・・」
「もちろん、災害は自然の法則に基づいて起こることは誰もが知っています。しかし、信仰をもつ人
にとっては、その疑問は、科学の次元とは、全く別の次元の疑問なのです」
「うーん、わかるような気がしないでもありませんが・・・・」
「科学はその疑問に答えてはくれません」
「わかっているのは、崖から落ちれば、善人でも悪人でも、皆死んでしまうということだけですな」
 笠間は上着の内ポケットに指を突っ込みながら、ステンドグラスの方に目を向けた。
「その疑問は、やがて信仰への疑問へ変わっていきます・・・・」
「信仰の疑問ということは、信者を止めるということですか?」
「信仰の疑問は、やがて神への疑問へ変わっていきます・・・・」
「この教会にはそういう人はおらんでしょうな。今日のミサにも座り切れないほどの人が集まってい
ましたから・・・・」
「科学は目に見えるものだけを対象にして、目に見えないものを否定します。科学はどんなに発展し
ても、この目に見えないものを明らかにすることはできません」
「目に見えないものというと、精神にことですか?・・・・」
「神のことですよ、笠間さん、神父さんのおっしゃっているのは・・・・」
 篠原は膝に置いた茶色のコットンのコートに手を置きながら、笠間の方を見た。
「科学は目に見える世界では社会を豊かにしましたが、目に見えない世界では、依然として荒野の
ままの状態になっています」
「荒野ですか・・・・」
「しかし、この見えるものと、見えないものは、本来、別なものではありません」
「精神と肉体のようなものですな・・・・」
「見えるものは、見えないものによって成り立っています・・・・」
 神父は礼拝堂に残っていた数人が、出口の方へ向かって歩いて行くのを見つめながら言った。
「人類が誕生してから膨大な歳月が経過していますが、その中で人類が知り得た知識は、ほんの
わずかです」
「月までロケットを飛ばすような世の中になりましたから、もう科学では何でも明らかになっていると、
思っている人が多いでしょうな・・・・」
「今日の私の話の中にも一部触れましたが、科学と信仰というのは、決して対立するものではあり
ません。見えるものと、見えないものとの違いはあっても、中身は同じです。しかし、残念ながら科
学の発展によって、科学が信仰に取って代わろうとしています。科学はわれわれの生活を豊かにし
てくれましたが、先ほどの崖や災害の話のように、どんなに疑問を感じても、科学はその疑問に答え
てはくれません。では、どうしたらその見えないものを、見えるものにしたらよいのでしょう・・・・それ
が、今日の『科学と信仰』の主旨だったのですが、いかがでしたでしょうか?笠間さん、篠原さん・・・」
「そういうことだったんですか・・・・うーん・・・・校長はどうですか?・・・・」
「私は疑いはもっておりませんから・・・・」
 篠原はコートを持ち上げて、マフラーを首にかけた。
「長らくお引き留めして、申し訳ありません・・・・」
 神父は笑いながら長椅子の背に手を掛けて、ゆっくりと立ち上がった。
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                       (以下次号)